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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第2章
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03 悔しいな

 しるし云々はぴんとこないものの、自分の経験に置き換えてみれば判ることもあるようにも思った。

 ジョードが大盗賊テレシエールに会ったときのこと。たまたまお頭の機嫌がよくて、新参のジョードが大きな仕事を任された。だが彼はもともと置き引きだのかっぱらいだのという無計画な盗みしか行ったことがなかったし、もちろん犯行予告などしたこともなかった。うろたえる彼は嘲笑され、案の定、失敗をした。盗むところまでは巧く行ったのだが、あっさりと町憲兵隊に獲物を取り返された。

 命令に従う下っ端であればともかく、そのときのジョードは実行者だった。粛清を怖れたことを思い出すと、ミヴェルの気持ちも判る。

 もっとも結局、ジョードは放逐されただけだった。テレシエールははなから彼を取り立てる気などなかった。あとで判ったのは、置き引き野郎がどこまでやれるかと、笑いと賭けの対象にされていたということ。

 自分では力量不足だと思う位置に引っ張り上げられたときの気まずさと焦り。失敗するのではとの不安。粛清への恐怖。

 ただ、ジョードが悪質にからかわれていただけなのに対し、ミヴェルはそうではない。

 あのときのジョードはまず逃げることを考えた。テレシエールお頭の縄張りさえ離れてしまえば、どうとでもなると思った。

 一方で彼女には逃亡の意志などない。彼女は初めからソディという一団に所属しており、去る選択など考えたこともない。それがミヴェルを「ライサイ様」に縛りつけ、恐怖におののかせている。

(逃げられん、ってことはないと思うんだが)

(……何も知らないくせに、と言われるんだろうな)

 ジョードにしてみれば逆のようにも思える。本当に嫌なのであれば、逃げればいいだけのことだ。

 もっとも、こうしたことは〈神官(アスファ)若娘(セリ)の議論〉。立場の違う者同士がいくら語り合っても、同一の結論などは出ないものだ。

 ジョードが楽天的なのは、要は部外者だからだ。ミヴェルがライサイを怖れるのを傍から見ているだけ。

「どんなに無能でも、しるしある者には一定の決まりが課せられる」

 そう言うと、ミヴェルは改めて、唇を拭った。

「レダクとの交わりはならず、というのがそのひとつ」

「無知が伝染るから、かよ」

 先ほどの言葉を思い出して、ジョードは乾いた笑いを浮かべる。

「――ええい、伝染してくれるわ!」

「なっ!? ば、馬鹿、やめろっ」

 ジョードはミヴェルの頭を両手で掴むと、強引にミヴェルに口づけた。女は抵抗したが、結局、また唇を奪われる結果となる。

「ええい、やめろっ」

 どうにか彼女は、盗賊の顔を押しやった。

「こ、こんなことが知れたら、私は……」

 せっかく普通に戻っていた顔色が、また悪くなった。ジョードは頭をかく。

「別に、言わなきゃばれんだろ、接吻くらい」

 いや、と彼は言った。

「ヤッたところで、報告さえしなけりゃ」

 ガタガタ、とミヴェルは椅子ごとジョードから離れた。

「……襲わんから、逃げるなよ」

 態度だけを取れば、突然の口づけに慌てた純情な娘と取ることもできる。だが、そうではない。慌てていることは間違いないが、初心(うぶ)な少女の反応でもない。

 いままでだってジョードは、けっこう何だかんだとミヴェルの身体に触れてきたが、男を知らぬ処女のようにびくつく感じはなかった。「獲物」もいたとは言え、ひとつ部屋で眠ることも平気だった。ジョードを男として見ていないのだなとは思ったが、男女のことを知らぬ訳ではないというのは接吻への反応からしても明らかだ。

「つまり」

 彼は呟くように言った。

「『レダク』じゃなけりゃ、ヤッていいのか」

「……私には、しるしがあるから」

 女は繰り返した。男は続きを待ったが、沈黙が降りた。

「あー……しるしがあるから、何」

 仕方なく促せば、ミヴェルはうつむいた。

「選ばれし者との言葉で判るように、しるしを持つ者は少ないんだ。それも、年頃の女となれば」

「……うん?」

「相手は慎重に選ばれるのが常だけれど、私の世代には……〈月岩の子〉がいるから」

「エククシア、だよな」

 〈青竜の騎士〉と言い、〈月岩の子〉と言う。金目銀目の、すらりとした色男。

「あの方は、〈月岩の子〉とも呼ばれる。ライサイ様が〈月岩〉に力を与えたことで生まれた、究極の御子」

「月岩……岩に? 岩の子?」

 意味が判らん、とジョードは呟いた。

「宗主の子、という位置づけでもある」

「んじゃ」

 王子殿下みたいなもんか、と言いかけて、ジョードは口をつぐんだ。何だか、相手を持ち上げてやるような気がして嫌だったのだ。

「それで、〈月岩の子〉がいる世代だと、どう」

 彼はそこではっとなった。

 特別な存在、〈しるしある者〉。慎重に選ばれる「相手」。究極の御子、〈青竜の騎士〉。

「……それって、まさか」

 ミヴェルはうつむいたままでいた。

(あいつと、ミヴェルが)

 思いがけなかった。ジョードはわずかに口を開けた。

(何だよ。それなら何で、召使いみたいにひざまずいたりとか)

(こんなにびびったり、するんだ?)

 騎士の女であるのなら、そんなに怖れる必要はないのではないか。ジョードはそう思った。

 同時に湧き上がる、これは嫉妬か。

 あの男が、この女と。

 盗賊はぶんぶんと首を振った。

「それなら、びびる必要、ないだろ」

 彼は明るく、思ったこと――の一部――を口にした。今度はミヴェルが、弱々しく首を振った。

「私は、身籠もらなかった」

「……うん?」

「いまは、もっと若い、十代の〈しるしある者〉が、〈月岩の子〉の血を引く者を成そうとしている」

「あー……それは」

 ミヴェルはまだ二十代の半ばだ。充分、若いと言える。だが、もっと若い娘が騎士と(しとね)を共にし、彼女は――。

(捨てられた)

(下世話に言や、ヤリ捨てられたってことか)

「酷え男だ」

 思わず、彼は呟いた。ミヴェルは顔を上げ、キッとジョードを睨んだ。

「〈月岩の子〉は、究極の、選ばれし者だ! 石女(うまずめ)などを相手にしている暇はない!」

「まあ、待て、待てよ、落ち着け」

 ジョードは両手を上げた。

「悪かった。嫌な話、させたな。悪かったよ」

 いつも気軽に謝るジョードだが、このときばかりは心の底から謝罪をした。

「エククシア様のお相手は、ライサイ様がお決めになることだ。私は、それに従っただけ」

 声を抑えて、女は語った。

「いまはこうして、一族のためとなり、エククシア様の助けとなるべく、働いている。私は、それだけで」

 言葉が切れた。ジョードも黙った。

(こいつ)

(それでも……あの騎士のことを)

 好いているのだ。女として。

 ジョードは胸が痛くなるのを感じた。

(ちくしょう)

(何だか、悔しいな)

 気になる女は心も身体もほかの男のものという訳だ。二度の口づけで引き出した話はジョードとミヴェルのどちらにも痛かった。

 十代の少年のように「失恋した」などと落胆はしないものの、「何だか悔しい」。

 ライサイから逃げられないとミヴェルが言うのは、彼女も同じ一族だからだ。

 そして、逃げる気はない、と言うのは――エククシアに惚れているから。

 報われそうにない恋。

(――可哀想に)

 ジョードの内に浮かんだのは、そんな思いだった。

(どうにかしてやりたいな)

 何故、そんなことを思ったのか。ジョードは自分でも判らなかった。

 ミヴェルに惚れているならば、エククシアを諦めさせようと考えそうなものである。だが彼の考えは、そういう方向に向かわなかった。

 と言っても、エククシアとの間を取り持とうなどと言うのではない。騎士の態度を見ていれば、そんなことは不可能だと判る。

 だからそうではなかった。

(あいつじゃなくて)

(ほかを見るように)

 もちろん、自分でもいい。だが、そうでなくても。

(世界は広くて、男は星の数ほどいるんだって)

 ジョードはこのとき、まるでミヴェルの兄でもあるかのように、そんなことを考えていた。

「よし」

 ジョードはぽんと膝を打った。

「なあ、ミヴェル」

「……何だ」

「やっぱり、飯を食いに行こう」

 片目をつむって、ジョードは言った。

「ここで閉じこもってても仕方ない」

 世界は、広いのだ。

「ほら、あれよ。同じびびるなら、腹ぁ満たしてからの方が、少しは気楽」

 盗賊は笑って、そう言った。ミヴェルは顔をしかめる。

「だから、それならお前だけ行けと」

「あんたもくるんだ」

 盗賊は女の手を無理矢理取った。

「放せ」

「いいや」

 にやりとしてジョードは続けた。

「くるんだ。さもなきゃ、もっかい接吻するぞ」

 その脅しにミヴェルは目をしばたたき、それから顔をしかめて、実に嫌そうに立ち上がった。


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