08 不可能を可能に
「――エククシア殿のこと、タイオスに言わないといけないな」
「エククシア殿がどうなさったのですか」
「うん。それがね……」
監禁中、〈青竜の騎士〉の声を聞いた。その話を戦士にする暇がなかった。タイオスは忙しく協会へ行ってしまったし、彼は休めと言われた。
「ぼく」
「望むのであれば連れよう。カル・ディアの外へでも、墓参でも」
リダールはびっくりして目を丸くした。ハシンも目を見開き、そこにいなかったはずの人物を眺めた。
「エ、エククシア殿!」
「どうやって、ここに」
ハシンは慌てて、どうしていいか判らないようだった。
「リダール。迎えにきた」
「え……え? ど、どうして」
少年は寝台の上に後ずさりをした。
「夜明け前に出立だと言ったが、早めることにした」
騎士は彼らの動揺にかまうことなく、寝台に足を進めた。
「エ、エククシア殿でいらっしゃいますか」
彼の顔を知らぬハシンは、しかしリダールが言うのであればそうなのだろうと額をぬぐった。
「あの、失礼ですが、リダール様はただいまお休み中でして」
尋常でない現状に尋常に対処しようと、使用人は来訪者に向かった。
「お約束もないことですし、どうか外で」
しばらくお待ちを――というようなことを真っ当な感性を持つ初老の男は言おうとした。しかし状況は、少しも真っ当ではなかった。
使用人を振り向きもしない騎士に、焦ったハシンが追いついてその腕を取った次の瞬間、彼は部屋の反対側まで吹き飛ばされていた。
「うぐっ」
「ハ、ハシン!」
少年は叫んだ。初老の使用人は頭でも打ったか、その場にぐったりと崩れ落ちた。
「邪魔をしなければ、これ以上は何もしない」
囁くような声音で淡々と、エククシアは言った。
「リダール。お前もだ」
「ぼ、ぼくは」
少年は寝台の上に座り込んだままで後退するという、あまり役に立たないことをしていた。
「どういうことですか、やっぱりあなたは、あの悪人たちと一緒にいたんですか」
「聞いていたのか」
「少しだけ……」
彼は認めざるを得なかった。
「でも、意味が判りませんでした。ライサイとか、北とか」
ごくり、と少年は生唾を飲み込んだ。
「――フェルナーが戻る、とか」
慎重に彼が言えば、騎士の口の端が引っ張られた。笑ったのだろうか、とリダールは判断に迷った。
「それを聞いたか」
エククシアの手が伸びた。リダールは身を縮ませたが、やはり役に立たなかった。
「タイオスには、話したか」
「ええ?」
思いがけず戦士の名を耳にして、少年は目をしばたたいた。
「いえ、何も……」
「そうか」
男はただうなずいた。
「そう。フェルナー・ロスムは戻るとも。リダールよ、友に会いたいか?」
「で、でも」
リダールはその手を振り払おうとした。もちろん、無駄だった。エククシアは剣を握る強さで、少年の手首をしっかりと捕まえていた。
「フェルナーは、亡くなりました」
「そうだな」
エククシアはうなずいた。
「死者の戻るはずはない、と」
「も、もちろんです」
「だが、時に世界は、神秘を見せる」
騎士は続けた。
「ライサイには力がある。お前の友を冥界から呼び戻してやることができる」
「まさか、そんなこと」
「嘘だと思うか? 口から出任せと?」
「だって、有り得ません」
死者は帰らない。いくらリダールが幼く見えようと、それくらいのことは判っている。
「いったい、何を言っているんですか」
「ライサイの力は、不可能を可能にするということ」
エククシアは不意に、力を強めてリダールを引っ張った。
「あっ」
少年はやわらかい布団の上に前方から倒れ込むと、そのまま引きずられた。
「やめて、やめてください!」
「友に会いたくはないのか」
「フェルナー……」
記憶が蘇る。たった十二歳で。いや、十二歳の誕生日を迎える前に、不幸な死を迎えた友人。
会いたくないはずがない。
だが、会えるはずも、ないのだ。
「お前が私と一緒にやってくるなら、フェルナーは戻ってくるだろう」
「そんな馬鹿な……」
少年にはとても信じられなかった。信じられなくて当たり前だと思った。
「リダール・キルヴン」
〈青竜の騎士〉が彼の名を呼ぶ。
「私とともに、フェルナーをこの世に戻す手伝いを」
「手伝い……?」
思いがけない言いように、少年は戸惑った。
「その通りだ」
騎士はうなずいた。
「お前が必要だ」
「え……」
少年はどきりとした。
いまだかつて、言われたことのない言葉。
「私を」
エククシアは再びリダールの手を引くと、引き寄せた。
「信じろ」
黄色と青の瞳が、おどおどした濃茶の瞳と合わさった。
くらり、と少年は目眩を覚えた。
(怖い――)
(でも)
必要だと。
除け者にばかりされてきた少年にとって、それは強い誘惑だった。
リダールの身体から、逆らう力が抜けた。エククシアが再び、かすかな笑みらしきものを浮かべた。
少年はふらふらと、その手を取った。
〈青竜の騎士〉の口の端が上がる。
それは笑ったものと、今度は少年にも判った。
「ぼ、坊ちゃま……」
そのときだった。使用人が弱々しく、主の息子を呼んだ。そこでリダールは、はっとなる。
(ぼくは)
(何を)
この男は、彼の使用人を暴力的に扱った。騎士などという呼び名に惑わされていたのだと、そう確信したのはたったいまのことなのに。
「駄目です、ぼくは行かない」
リダールは手を放した。
「誰か! 誰かきて!」
少年は叫んだ。
「聞き分けのない」
子供に言うような調子で、エククシアは眉をひそめた。
「そのようにお前が意地を張れば、害を被る者があると知れ」
「何を」
尋ね終えるまでにも至らなかった。男の手は腰へ伸びたかと思うと、そこから引き抜かれた小刀が矢のように飛び出した。
トスッ、と不気味に軽快な音がして、ふらふらと壁に手をつきながら立ち上がったハシンの左手と壁が、小刀でつなぎとめられた。
使用人は一瞬動きをとめて、それから絶叫した。
「余計な真似は、するな」
「ハシン、ハシン!」
リダールもまた悲鳴を上げた。これだけ大きな声に、誰も気づかないはずはなかった。すぐに、護衛兵がやってくるはず。
「これ以上、私に無駄な時間を送らせる気であるならば、怪我人が増えることになろう」
凄むでもなく、エククシアは静かに言った。
「もっと怪我人を出したいか、リダール。それとも死人を」
「死」
自分が親しい者は、みな死んでしまうように思ったことが。
少年の顔は強張り、騎士はそれを見落とさなかった。
「リダール。ここにいても、お前によいことはない。王宮では除け者、親友ももういない。だが」
エククシアは優美に手を動かすと、リダールのあごに指をかけて上向かせた。
「私とやってくれば誰も傷つかず、友も戻ってくる」
「フェルナー……」
「そうだ、フェルナー・ロスム」
黄色と青の瞳が再び、少年の濃茶のそれを捕らえる。リダールは目眩を覚えた。
「彼を取り戻したくはないか」
(フェルナー)
(ぼくが)
(ぼくが必要だと)