01 これまで巧くやってきた
いつもであれば、極力足音を立てぬようにする。それは盗賊として生きてきた彼の癖になっていた。
だがそのときのジョードは、ばたばたと慌しい足音を立てて階段を駆け下りた。こけつまろびつ、半地下室の扉を開ける。
「ミヴェル!」
叫んで部屋に飛び込んだ彼は、心臓が口から飛び出すかと思った。
「何だ。ジョードか」
黒髪の女は鼻を鳴らして、彼に突きつけた短剣を引いた。
「脅かすなよ」
男は息を吐く。
「お前が決まりも守らずに飛び込んでくるからだろう」
女は冷静に指摘した。
「驚いたのは私だ。何者かに嗅ぎつけられて……ライサイ様にご迷惑をかけるかと」
「それだ」
ぱちん、とジョードは指を弾いた。
「詳しい話はあと。ガキを連れて、早くここを出よう」
男が言えば、女は片眉を上げた。
「お前は、いったい何を」
「道すがら話す。いいから、ガキをいつものでかい袋に入れて、ここを出る。裏で、見られた」
ジョードとしては簡潔に説明を混ぜ込んだつもりだったが、ミヴェルには支離滅裂に聞こえた。
「見られた」
彼女はそこを繰り返し、かっと顔を赤くした。
「見つかったと言うのか! 誰に。町憲兵? それとも」
「リダールの護衛戦士さ。〈青竜の騎士〉が逃がしちゃくれたが、どういう流れになるか判らん。とりあえずここを出て、明日の朝のことはまた考えるんだ」
言いながらもジョードは、リダールを引っ張りあげた。
「ん……なに……」
「やべえ。起きそうだ。ミヴェル、もっと、薬」
「落ち着け、みっともない」
顔をしかめながら、女は鞄から薬瓶を取り出した。
「まずはこっち」
ミヴェルが軽く投げたそれをジョードは上手に受け止めた。細い瓶に黄色い液体が入っていることを確認すると、盗賊は素早く栓を開けて中身を飲み干した。
「次」
「ほら」
続けてミヴェルが緑色のふたつ目を放る。同じように開けたジョードは、中身をリダールの顔に塗った。
「ミヴェルも予防したか」
「ああ」
女は顔をしかめながらうなずいた。
「北へ向かうとなると、いつまでも薬で眠らせておく訳にもいかないだろうが……その辺りは何かご指示があるのか、われわれで考えなくてはならないのか」
「そんなことを考えるのもあと、あとだ」
男は手を振り、寝台の足下に畳んであった大きな袋を取り出すと、えっちらおっちらと少年をそのなかに入れた。
「くそ、せっかくいろいろ買い物したのにな。あんまり持ってけねえや。運がよけりゃ取りに戻れるだろうが」
「戻らないつもりなのか? 明日、仮面殿が迎えにくると」
「その前に町憲兵隊がくる。少なくとも、エククシアが裏であいつをぶっ殺してない限り、あの戦士は絶対にくる」
言いながらジョードは、リダールを背負い上げた。
「逃げなくちゃ」
「どこへ」
ミヴェルは渋面を作った。
「明日の朝には……」
「北だろ。判ってる。だが、こういう事情で発っちまうってことは、ライサイ様や仮面野郎やエククシアには判るんだろうさ。とにかくすぐにここから」
「発つだって? もう出るつもりなのか」
「とりあえず潜伏でも何でもいい!」
ジョードは怒鳴った。
「見つかったんだよ! 俺のせいだ、文句でも何でもあとで聞くさ。いいから」
男はミヴェルを促した。その必死さはようやく女に伝わり、彼女は急いで持てるだけ荷物を持った。
「いくらか目立つが、裏には奴がいるからな、表からだ」
「判った」
ミヴェルももう「明日の朝」云々について続けることはせず、素直にうなずいた。
「大荷物」を抱えて〈幻夜の鏡〉を出ると、彼の危惧したようにどうにも目立った。
港近くででもあれば、もっと大きなものを抱えて船と倉庫の間を行き来する人間も多い。だがここは中心街区で、店舗への納品などは裏口から行うのが常だ。
加えて太陽の真下であれば、彼の「荷物」が人間のようだ、或いは人間だと気づく者もいるかもしれない。
ジョードは、何も不審なことなどないとばかりに平然とした表情を保ったが、歩調は不自然に速かった。ミヴェルは小走りでついていかねばならなかった。
「どこへ行く」
「そうだな……北街区に、知り合いの宿がある。そこでひと晩過ごして、早朝、こっちに様子を見に戻るってのはどうだ」
「見張られていたらどうするんだ」
「それもそうだな」
うーむ、とジョードは考えた。
「ミヴェル、あんたから仮面に連絡は取れないのか」
「私は、お言葉を待つだけだ」
「状況は騎士様が知ってるから、どうにかしてくれんじゃないかと思うが……」
彼は他力本願なことを呟いた。
「ライサイ様からお言葉があるとは思えない」
ミヴェルは呟いた。
「エククシア様か、仮面殿に……ご迷惑をおかけすることに、なってしまう」
「そんなにへりくだるなよ」
自らが尾行されたことは棚に上げて、痩せ男は慰めるように言った。
「なるようになる」
「いい加減だな」
「くよくよ悩んでも、仕方あるまい?」
「お前は楽天的だな」
ミヴェルは息を吐いた。
「あんたは考えすぎなんだよ」
ジョードは一蹴した。
「仕事を請け負う。途中で問題が起きたら、全力で対処する。最終的に果たせりゃ、それでいいんだ」
「――果たせれば、な」
「訂正、『悲観的』と言い直そう」
男は笑った。
「俺と組んで、これまで巧くやってきたじゃないか。今回だって同じさ」
「組む?」
女は片眉を上げた。
「私は、お前と組んだ覚えなどない」
「冷たいことを言ってくれる」
ジョードは唇を歪めた。
「ふたりで一緒に仕事をする、これを組んでると言わなくて何と言うんだ?」
「お前は、雇われているだけだ」
「そりゃあな。でも、あんたに雇われてる訳じゃない。金は、あんたじゃなくてライサイから」
「様」
「ライサイ様から出てるんだろうに」
仕方なく言い直しながら、ジョードは指摘した。ミヴェルは黙る。