11 見せてもらった
「何」
エククシアこそが驚き、一瞬、反応が遅れた。その隙にタイオスは、刃の切っ先から離れた。
動けた。
「へ、へへ。気の毒になあ、当てが外れたかい、〈青竜〉さんよ」
タイオスは不敵に笑って見せた。
「いまになれば、判ったようだ。お前が俺を『その程度か』といったのは、魔術に対して耐性を持たない程度なのか、というような意味だったんだな。だがお生憎。〈賢い狼は弱ったふりができる〉って言葉を知ってるかい」
「つまらぬはったりを」
エククシアはすぐに冷静さを取り戻した。
「あのとき、魔術にかかったふりをする意味などない」
リダールがさらわれるのを黙って見ているはずがなかった、と騎士は指摘した。
その通りである。タイオスは顔をしかめた。
「可愛くねえな。少しは『何と凄い戦士か』とでも思ってくれよ」
「私はお前の腕など知らない」
囁くような声でエククシアは告げ、一歩退いた。
「いまのが偶然か、実力か。もう一度見せてもらおう」
エククシアは片手を上げた。仮面男が何か手を動かすのが、かすかにタイオスの視界に入った。
ぴし、と足が石になったような感覚が走る。
「同じ手に、何度もかかるかあっ」
タイオスはもう一度、護符に念じた。乾いた粘土が割れるように、戒めの解ける感じがある。
不思議なことに、誰かが――護符が――手助けをしてくれたのではなく、自分でやったという感覚があった。
「どうだ、まいったか」
それほど威張るところでもないが、タイオスはふふんと鼻を鳴らした。
「成程」
〈青竜の騎士〉は呟いた。
「それが……〈白鷲〉の護符の力か」
「何?」
タイオスは目をしばたたいた。
「何で……」
護符の話など、エククシアが知るはずはない。キルヴンは知っているがロスムにそんな話はしていないし、キルヴン邸の使用人だって知らないはずだ。この騎士に伝わるはずもない。
「てめえ、どっからその話を」
特別な秘密という訳でもないが、知られているのは何となく不気味な感じがした。
「シリンドル。それに〈シリンディンの白鷲〉。調べれば、何でも判る」
それはかつて彼がシリンドルの騒動に巻き込まれたばかりだった頃、魔術師に生まれ育ちなどを調べ上げられた際に言われた台詞と一緒だった。
「何だか、腹が立つな」
ぼそりとタイオスは言った。
「てめえの素性を明らかにしろ、てめえの」
別に知りたい訳でもないが、向こうからばかり「知っているぞ」と言われては、心が弾まない。
「私は、エククシア。〈青竜の騎士〉だ」
「そんなことは」
知っている、と言いかけたタイオスだったが、エククシアが細剣をかまえ直したのを見て言葉をとめた。
「何の真似だ」
「知れたこと」
エククシアは彼に向かってまっすぐに立った。
「神秘の護符を持つ〈白鷲の騎士〉よ。その実力を見せてみろ」
「おいおい」
タイオスは渋面を作った。
「俺ぁ、街なかでちゃんばらやる気はないぜ」
仕掛けられれば自衛のために応戦しても罪でないものの、乗り気はしない。若い頃なら熱くなってすぐさま剣を抜いたかもしれないが、いまではとっさに計算が働く。
(騒ぎになれば、すぐに町憲兵がくるだろう)
(こいつと俺と、どっちが胡散臭く見えるかは、考えるまでもない)
町憲兵はタイオスから仕掛けたと判定するだろう。最終的に誤解が解けるとしても、それまでには悪い評判が立っている。カル・ディアでの悪評がコミンでの仕事に大きな影響を与えるとは限らないが、少なくとも現在の雇い主たるキルヴンには迷惑がかかる。
〈シリンディンの白鷲〉の名誉に比べればささいなものだとしても、ヴォース・タイオスにもそれなりに誇りがある。自分の悪評で雇い主の格を下げるような真似は、避けたいところだ。
「安心するといい」
エククシアは言った。
「町憲兵に邪魔をさせるつもりなどない。この小道には、誰も入ってこられないようにしてある」
その言葉にタイオスは、ちらりと仮面男を見た。仮面はじっと、彼らの話を聞いているようだった。
「魔術なんざ、信頼できるか」
「では、剣を抜かずに、実力を見せてみろ」
「んな無茶な……おいっ」
騎士はそれ以上、タイオスに返事をする気はなかった。素早く一歩を踏み出すと、躊躇いのない一撃を振るってきた。
タイオスは慌てて、大きくそれをよけた。
「冗談じゃ」
ないと言う間にも二撃目がやってくる。冗談ではないようだった。
(速い)
(噂通りの、いい腕してやがる)
初心者相手ならば、剣をかいくぐって投げ飛ばすくらいしてやる自信があるが、エククシアはそうではない。騎士という称号をどこから得ているのだとしても、権威ある誰かが国なり組織なりを賭けた名誉を与えてもかまわないと思うだけの実力があるのだ。
(名誉、名誉)
(そんなもん、クソ食らえだ)
だが期せずして、彼の両肩にかかっている名誉もある。望まなかったとは言え、退けもしなかった〈シリンディンの白鷲〉の。
(抜かずに下せりゃ、最高だがね)
三撃、四撃目を必死でかわしながら、タイオスは考えた。
(きついな)
相手はふたり。仮面は攻撃をしてはこないようだが、魔術で何をしてくるかは判らない。何もしてこなかったとしても、エククシアだけの隙をついて逃げることはできないという訳だ。
単純に、避け続けるのも厳しい。時間を稼いで援護がくるまで待つだとか、そういう状況でもないのだ。
(くそ、仕方ない)
(町憲兵がこないなんてのがもし嘘で、また俺の評判を落とすことになったらすまん、伯爵)
壁際に追いつめられる前に、反撃をしなくては。
タイオスは大きく退いて、左腰の剣に手をかけた。
しかし、彼が両足を開き、地面を踏みしめようとしたときである。
「うお」
一瞬、仮面の魔術師が何かしたのかと思った。
だがそうではなかった。
先ほど彼の体重が破壊した木箱の大きな破片が、彼の足の下に入り込んだのだ。
わずかな高低の差が、戦士の均衡を崩した。
そこに鋭く、騎士の細剣が突き出される。タイオスは身をひねってかわし、結果として、横から地面に倒れ込んだ。
(やばい!)
すぐさま起きあがろうとした。だが、間に合わなかった。タイオスの喉元に、細剣の切っ先がぴたりと当てられた。
「これが、お前の実力か?〈シリンディンの白鷲〉」
〈青竜の騎士〉は、どこか不満そうに囁いた。
「見せてみろ。神秘の護符の力を」
「何を期待しているんだか、知らんがね」
剣先を眺めて、タイオスは唇をなめた。
「あの護符は俺を導いたり、説教したりするだけで、すごい力を与えてくれる訳じゃないんだ」
「そうか?」
エククシアは片眉を上げた。
「だが神秘には、持ち主も知らぬ力というものが存在することもある。死を目前にして、初めて発揮されるような」
切っ先がタイオスの喉を押した。
「奇跡を祈れ。〈白鷲〉。私も――見てみたいのだ」
騎士はわずかに足を動かした。タイオスの喉を突こうと踏み込むための一歩だ。
終わりか、と中年戦士は思った。
(何ともまあ、半端なところで)
(すまんな、リダール)
「守る」も「助ける」も、口先ばかりになった。タイオスは心のなかでひ弱な少年に謝罪し、目を閉じた。
そのとき――彼は一ヶ所に熱を感じた。
(護符)
戦士はその熱源にすぐ気づいたが、それ以上のことは判りかねた。
だが彼には頭を悩ます暇も必要もなかった。
そこから矢のように光が飛び出したかと思うと、騎士の剣を弾き飛ばしていた。
青竜の姿が刻まれた柄はくるくると宙に回り、カン、と音を立てて街路に落ちた。
「な」
奇妙なことに――。
「ななな、何だ何だ何だ」
度肝を抜かれたのは、ヴォース・タイオスだけであった。
「いまっ、いまのは」
「〈峠〉の神の力、見せてもらった」
エククシアは、まるでこうしたことが起こると確信していたかのように、平然としていた。
「今日はこれで充分だ」
騎士は、くるりと踵を返した。
「おい、ま、待て」
立ち上がりながらタイオスは言ったが、聞こえぬとばかりにエククシアは歩調を緩めもしなかった。ゆっくりと剣を拾い、彼に背を向けたまま。
「待て! てめえ、何が充分だ。こちとら不足もいいとこ」
タイオスは大股にエククシアを追った。
「何を考えてる。何を知ってる。てめえ、何でも一方的に」
彼は騎士に追いつくと、その肩に手をかけた。
否、かけたと思った。
「――おい」
そこで戦士は目をしばたたき、それから思い切り、罵りの言葉を吐いた。
「一方的にも、ほどがある!」
〈青竜の騎士〉と仮面の男は、一陣の風とともに、その小道から姿を消していたのである。
(魔術。魔術師)
クソ、とタイオスは舌打ちをした。
こんなことになるのならサングを連れればよかった、と思った。
だが〈予知者だけが先に悔やめる〉という言葉の通り。未来を見る力など持たないタイオスが、運よくジョードを見つけて追いつめ、騎士と魔術師に制止されるなどという展開を予測できたはずがないのだ。
もちろん、護符の奇妙な力のことも。
『見せてもらった』
〈青竜の騎士〉の言葉が耳に蘇る。いったい、エククシアは何を見て、充分だと言ったものか。
(〈峠〉の)
(神の力)
何故エククシアは、〈峠〉の神などという、シリンドルの外では耳にしない名称を知っていたのか?
引っかかった。
だが。
(知るか)
タイオスはぶんぶんと首を振った。
(青竜も白鷲も、いまはお預け)
(とにかく、いまは)
「リダールだ」
戦士はそう呟いた。
〈幻夜の鏡〉。
やはりここに、リダール・キルヴン少年がいるのではないか。
タイオスはゆっくりと路地を戻ると、そこにエククシアが立っているとでも言うように、裏口の扉をきつく睨んだ。
護符がまだかすかに熱を持っているような感じがした。彼は腰の袋に手を伸ばしかけたが――気のせいだと、思うことにした。