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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第4章
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10 死にたかないんだよ

「ちくしょう」

 タイオスは舌打ちした。

「エククシア、てめえ」

 改めて〈青竜の騎士〉を振り向いたタイオスは、ぎくりとした。

 もうひとり、いる。

 騎士の背後から彼を伺うようにしている。そのために、いままで気づかなかったのか。

 それとも、たったいま、現れたのか。

「……気味の悪ぃ」

 タイオスは呟いた。

 端整な顔立ちをしたエククシアの後ろにいると、その人物の身につける金属製の仮面は、余計に不気味な感じがした。

「何だ、そいつは」

「何であろうと」

 エククシアは肩をすくめた。

「お前には関係がないな」

 今度は向こうがそう返した。と、タイオスは気づく。

(クソ、まただ)

(足が……)

 動かなくなっている。

「そいつが、魔術師か」

 黒いローブ姿である方がよほど慕わしい、と戦士は思った。

「この野郎。てめ、卑怯だぞ、エククシア」

 そうは言うものの、これは戦法だ。タイオスだって、味方に魔術師がいれば、こうしたやり方を採ることもあるだろう。判っているが、ならば仕方ないなどと思えるものでもない。

「やるなら、正々堂々と」

「みすみす護衛対象をさらわれ、泥酔して倒れたと噂を立てられても、騎士のつもりでいるか」

「どっちもてめえの仕業だろうが!」

 うなるようにタイオスは叫んだ。

「お前はいったい、何を考えてるんだ」

 前回のときと違って口が利けるのはせめてものことだな、と思いながらタイオスは声を発した。

「金で雇われてはいないとしても、ロスムと組み、リダールを誘拐して、その犯人とも組んでいる。何の利益が……いや」

 はっと、タイオスは気づいた。

誰に(・・)利益がある」

 そう尋ねると、騎士はかすかに笑った。

その通り(アレイス)。自らの利のために動くは、騎士ではないな」

「仕える誰かの、それとも、どこかの国のため、か」

 嫌な感じがした。初めてルー=フィンに会ったときに感じた狂信に、似ているような。

 いや、違う。

 ここにあるのは信仰ではない。エククシアは、シリンドルの民が〈峠〉の神を崇めるのとは違う方向で信念を持っている。

 ルー=フィンの行動は、神の御心に沿うためのものであり、彼なりの正義のもとに悪の王家を滅ぼすためのものだった。

 一方、このエククシア。

 誘拐への荷担には、正義という大義名分すらなさそうだ。(あるじ)のためならば、犠牲や悪事も厭わないという訳か。

 自らの正義を信じての邁進と、夢想のない冷徹なそれと、どちらがましかは判らない。タイオスからしてみれば、どちらも厄介。

 だが、銀髪の若者に対して効果があったような、ささいな挑発や喧嘩戦法はおそらく役に立たないだろう。ルー=フィンは結局のところ、ハルディールにあるような純粋なところも持っていたと言えるが、〈青竜の騎士〉に、それは望めそうにない。

「お前の目的はご主人様に利すること。それじゃ、ご主人様の目的だ」

 タイオスは続けた。

「誘拐にはどこから関わってる。最初からか」

 その可能性もあるのだ、と戦士は気づいていた。

「得た金は主人のところか。他人を脅して金を得る手伝いをする、大した騎士様もいたもんだが」

「その辺りで黙れ」

 ぱちん、とエククシアは指を弾いた。タイオスの舌は凍る。

「こ……」

(卑怯だぞ!)

「ぺらぺらと、うるさい。お喋り鳥(キャルー)のようだ」

(お前が、喋らんからだろうが!)

「私の番だ、タイオス。提案をしよう」

 エククシアは細剣をもてあそぶように、くるくると回した。

「今後一切、関わるな」

(何?)

「キルヴンから約束された報酬相当、いや、その倍額を出してやる。カル・ディアを離れ、リダールのことは忘れろ。悪い話ではないはずだ」

(あのなあ)

 声を出せないのがもどかしい。

(……クソ、無言は了解の証、なんて勝手なことは言うんじゃねえぞ)

「応か、否か。首を振るくらいはできるはずだ」

 言いながらエククシアは、足音を立てず、流れるような動きで裏路地を進んできた。

 それは、悪夢に似ていた。

 身動きの取れぬ自分に、どこか人間離れして見える相手が、冗談にも友好的とは言えない相手が、近づいてくる。

「応じればよし。拒否するのであれば」

 太陽(リィキア)の光に、剣先がきらめいた。刃が、首筋にぴたりと当てられる。

「判るな」

 何とも判りやすい脅迫でけっこうだ、とタイオスは他人事のように思った。〈起こした行動は何らかの形でいずれ自分に返る〉と言うが、つい何(ティム)か前にジョードにやったことが早速返ってこようとは。

(協会を訪れるのに胸当ては要らんと思ったが)

(さぼるもんじゃないな)

 愛用の鎧ならばこの辺りは守ってくれる。だが残念ながら、いまの彼の相棒は剣だけだ。

「ヴォース・タイオス。返事を」

(まだ死にたか、ないなあ)

 正直に彼は思った。

(この場は騎士様お望みの返答をしておくか。おそらく、〈白鷲〉が誓いを破りはすまいとでも考えてるんだろうが、それくらいの嘘に良心は痛まんね)

 だがいくらかの演技は必要だ。

 タイオスは憤りを込めてエククシアを睨み、卑劣な振る舞いに心の底から腹を立てているふりをした。

(――勝ち誇って笑ってでもいれば、可愛げがあるものを)

 騎士はにこりともせず、ただ、刃にかける力を強めた。

「誓え」

(やっぱり、そうきたか)

(「誓い」は神聖で絶対だと信じ込んでいる、これだから騎士なんて連中は)

 タイオスは恐怖に身をすくませる演技――はしなくても、実際、正直、いくらかは怯んでいたが――で、当てられた刃を警戒しながら、そっとうなずこうとした。

 だがそのときである。

 ぎゅっと、腰帯が引っ張られた気がした。

『タイオス』

 黒髪の子供は、そこにはいなかった。しかし、その声が、聞こえたように思った。

『駄目だ、タイオス』

(……いや、でも俺ぁ、まだ死にたかないんだよ)

 戦士は困惑しながら本音を心に呟く。

(護衛の仕事をしながら剣振り回して、その結果としてしくじるのは、いくらか仕方ないと思ってる。だがこんなふうに脅されて、のどを掻っ切られたくはない)

 彼はもっともなことを言ったつもりだった。

(嘘の誓いを述べるな、と言いたいのか?〈白鷲〉がそんな真似をするなと? だが死ぬよりましだし、本当に誓うよりもまし、この場はハイと言っておくが諦める気はない、唯一にして最上の選択じゃないか)

 どうして言い訳をしている気分になるのか。タイオスは理不尽なものを覚えた。

『タイオス。お前は、誓いの真の力を知らぬのだ』

(はあ? 何を……)

「誓わぬか。ただの脅しだと思っているのか?」

 エククシアは、冷たい刃を戦士の首筋に当てたまま、すうっと剣を引いた。嫌な痛みが走る。それから、傷口の熱と、流れる血の(ぬく)み。

 皮膚を少し切ったところで、人間は死なない。

 だがエククシアが切った薄皮は、往脈筋と呼ばれる場所の真上だった。そこを傷つけたら通常では考えられないほどおびただしい血を流し、容易に命を落とすことのある急所。騎士は嫌みなくらいの正確さで、あとほんの数ファインも深く切ればどうなると思う、と戦士に問いかけたのだ。

(答えさせたいなら)

(喋らせろや!)

 タイオスはそうした意志を込め、うなるように喉を鳴らした。それくらいはどうやら、可能だった。

「話をする必要はない。もう一度だけ訊く、タイオス。応か、否か」

『よく考えろ、タイオス』

 その場にするはずのない、声。

『ここでうなずくことで、何が失われるか』

 拒絶する方こそ、失うものがある。判りやすくも、命と言う。

(ええい、俺に「〈白鷲〉の名誉を守って死ね」とでも!?)

 冗談ではない。百歩譲って、「ご指名」は受けたのだ。シリンドルの騒動ではハルディールに与して戦い、大金持ちになれる好機を棒に振って報酬を断り、タイオスらしくなくも騎士らしく振る舞った。役目は十二分に果たしたはずだ。

 彼に〈白鷲〉の護符を持たせ続けたのはハルディールであり――〈峠〉の神。彼自身の意志ではない。だと言うのに、何を勝手なことを。

(……そりゃ、返上しようと思えば、できた訳だが)

 それは認めざるを得なかった。

(くそう、判ったよ、一方的に押しつけられただけじゃないことは認める)

(だが、それとこれとは)

 命あっての物種だ。死んでまで守る名誉など。

(あああああ! もう、クソ、ヴォース・タイオスにはそんな名誉なんてないが、〈白鷲〉にはあるってんだろ、こんちくしょう!)

(しかし、だからって)

 死ぬのも、ご免被る。

 ならば、どうすればいいのか。

 答えは――。

『立派な護符を』

『お持ちではありませんか』

 魔術師の言葉が耳によみがえった。

 菱形の大理石(オフェイン)。若木と白鷲の刻まれた、シリンディンの護符。

 〈白鷲〉の――彼の護符。

「なめた真似、しくさるんじゃねえっ!」

 タイオスは叫んだ。

 声が出た、と驚きはしない。出そうとして、出たのだ。驚くことではない。

 神の加護など願った訳ではなかった。ただ、護符に意識を集中した。

 これがサングの言ったような「使い方のコツ」なのかは知らない。判らない。

 ただ、成した。


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