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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第4章
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09 何を考えているのか

 戦士は焦って叫んだが、待てと言われて待つ泥棒のいるはずもない。タイオスは同じ台詞を繰り返すよりも相手の居場所まで追いついて、危険を承知で同じ木箱に飛び乗ることを選んだ。

 盗賊の倍近くありそうな彼の体重に箱枠は悲鳴を上げ、降参をした。つまり、バキボキと音を立てて、崩壊した。

 彼らの間にもう少し距離があったら、ジョードはタイオスをせせら笑い、猫のように狭い塀の上を走って逃亡を果たしただろう。

 しかしそうはならなかった。

 タイオスは箱が壊れることを考えに入れ、その上に立ち上がるのではなく、単に足がかりとして盗賊を捕まえようと目論んでいた。いくらか均衡は崩れるが、それを想定していれば対応は難しくない。

 何が幸いしたものか、何らかの神様が、または神様たち(・・)が、戦士の必死さを哀れみでもしたものか、タイオスの手はジョードの足首をしっかと掴んだ。

「うあっ、放せ! 落ちる――」

 もちろん、放せと言われて放す追跡者もいない。タイオスはそのままジョードを引きずりおろした。

 と言っても、彼自身、不安定で――文字通り――地に足が着いていない状態で成したことだ。すぐさま盗賊を押さえ込むとは行かなかった。ふたりはふたりとも、見ている者がいれば心配するよりも笑ってしまいそうな間抜けな格好で地面に落ちた。早く痛みから回復した方が勝ちだとばかりに、奇妙な姿勢で顔を歪めているさまは、喜劇の一場面だった。

 だが当人たちは真剣である。まず逃亡者が先に動いたが、彼は迅速さを重視するあまり、自身の負傷判定を怠った。思い切り地面を蹴った右足をひねっていたのだとそこで知ると、悲鳴を上げてその場で飛び跳ねる。場慣れしている戦士は、腰と肘を打ったが極端に流血したり折れたりはしていないと判定をしてからわずかに遅れて動き、飛び跳ねるジョードの足を容赦なく払った。

 それを避けられるのは凄腕の武術の達人か、或いは魔術師くらいであり、どちらでもないジョードはぐるりと回転させられて地面に叩きつけられた。

「余計な、手間ぁ、かけさせやがって!」

 タイオスは肩で息をしながら苦情を言った。

「年寄りを駆け回らすんじゃねえ!」

 剣を合わせるのであれば呼吸を整えながらもっと長い時間全力を出せるが、いまのようなやり方は通常、護衛戦士向きではない。

「くそ、放せや! 何だよ、いきなり! 俺が何をした」

「大したとぼけようだな、この腐れ野郎が。俺を見るなり逃げた、俺とどこで会ったか覚えてるからだろ」

「でかい図体で怖い顔してるおっさんを見たら誰だって逃げるわ!」

「何をう! てめえだって、若くてどうしようもないってほどじゃねえだろうがっ」

「俺は十代だっ」

「嘘つけ、この野郎」

 どう見たって二十五は越している。年上に見られる顔立ちというのでもなく、実際ジョードは、三十近い。

「つまらん冗談のために追いかけたんじゃねえぞ、〈ひょろ長ジョード〉」

 言ってやれば盗賊は、濃い色の肌には判りにくいながら、顔色をなくした。

「何だって」

「あんまり町憲兵隊をなめない方がいい。連中はちゃんとお前のことを掴んでる。誘拐犯の一味で、女子供を連れ去ってるのがお前だとな」

 少し脅してやろうとタイオスはそう言ったが、ジョードは信じなかった。

「嘘つけ」

 今度は盗賊がそう言う。

「それなら俺を捕まえてるのはてめえなんかじゃなく、制服のおっさんのはずだ」

「まあ、そうなるわな」

 捕縛だ罰金だ鞭打ちだ処刑だ――という方向性で脅すのは巧くなさそうだとタイオスはあっさり認めた。

「しかしな、町憲兵はジョードって盗賊野郎がどの付近を根城にしているかくらいは、確実に知っていた訳だ。置き引き、かっぱらい以上の罪を犯してるとなりゃ、今後カル・ディアで暮らしにくくなるだろうなあ」

「けっ、脅しのつもりかもしれんがな、証拠はあるのか、証拠は」

「俺がこの目で見た」

「見間違いだ、馬鹿野郎」

 ジョードは言い張ったが、タイオスをごまかせると思っている様子ではなかった。認めたら負けだとでも思うかのようだ。

意地っ張り(カンドロール)もほどほどにせんと」

 タイオスは両手でジョードの襟首を掴み、軽く絞めるようにした。

「苦しい思いをすることになるぞ」

「や、やめ……げほっ、放せ……っ」

 盗賊はあらがうが、戦士の力には敵わない。苦しげにむせた。

「リダールはどこだ」

「何の、ことだか……」

「この野郎」

 そう簡単にぺらぺら吐くとは思っていないが、白々しくとぼけられれば腹立たしい。タイオスは少しだけ、力を強めた。

「〈幻夜の鏡〉か。あの建物のなかか。おら、死にたくなけりゃ言えよ」

「知らん、ね……うぐぇ」

「おいおい。死んだら分け前にあずかれないぞ。リダールをさらって、金をもらうんだろ。せっかくお前が実行したのに、ここで意地を張って黙ったまま死んだら、お仲間が喜んでお前の分をぶんどって行くだろうな」

 黙秘に意味はない、とタイオスは言った。ジョードは答えないままだった。

「意外と、頑張るんだな」

 彼は正直な感想を述べた。

「ケチな盗賊だと聞いてたが、仲間を守ろうってのか。それとも首領が怖いのか。どっちにせよ、死んでまで守るものなんてなかろ」

 騎士じゃあるまいし、と〈白鷲〉と呼ばれる男は呟いた。

「なあ、ジョード。俺はあんまり、上手に脅すなんてことが得意じゃないんだわ」

 タイオスは少し手を緩めて言った。

「戦士業に就いて長いんでね。判るよな? 殺るか殺られるかの世界に二十年以上。器用に手加減なんて、できないんだ」

 そこで彼は思いきり、ジョードを引っ張り上げた。

「――適当に話してもらえんと、うっかりまじで、殺っちまうかもしれん」

 あからさまに凄んだ、というのではない。だが片手で長身の男を持ち上げてみせたのは充分な主張になり、もちろん、「得意ではない」脅しにもなった。

 気の毒に盗賊の顔からは、濃い色の肌にもはっきりと判るほど、血の気が引いた。

「リダールは、どこだ」

「あ……そ、それは……」

 ごくり、とジョードは生唾を飲み込んだ。

「そこまでだ、タイオス」

 背後から、彼の名を呼ぶ声がした。

 それは少し高めの、囁くような。

「――エククシア」

 タイオスはジョードの胸ぐらを掴んだままで、振り返った。黄色と青の瞳を持つ金髪の騎士が、抜き身の細剣を片手に、立っていた。

「おいおい」

 彼は呟いた。

「昼間っから街なかで、物騒な」

 夜ならいいというものでもなく、街なかでの抜剣は法度である。ジョードがリダールをさらおうとしていたときにタイオスは剣を抜いたが、仮に捕まっても、誘拐魔を捕まえるつもりだったのだという大義名分は立ったはずだ。

 しかし、いまのエククシアに何があるか。

 乱暴者――タイオス――が、善良な市民――ジョード――を脅しつけているのを諫めようとした、とでも?

 判らない。〈青竜の騎士〉が何を考えているのか。

 だがどうであれ、判ることもある。

(この野郎は)

(――敵だ)

 タイオスははっきりと、それを認識した。

「その男を放してやるんだな。脅し、痛めつけたところで、何も言わない」

「試してみなけりゃ判らんわな」

 ふん、とタイオスは鼻を鳴らした。

「これは俺の仕事だ。お前のもんと一緒じゃなかったようだが」

「私の仕事が、何だと言うのか?」

「知るか。少なくとも、俺と同じじゃないと言っているだけ」

「では、お前の仕事とは?」

「ふざけてるのか? 俺を馬鹿にしたいのか」

 彼は焦げ茶の瞳で相手を睨みつけた。

「リダールを守ることは、お前とこいつのおかげでしくじった。だからいまは、リダールを探して助けることが、俺のやるべきことだ」

「助ける」

 エククシアは肩をすくめた。

「誰かを助けることなど、できると思っているのか」

 その言葉にタイオスは、既視感を覚えた。

(聞いたことのある台詞)

(いや、あれは)

(……夢だ)

 今朝方に見た、夢。

『お前のような似非騎士が、誰かを助けることなど、できると思っているのか』

 夢のなかで〈青竜の騎士〉は、タイオスに向かってそう言った。そのあとで――。

『その目を見るな』

『呑まれるぞ』

 タイオスはきゅっと目をつぶって頭を振った。

「俺が何をどう思おうと、お前に関係ないだろうが」

 目を開けて、彼は言った。

「おい、ジョード。リダールは」

 引き続き、戦士が盗賊を問いつめようとしたときだった。しまった、とタイオスは手を放し、ぱっと身を引く。

 かろうじて、ジョードの抜いた小刀は、タイオスの腕を逸れた。

「ありがとよ、騎士さん!」

 痩せ男はエククシアに軽く手を振ると、敏捷に戦士から離れた。

「この、待ちやがれ、クソ盗賊っ」

 もちろん、待たない。ジョードは壊れていない別の木箱から悠々と塀に上り、その向こうに消えた。


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