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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第4章
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08 気が向いたら、加護をくれ

 当たり(レグル)か、それとも大外れ(ゴロンド)か。

 誘拐事件を調査する気がありながら目撃者である彼の言うことを信頼しない町憲兵隊を説得する手間はかけなかった。

 もし、彼らがとてもとても優秀な町憲兵隊であり、彼らが動けばすぐさま誘拐犯は逮捕され、リダールも無事に戻ると言うのであれば、協力は惜しまない。だが生憎、そんなことはなさそうだ。

 カル・ディア町憲兵隊はこれまで幾度も――魔術に邪魔されたせいであっても――犯人を逃している。そのことは彼らの心を煽ってはいるようだが、同時に、こう思ってもいるのだ。

 自分たちが無能なのではなく、犯人がそれだけずる賢いのである、と。

 彼らは、彼らの言うところの「ケチな置き引き野郎」なんかに自分たちが何度も出し抜かれたはずはない、と考えている。これ以上ないほど事実に肉薄したタイオスの目撃談は、動く価値のない話という訳だ。

 そうであればタイオスに、町憲兵を引っ張り出す理由はない。渋々とついてこられた上、いざというときに「民間人は引っ込んでいろ」などと言われてはたまらない。

 自分ひとりで探り、相手があまりに多人数であったり、公的な逮捕が必要なことになりそうだったら、それから改めて呼べばいい。いまは、情報をもらっただけで充分だ。

 タイオスは〈ひょろ長ジョード〉と呼ばれる男が何度か見られたという繁華街へ足を向けた。

 どれくらい時間をかけようか、先にキルヴン邸へ戻った方がいいだろうか、などとつらつら考えあぐねたタイオスだったが、幸運神(ヘルサラク)もたまには、彼に味方してくれる気になったらしかった。

(――いた)

 朝市の賑やかさと、昼飯時の煩雑さの狭間、人もまばらな商店街で、タイオスは見覚えのある痩せ男を確かに見つけたのだ。

 浅黒い肌をした男は酒屋の店頭で商店主らしき人物と何か話していたが、買い物は済んだあとと見え、ちょうど立ち去るところだった。

(おっと、まずい)

(こっちにくる)

 タイオスはさっと近くの小道に隠れ、ひょろ長い男が大荷物を背負って脇を歩いていくのをやり過ごした。少し距離を置き、尾行を開始する。

 正直、あまり得意ではない。追いかけて捕まえる、斬りつける、そうしたことならよくやるが、こっそりあとをついていくのは戦士の仕事ではない。

 しかしいまは、いきなり襲いかかっても仕方がない。いや、路地裏に引き込んで脅してもいいが、もう少し様子を見てからだと彼は考えた。

(巧くすれば)

(隠れ家までご案内していただける訳だからな)

 そう都合よく行くとは思っていない。ただ、都合よく行くといいなとは思う。

 もしジョードが尾行を警戒していれば、タイオスはすぐに気づかれただろう。こちらが向こうを見失わない程度に閑散とした大通りは、つまり向こうも彼を見つけやすいからだ。

 ジョードがタイオスの顔を覚えていなかったとしても、悪事を働いている自覚があるなら、振り返って大柄な戦士と目が合えばぎょっとして逃げるだろう。

 そうなれば彼の分野である「追いかけて捕まえる」という段階に進むことになるが、やるならもっと人気(ひとけ)のない場所、騒ぎになって町憲兵を呼ばれるような事態にならないところでやりたいものだ。もし痩せ男に仲間が大勢いれば、町憲兵とごちゃごちゃやっている間にリダールを連れて逃げられてしまうか、もっと酷いことになる危険性もある。

 タイオスは運を天に任せてジョードのあとを尾け、意外な場所に出た。

(ここは、〈青薔薇の蕾〉の近くか)

(いや)

 彼は首を振った。

(〈幻夜の鏡〉の近く、だな)

 昨夜、エククシアに呼び出された娼館。

(おいおい、まさか)

 タイオスは乾いた笑いを浮かべた。

(あの娼館に、リダールがいるなんてことにならないだろうな!?)

 まさかと思った。そんなことがあれば、〈青竜の騎士〉は誘拐犯と手を組んだ上、リダールの護衛たるタイオスを彼らの隠れ家にわざわざ呼び出して薬を使い、殺すでもなく放り出したということになる。

 そこにエククシアの、または誘拐犯の利点など見つからない。偶然だ、とタイオスは考えた。

 だが――。

(おいおい)

 ジョードは〈幻夜の鏡〉の裏に回ると、慣れた様子でそこに入っていった。タイオスは呆然とする。

(まじか!?)

 彼は、昼間でもけばけばしい様相の娼館を眺めた。

 ここに少年がいるのであれば、昨夜のタイオスはずいぶん馬鹿にされたということになる。

(クソ、入られる前に捕まえるべきだったか)

 どこかの宿の一室、空き家の地下、そうした場所に向かうのではないかと想定していただけに、行き先を突き止めてからと思った。繁華街から離れれば、脅すことも考えた。

 しかしそうではなく、昼間でも人通りが完全に途絶えることのない中心街区(クェントル)の、営業前とは言え館内に何人いるか想像もつかない大きな娼館。

 どうしたものか。

 タイオスはいくつか案を考えてはすぐに不備を思いついて却下することを繰り返した。真正面――ここは裏だが――から乗り込むも、町憲兵を呼びに行くのも巧くない。

(サング)

 魔術師のことを思った。サングがいれば、この館のなかに少年がいるかどうか、判るのではないか。

(クソっ、俺の方では、あいつがどこにいるのか判らん)

 向こうが彼に連絡を取る、という流れにしかしなかった。だいたい居場所が判っていたところで、タイオスは戦士であり魔術師ではない。魔術を使って魔術師に呼びかけることなどできないのだ。

 苛々と中年戦士がその場で足踏みをしたが、何と幸運神はまだ彼を見放していなかった。

 閉じた扉がまた開いて、ふたりの人物が姿を現したのである。

(……こりゃ)

 タイオスはとっさに物陰に身を隠し、それからうなった。喜んでいいのか憤っていいのか判らなかった。

大当たり(レグルーラ)と手を叩くと同時に、俺の先見のなさを呪いでもするしかないな)

 長身のジョードが紳士的にも扉を開けたままに保ち、その奥からひとりの女が現れた。

 間違いなかった。

 それは、〈狐の影絵〉亭でエククシアの手を取り、この娼館の一室でタイオスに薬を吸わせた黒髪の女――ミヴェルであった。

(ジョード、あの女)

(それからエククシア)

(くそう、何がどうなってる!?)

 タイオスは頭が混乱しそうだった。判らないことだらけだ。

 しかし、判ることもある。ジョードは間違いなくリダールを拐かした男であり、エククシアは間違いなくジョードと関わっている。

 実際にはミヴェルこそが拐かしに関わっていると言えたが、タイオスはそこを知らない。女は彼らの手駒であると考えた。

 黒い肌の男と黒い髪の女はその場で少し言葉を交わし、女が何か言って男が天を仰いだ。タイオスは迷う。ほかにも仲間がいるとすれば、ここで彼らを押さえることは却ってリダールに危険を招きかねない。

(リダール、リダールだ)

(俺はあいつの安全さえ確保できればいい)

(そうするためには、ここでじっと見てたって埒があかんな)

 彼はうなり、幸運神ヘルサラクと戦士の神ラ・ザインに祈りを捧げた。

(〈峠〉の神には、祈っても仕方ないか?)

 かの神が守るシリンドル国とは、何の関わりもないことだ。キルヴンの手紙を読んだときにあった黒髪の子供の顕現は、前〈白鷲〉サナースとのつながりを示唆しただけだろう。今朝の夢にも現れたが、夢は夢でしかない。眠りの神パイ・ザレンの悪戯だ。戦士はそう判定した。

(だが、まあ)

(気が向いたら、加護をくれ)

 いい加減な祈りをして、タイオスは護符のしまってある袋にそっと触れた。

 きゅっと唇を噛み締めると、戦士は一歩を踏み出す。

 何か素晴らしい名案が浮かんだ訳ではない。戦士らしいと言うのか、出たとこ勝負、と思ったのだ。

 ヘルサラク、それともラ・ザインか、或いはシリンディン、果たしてどの神が彼の祈りを聞いたものか。ちょうどその瞬間にミヴェルは引っ込み、ジョードだけが残った。

「よし」

 彼は呟いた。女に悲鳴でも上げられれば厄介だが、その心配はなくなったのである。

「……げっ!?」

 気づいたジョードは茶色い目をしばたたいた。

「お、お前、な、何で」

 盗賊が戦士の姿に泡を食う間に、タイオスは距離を詰める。ジョードはきょろきょろと辺りを見回して逃げ道を探した。

 戦士には幸運、盗賊には不幸なことに、道の奥は紛う方なき袋小路であった。

 ジョードは、しかしそれでも行き止まりに向かって逃げる努力を開始した。何か妙案があったと言うよりは、盗賊の本領――逃亡は彼らの本能である。

 一方で、向かってこられようと逃げられようと、標的を退治するのが戦士だ。こそこそ尾行するより思い切り追いかける方がどれだけよいか、とタイオスは地面を蹴った。

 ジョードの逃げ足、言うなれば逃亡技術は、なかなかだった。

 所詮、袋小路、〈檻に飛び込む兎〉と思ってにやりと捕獲を確信したタイオスは、ぎょっとする羽目に陥る。

 と言うのも、ジョードは乱雑に置かれたごみのような木箱にぱっと飛び乗ると、敏捷な野良猫よろしく飛び上がり、石の塀に手をかけて器用に登ってしまったのだ。

「て、てめ、待てっ」


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