07 心当たりがない
「あー、ちょいと訊きたいんだがね」
「こりゃ、珍しい客人だな」
と中年戦士を見て片眉を上げたのは、黄土色の制服を着た、タイオスと同年代ほどの町憲兵であった。
「ご立派な剣を持った戦士さんが、まさか下町のガキに財布をすられたと陳情に?」
「幸いにして、そうじゃない」
タイオスはひらひらと手を振った。
町憲兵隊の詰め所には、もちろん、町憲兵がいる。
入り口のところにひとりかふたりが待機していて、どこそこでこういう被害が遭ったという話に耳を傾け、必要ならば調査をして罪人を追い、捕縛をする。
というのは大筋で間違いではないが、カル・ディアのような大都市となると、ちょっとした事件は日常茶飯事だ。掏摸程度では、町憲兵は指一本だって動かさないことも珍しくない。
「テレシエール一味のことだ」
そう切り出すと、町憲兵は顔をしかめた。
「何だって? しばらくこっちじゃ静かにしてるが、またふざけた予告をしてきたのか?」
町憲兵は天を仰いだ。ハシンから話を聞いていてよかった、とタイオスは思う。ここで「予告って何だ」などと尋ねてしまっては、出鱈目を言っていると思われるだろう。
「お前、どこの屋敷の護衛だ」
次には町憲兵はそう問うた。
「仔細を話せ。大盗賊気取りのあの阿呆は、いつどこの何を盗むと言ってきたんだ」
「いやいや」
タイオスはまたしても手を振った。
「生憎、と言うのかね。そうじゃない」
「違う? なら、何だ」
町憲兵は自分が勘違いをしたにもかかわらず、まるでタイオスが嘘をついたとでも言うように、じろりと戦士を睨んだ。
「情報がほしいんだよ」
「訪れる場所を間違えているようだな」
町憲兵は鼻を鳴らした。
「ここじゃなく、路地裏で、金さえ出せばあることないこと喋る奴を探せ」
官憲のこうした態度には慣れっこだ。彼は町憲兵に腹を立てることはなかった。
町憲兵というのは法の番人であり、公正を期す〈ラ・ザインの使徒〉であることが本分だ。だが、現実的にはそうも行かない。
どこの街でも彼らは「威張りくさっているばかりで仕事をしない」などと言われ、王のおわすカル・ディアでは皮肉を込めて「王の犬」などと呼ばれることもある。上の言うことには尻尾を振るが、飼い主以外が呼んでもこないし、牙を剥いたり噛みついたりすることもある、というような意味合いだ。
なかには真面目で人当たりのいい町憲兵もいるものの、少数派。或いは、本分を守る立派な町憲兵よりも、横暴で権力を笠に着る町憲兵の方が悪目立ちする。
人々は彼らを「いざというときに頼りになる」と考えもするが、たいていは「威張り散らすばかりの高慢ちき」と考える。真面目な者には気の毒ながら、多かれ少なかれ、どこでもそういう傾向は存在した。
タイオスの場合、依頼人を町憲兵の手から守ることだって仕事になり得る。
明らかに法に触れることはやらないものの、依頼人が彼を上手に騙すことも――報酬如何によっては、騙されたふりをして乗ることも――ある。それこそ臨機応変だ。
町憲兵は敵ではないが、必ずしも味方ではない。
それを理解していれば、いちいち腹は立たなかった。
「場合によっちゃ、情報屋連中も有用だがね。『ないこと』を売りつけられちゃかなわん」
タイオスは肩をすくめた。
ここがコミンならば〈痩せ猫〉プルーグか、ガインウェンを雇う。だが幸か不幸か、このカル・ディアに知った連中はいない。いたところで奴らは自分の近所のことしか知らないのだから、役に立たない。
余所の街のことは、噂話程度。だと言うのに、たいそうな事実を握っているふりでふっかけてくる。
伸るか反るか、そうした駆け引きも情報屋とのつき合いには必要だ。しかしいまは、不確かな噂に踊らされる時間はない。
そんな時間があるときというのも、滅多にないものだが。
「重要な話だよ、町憲兵の旦那。俺はナイシェイア・キルヴン伯爵に雇われてる」
それは隠しごとでもないので、彼はまず本当のことを言った。
「あちらの方々を」
と、彼は大雑把に王城の方面を指した。
「困らせてる誘拐事件があるだろう」
「……それがどうした」
未解決なのは町憲兵の怠慢だ、と糾弾されるとでも思ったのか、町憲兵は思い切り眉をひそめた。
「テレシエール一味が噛んでる可能性がある」
さらっとタイオスは言った。
エククシアの口にした名前だった。あの騎士の言うことなど信頼できないが、数少ない手がかりのひとつだ。
タイオスを騙そうとしたのであっても、何故そんな盗賊団の名前を出したのか。
そこに何か、彼が知っておくべきことはないのか。
「馬鹿なことを」
町憲兵は一蹴した。
「奴らは拐かしと脅迫なんぞやらない」
その評価はハシンのものと同じだった。ハシンはともかく、町憲兵が否定から入るようでは解決する事件もしないかもな、と戦士はこっそり考えた。
「奴らがやったとは言ってない」
タイオスは方向性を変えた。
「だが、奴らの仲間に似た男を見かけたんだ」
「何だと。どこでだ」
少なくとも捕まえる気はあるんだな、などと思いながら、タイオスはあごを撫でた。
「話をしたくてきてるんだが、とりあえず、椅子でも勧めちゃもらえんかね」
それからタイオスは、詰め所の奥で数名の町憲兵を相手に、ざっと経緯を話した。
もちろん、囮だの騎士だの何だのというような詳細は言わない。キルヴン伯爵の息子の護衛をしていたが魔術にやられて逃したという、言いたくないが本当の話の一部だけだ。
町憲兵は、リダール少年拉致という出来事には色めき立ったが、それを連れ去った男がテレシエール一味ではないかというタイオスの話には首を振った。
「奴らじゃない」
「かもな」
タイオスは肩をすくめた。
「じゃあ、テレシエール一味じゃなくてもいい。心当たりがないか訊きたい」
ぱちん、と戦士は指を鳴らした。
「黒く灼けた、船員みたいな肌色の、燐寸みたいにひょろっとした男のこと」
「ああん? そんなのは、港に行けばいくらでも……」
「それならまさしく、〈ひょろ長ジョード〉のことじゃないか?」
ほかの町憲兵は口を挟んだ。
「テレシエールがどうとか言ってたろ。あの置き引き野郎、たまにテレシエールとも組むからな」
「ジョードか。いや、だが」
関係ないだろう、ともとから話をしていた町憲兵が言う。
「さてね。関係ないかどうかは調べてみなきゃ判らんだろう」
と、いちばん町憲兵らしいことを言ったのが戦士であった。
「だがなあ……」
町憲兵たちは目を見交わした。この話では、動くのに根拠が足りないというのであろう。
「ま、旦那がたにはほかにも大量の事件がいっぱいだ」
タイオスは肩をすくめた。
「そのジョードとやらの縄張りを教えてもらえれば、そいつかどうか俺が見てくる。確信が持てたら、旦那がたにきてもらうよ」