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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第4章
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02 お前は間違っている

(――騎士)

(それじゃ、やっぱり、この声は)

「どうかどうか、平にご無礼をお許しくださいませ、偉大なる〈月岩の子〉……!」

「かまわぬ」

 囁くように、声は言った。

「知恵なき者が知恵なき態度を取ることに腹を立てる者はいない」

 そう、少年はその声に、聞き覚えがあった。

 囁くようであるのに、不思議とはっきりと届く。

(エククシア殿)

 どうして〈青竜の騎士〉の声がするのか。それはリダールにはちっとも判らないことだった。

(ぼくはやっぱり、夢を見ているんだろうか?)

 見知らぬ男の腕に掴まれた。そのあとのことは覚えておらず、こうして夢うつつに何かが聞こえ出したのがつい先程のことだ。

 自分の身に起きたことは理解できたと思っていた。誘拐されたことは、間違いないだろう。

 だが、何故エククシアの声がするのか。

 ロスムを父の友人と言い、エククシアに憧れの言葉を発する少年が、〈青竜の騎士〉が彼の誘拐に関係しているなどと考えるはずもなかった。

「早くもロスムは苛つき出している。しかし大目に見てやらねばなるまい。五年間耐えた上でようやく差し込んだ光明なのだからな」

(――ロスム閣下?)

(五年間)

(……六年、前?)

 リダールはぼんやりと考えた。五年前と六年前の出来事は、彼の記憶にまざまざと残っている。

 あれは五年前だ。キルヴン伯爵家に起きた、大きな事件。

 リダール少年にとっても衝撃的なことだったが、父ナイシェイアの落胆は大きかった。彼らの友にして護衛剣士サナースの死。

 あれから、もう五年。リダールのような年代の少年にとっては、通常、五年前と言えば「だいぶ昔のこと」になるだろう。だが彼自身、そうは感じていなかった。ことあるごとにナイシェイアがサナースの話をしたこともあり、おかげで少年も、あれからどれだけ経ったのか常に意識しているくらいだ。

(五年前なら、そのこと)

(けれど、六年前)

(そしてロスム閣下に関わることなら)

(ああ、もう、六年も前になるのか)

 六年前。身を凍らせる思いで耳にした、友フェルナーの訃報。

 ロスムと五年間という符号からリダールが連想したのはそのことだった。だが少年には、その出来事といま隣で語られている話が関係あるのかどうか、見当もつかなかった。

「――であれば、ロスムは何でもする」

 エククシアの言葉が続いた。

(え?)

(いま……何て)

 リダールはぼんやりと、耳にした言葉を心で繰り返した。だが、何か聞き違ったのだと思った。

 夢を見ているかのようだ。いや、本当に現実なのだろうか。彼には区別がつかない。

 嗅がされた魔術薬はひと晩が過ぎても少年の頭にもやをかけたままだ。

(エククシア殿は、いま……)

 何か大事な言葉が、リダールの耳から耳へと抜けていった。少年はそれを黙って見送るしかなかった。

 感覚も感情も、全てぼんやりとしている。

 あれから、五年。

 いや、六年。

 だいぶ、昔のこと。同時に、忘れられない。

(深い水の底にいるみたいだ)

 水中にいるかのように、よく聞こえない。だからきっと聞き違ったのだ、と彼は思った。

「そのためには、あれが必要だ」

 〈青竜の騎士〉の視線は、横たわるリダール少年に向いた。幸いにして少年は、じっとしていた。

「夜明け前だ」

 リダールから目を離すと、エククシアは言った。

「は、な、何でしょう」

「出立は夜明け前に」

「は、は、はいっ」

 ミヴェルは床に口づけんばかりに平身低頭し続け、ジョードも仕方なさそうに頭を下げた。

「時が巡る。〈幻夜〉が近づく。〈月岩〉は目覚めの日を待っている」

 左右色の違う瞳が、すうっと、遠く北方を向いた。

「神秘が顕現する度に、ソディは栄える」

「は……」

 感じ入ったように、ミヴェルは呟いた。

「〈月岩の子〉」

「栄光の日を」

「――栄光の日を」

 エククシアに、仮面の男が唱和した。ミヴェルは声を出さずに口だけ動かして同じようにし、ジョードは黙っていた。

 そのまま彼らが顔を伏せていると、屋内、それも地下であるにもかかわらず、温い風が彼らの間を吹き抜けた。大きく息を吐き、ミヴェルは顔を上げる。

 張り詰めていた空気は、緩んでいた。

 もはやそこに、エククシアと仮面の男の姿は、影も形もなかった。

「ああ……」

 ミヴェルは額に手を当て、目眩をこらえるかのようにしながら立ち上がった。

「ずいぶん、緊張してたみたいだな」

 ジョードも立ち上がり、肩の凝りをほぐすように首を回しながら指摘した。

「騎士だか何だか知らんが、ミヴェルがそこまでびびる理由が、どこにあるってんだ?」

「あの方が怖ろしいのではない」

 ミヴェルは青い顔で言った。

「じゃ」

 ジョードは片眉を上げた。

「ライサイ、か」

 彼が続ければ、女は噛みついた。

「ライサイ様、と言え!」

「はいはいはい」

 盗賊はおどけるように両手を上げた。女は息を吐く。

「お前は、聖なるライサイ様のお力を知らないんだ」

 それがミヴェルの返答だった。ジョードは口の端を上げた。

「確かにな。知らんよ」

 彼は悪びれなかった。

「まあ、消えたり現れたりするのは不気味っちゃ不気味だが、ライサイ……様や仮面野郎は魔術師なんだろ。魔術師ってのはそういう連中だろ」

 知ったような口調で彼は言った。

「俺、前に大道芸でよく見たぜ。そういうのは、もっとちゃち(・・・)かったけど。でも小屋を掛けてたりするのは、けっこう本格的なんだよな。ただ消えるんじゃなくて、バーンと派手な音が一緒に鳴ったりとか」

芸事(トランティエ)の話をしてるんじゃない!」

 ばんばんばん、とミヴェルは床を叩いた。

「お前は、呑気だな」

 嘆息混じりにミヴェルは言った。

「何だよ。腹の立つ言い方だ」

 ジョードは不満そうだった。

「びくびく、へいこらしてりゃ頭がいいとでも? あいつらが不気味なことは確かだが、俺が頭を下げるのは怖いからじゃない。あんたがそうしろと言うから」

「私の? 私のことなんかどうでもいいんだ。全ては、ライサイ様の」

「あのなあ」

 ジョードは息を吐いた。

「何でそんなに怖がる?」

 顔をしかめて、ジョードは尋ねた。

「ちょっと不気味でも、ただの魔術師だろ」

「お前は、馬鹿だ!」

 ミヴェルは怒鳴り、それから処置なしというように首を振った。

「ああ、あの方の仰る通りだ。馬鹿を馬鹿と罵っても益がない」

「人を馬鹿だと罵る前に、少しは説明をしろよ。あんたはライサイ様がすごい魔術師の末裔だとか言うが、何がどうすごいのか、具体的に話さない。ライサイ様と騎士サンの関係も、俺はよく判らんし。だいたい、何であんたがライサイ様の言いなりなのかも」

 ジョードは苛々と言った。

「金はもらってるが、金のためじゃないんだろ。あいつはあの仮面野郎なんかを通して、あんたを下僕みたいに扱って、あれをしろこれをしろと言ってくる訳だ。何で従う? 怖いなら、逃げればいいだろ」

「逃げられるものか! いや、逃げる気なんてない。あるはずがない」

「それが判らん」

 男は首をひねった。

「お前は間違っている、ジョード」

 ミヴェルは黒い瞳に恐怖を浮かべて、男を見た。

「ライサイ様は、私を下僕だなどと思っていらっしゃらない」

「そうかあ?」

 胡乱そうにジョードは返した。

「俺から見ると、どうにも」

「私は」

 ミヴェルはジョードの言を遮った。

「下僕以下だ」

「……は?」

 男は目をぱちぱちとさせた。女はすっと立ち上がり、彼に背を向けた。

「お、おい、ミヴェル」

「話は終わりだ。夜明け前に、リダールを連れて北へ発つ。支度を進めろ」

 女はそれ以上、男に話をしなかった。

 ジョードは命令に従って準備を開始したが、その視線は気遣わしげにミヴェルを見ていた。

「そろそろ、時間だったな」

 ミヴェルは独り言のように呟いた。

「子供に、薬を」

「……ああ、そうだな」

 男は部屋の片隅に向かうと、鞄から二種類の瓶を取り出した。一本を半分飲むとミヴェルに渡し、彼女が残りを飲むのを見届けてから、もう片方のふたを開けて手をぬらす。そのまま彼はリダールに近寄り、彼の頬から鼻の周りに塗りつけるようにした。

 リダールはびくりとしたが、ジョードは反射的なものと思い、少年が話を聞いていたとは思わなかった。

(甘い……香り)

 すうっと、少年の意識は閉ざされていく。

(ああ、ぼくが見ているのは)

(どこまでが現実で、どこからが夢なんだろう)

 ぼんやりと考えながら、リダールは再び、眠りに落ちていった。


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