10 望みを叶えてくださるのは
叩かれずに開いた扉を見て、レフリープ・ロスムはわずかに眉をひそめた。
「エククシアか」
伯爵より十以上年下の騎士は、礼儀を欠いた入室に、謝罪の仕草などはしなかった。だがロスムが更に顔をしかめたのは、そのためだけではない。
「今日は、ふたりか」
エククシアのあとから、もうひとりの人物が姿を見せた。その人物はわずかに頭を下げたようにも見えたが、不遜にうなずいたようにも見えた。
たまに〈青竜の騎士〉と一緒に彼を訪れるこの男が何者であるのか、ロスムは知らなかった。どうやらエククシアの言うことを聞いているようだが、召使いと言うほどへりくだっている様子はない。
もっとも、「騎士」は「騎士」だ。名誉ある称号。それ以上のものではない。
カル・ディアル王が正式に騎士を任命すれば、その者には名誉のみならず、いくらかの特殊な権限が与えられ、場合によっては中隊長程度の給金が支払われることもある。だがそもそもエククシアは、カル・ディアルの騎士ではない。
「首尾はどうだ」
ロスムはふたりを交互に眺めて尋ねた。
「上々」
〈青竜の騎士〉は、短く答えた。
「間もなく、出立だ」
「それで、お前はいつ戻る」
「私がいつ戻るかと?」
繰り返してエククシアは片眉を上げた。
「それを聞きたいのではあるまい、ロスム閣下」
「だが……」
ロスムは少し躊躇って、続けた。
「お前が、連れて戻ってくるのだろう」
「そうと決めてはいない」
騎士は答えた。
「リダール・キルヴンならばともかく、フェルナーであれば、独りで旅くらいできよう」
「それは……できるだろうが」
伯爵は戸惑うようだった。
「心配であるなら、これをつける」
エククシアは隣の男を見た。ロスムはちらりとそちらを見て、すぐに視線を逸らした。
彼はその顔をあまり見ていたくないのだ。いや、どんな顔をしているのかは、判らない。ただ、長いこと正視はしかねた。
「どう、なされた」
神経質そうな声がした。
「気味が悪い、とでも?」
そう尋ねてきたのは、もうひとりの男だった。
「いや……」
曖昧にロスムは答えた。
本当のところを言うならば、気味が悪いと伯爵は思っていた。彼がこの男を初めて見たときは、声を上げそうになったくらいだった。
もし気の弱いリダール少年であれば、間違いなく悲鳴を上げただろう。それどころか、タイオスであっても一瞬ぎょっとするだろう。
エククシアの連れの顔は、目と口鼻の部分だけが開けられた、金属製と思しき不気味な仮面で覆われていた。
素性を隠すためか、それとも、ふた目と見られぬ醜い顔をしているものか、それはロスムには判らない。少なくとも、いくらか聞きづらいとは言え、声に聞き覚えはなかった。ロスムに素性を知られないために顔を隠しているのではなさそうだ。
ロスムがこの仮面の男と顔を合わせた――合わせていない、とも言えるが――のは、エククシアを雇うと決まったときだった。
奇妙なことにエククシアは、伯爵が騎士を雇うのに金を出すのであれば、それをこの男に与えるよう、告げた。どういう意味であるのかは、判らない。しかしロスムは言われるまま、指定された換金屋に金を払っていた。
誰宛であろうと、それでエククシアを飼っておけるならと考えていた。
「この仮面殿が」
エククシアは仮面の男をそう呼んだ。名を告げることはしなかった。
「フェルナーを連れる。それならば、問題はあるまい」
騎士の言葉に、伯爵は再び、左右色の違う瞳を持つ青年に目をやった。
「だが」
ごくりと彼は生唾を飲み込んだ。
「本当に……?」
「いまさら、疑うのか」
エククシアは鼻を鳴らした。
「――ライサイの力を信じないと?」
「そうは、言わん」
ロスムは渋面を作って首を振った。
「ただ、何と言おうか、日常、常識からかけ離れたことだ。目にするまでは、信じがたくても仕方あるまい」
「閣下はこう言われたな。たとえ最後まで巧くいかなかったとしても、キルヴンから息子を奪ってやれるならばそれでよいと」
「言った」
伯爵は認めた。
「何故、我が子が死に、あの男の息子が生きているのか。神官どもは、天命だったのだなどと言う。納得などできるものか」
この父は、強く拳を握った。
「あの子はたった……十一歳だったのだ」
「人間には、確かに天命がある、閣下」
エククシアは口の端を上げた。
「だが、八大神殿の神官などに天命が見えるとは思わぬな」
「奴らは口清いことを言うばかり」
ロスムは苛立って手を振った。
「私の望みを叶えてくださるのは、ライサイ様だけだ」
「その通り」
騎士はうなずいた。
「ライサイだけが、それを可能にする」
「判っている」
伯爵も同じようにうなずいた。
「リダールなど、いなくなっても嘆くはキルヴンのみ。さらわれたのもお前のせいではなく、奴が雇った酔いどれ戦士が邪魔をしたのだと話を作り上げることは容易」
「事実の一端でもある」
淡々と、エククシアは言った。
「閣下の名誉のため、そこまでは協力した」
「私の? お前の名誉のためも、あろう」
伯爵は唇を歪めたが、騎士は首を振った。
「我が名誉は、その程度のことでは損なわれない」
「その程度、か」
護衛対象を守り損なったということを「その程度」とする〈青竜の騎士〉に、ロスムは少し鼻白んだ。
ロスムの感覚では、それは大いなる失態であり、不名誉だ。カル・ディア城に出入りする誰に尋ねたって同じように言うだろう。
だがエククシアはそう言わない。それは彼の強がりなどではなく、この騎士は本当にそう思っている。
この騎士に栄誉を与えた「ライサイ」は、彼らと全く異なる価値観を持つ。ライサイに比すれば、憎むべきキルヴンであろうと、ロスムの同志だと言ってもいいくらいだ。