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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第3章
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09 緊急なんだ

 いったいいくらかかるものか、見当がつかなかった。

 魔術から身を守らせるのには、最低で一日二百五十ラル。緊急の人捜しには? 三百程度で納まるのか、ちっとも足りないのか。

 リダール同様すっかりタイオスを信頼しているらしいハシンは、自分の給金を全て差し出すと言った。高給をもらっているが、あまり使わないので貯まっていると。

 有難い話だったが、生憎と現実的ではなかった。ハシンは普段、カル・ディアルの中程にあるキルヴンの町で暮らしているから、彼の貯金はそこにあるのだ。

 それでも、必要に応じて必要なものを買う判断を任されているハシンには、二百ラルの手持ちがあった。タイオスは百ラル弱。彼もコミンにはもう少し置いてあるが、いまはどうしようもない。

 交渉してどうにかしよう、とタイオスは決め、魔術師協会へと急いだ。

(昨夜、すっぽかしちまったみたいなもんだからなあ)

(怒ってないといいが)

 魔術師たちは概して冷静であるが、冷静の仮面をつけた裏で腹を立てていないとも限らないのである。

 がちゃん、と静かな協会の扉を乱暴に開いた戦士は、なかにいたふたりの魔術師を驚かせたようだった。

「あー、すまん」

 タイオスは謝罪の仕草をした。

「昨日、約束をしてたんだが、ちょっとこられなくて」

「ヴォース・タイオス殿」

 さらりと彼の名を口にしたのは、座っている魔術師と話すように立っていた、やはり魔術師と思しき――黒いローブでそれと知れる――男だった。

「ですね?」

「あ、ああ」

 少し気圧され気味に、タイオスは認めた。いまの説明で彼を特定されたということはつまり、「昨日の約束を破った男はヴォース・タイオスである」と協会内に知れ渡っていることになりそうだからだ。

「お会いできてよかった。お待ちしていました」

 三十代前半ほどの魔術師は、軽く会釈をした。長い黒茶の髪はまっすぐと肩よりも下まで伸び、その瞳は髪よりも濃い色をしており、底知れない感じがした。

「待ってたってことは、話を聞いてるのか」

「ええ、わたくしが担当を」

 魔術師は言った。

「わたくしは、サング。アルラドール・サングと申します」

 笑みひとつ浮かべず、彼は名乗った。丁寧すぎる礼がさらさらの髪を揺らした。

「ああ、俺はタイオス」

 改めて戦士は名乗った。

「だが、すまんが、昨日とは話が少し違ってきてるんだ」

 もう一度相談をしたいと彼は言った。

「かまいません」

 サングは手を振った。

「私がお受けすることは、決まりました」

 その声は格別低くも太くもないのだが、どうしてか重たい感じがした。

「いや、だが、ちょっと待て」

 タイオスは片手を上げた。

「話によると、こっちが出す金額によって魔術師の質が違ってくるとか」

「乱暴な言い方ですが、間違いではありません」

 サングはそう答えた。

「三百、とお聞きしています」

「――実は、ちょっとだけ、足りないんだ」

 正直にタイオスは言った。サングは片眉を上げた。

「だが、まけてくれ。な?」

 彼は両手を合わせたが、魔術師は顔をしかめた。

「それは困ります、タイオス殿」

 ゆっくりとサングは言った。

「じゃ、あとで払う。資金提供者はいるんだ、ただ、いまちょっと留守にしてて」

 本当のことなのだが、つたない言い訳に聞こえるだろうということは判った。

「では、その方がお戻りになったら」

 当然の反応が返ってきた。

「頼む。緊急なんだ」

 タイオスはもう一度、手を合わせた。

「必ず、払うから」

「それでしたら、担保になるものが要りましょう」

 サングは淡々と言った。

「――その、腰の袋に入っている護符はいかがです」

「何」

 昨日の魔術師の話を思い出した。協会内では、そうしたものはあからさまにされるのだと。

 タイオスはうなった。

「おい。魔術師ってのは、人の持ちもんを魔術でのぞくのが趣味なのか」

 昨夜は、話の流れ上で出てきた話題だった。だが、いまは違う。

「とんでもない。力あるものは、感じられるだけです」

 魔術師は肩をすくめた。

「たとえば戦士殿が、相手が武器を隠していても気づくように」

「巧いことでも、言ったつもりか」

「いえ、特には」

 サングの反応は薄かった。

「どうです。その護符になら価値があります。協会は高値で買い上げます」

「これを売る訳には……」

 タイオスは口ごもった。

 売る訳にはいかない。だが、金が必要なら。

「なら、担保ということでけっこうです。差額分をいただけましたらお返しを」

 サングはすっと手を差し出した。タイオスはうなる。

 魔術師の言うことは実にもっともだ。三百と言ったのはタイオスであり、それに足りないのであれば何らかの保障を用意するべき。差額を払えば返すと言うのだから、売り払う訳でもない。

 だが、一時的にとは言え、手放すことになる。〈シリンディンの白鷲〉の証。

(くそ)

(リダールのためだ)

(それから、俺の責任)

(青竜野郎にひと泡吹かせてやるためにも、魔術師が必要)

 彼はのろのろと、腰に手をやった。

 ふっと思い出されることがある。

 〈白鷲〉の護符は、持ち主がその資格を失ったとき、自然と手元から離れていくのだと言う。

 ではこれは、そういうことなのか。

 護符は、リダール少年を守れなかったヴォース・タイオスを離れて、シリンドルへ戻ろうとしているのか。

(――それも仕方ない、か)

 タイオスはそっと息を吐いて、袋に手をかけた。サングはじっと見守っていた。

「これだ」

 戦士はゆっくりと、白い大理石でできたそれを取り出した。

 先の尖った菱形の石、かぶせられた瑪瑙に刻まれる、若木と白い鷲。神経質な絵師がこまごまと描き込んだかのように、葉の一枚、羽根の一枚まで精巧だ。

(ここで手放したら)

(もう二度と、俺のもとに戻ってこんような気がする)

 タイオスは曖昧な予感(フェルシー)を抱いた。

 彼に神秘的な能力などはない。もしかしたら「戦士の勘」などと言われるものはそれに近かったかもしれないが、少なくともそれは「魔力」と言われるものとは異なり、不可思議なものだとはされない。

 予感。曖昧で不確かなもの。

 こんな感覚は好きじゃない。だが、感じてしまうものはどうしようもなかった。

 彼は右手に護符を収め、とても重いものを持っているかのようにわずかに震えながら、それを差し出した。


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