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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第5話 記憶 第4章・最終章

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11 例の件に決まっている

 何と、と男は言った。

 何ですって、と娘は言った。

「ルー=フィンが行方をくらましたと言うのに」

「お前はここでのうのうとしていると言うの!?」

「二重奏で文句を言わんでください」

 イズランはしかめ面で、主とその孫娘に対峙した。

「ライサイはやばいと、陛下もお考えだったじゃありませんか。関わるどころか、避けるおつもりでしたでしょう」

「うむ。確かにな」

 老王は仕方なさそうに認めた。

「人外など、俺は関わりとうない。だがアル・フェイル与しやすしと思われてはたまらんのも、また事実」

「思われてないですよ。むしろ介入を警戒しているから、私が絡むなら逃げると言ったんです」

「では、ルー=フィンの件にも絡んでやればよかろう」

「そう何度も引っ込んでくれるとは思えませんけどねえ」

 しかし、とイズランは両腕を組んだ。

「いったいおふたりとも、彼のどこがそんなにお気に召したんです」

「顔」

 アギーラは即答した。イズランは口を開け、それから意志の力でそれを閉ざした。

「判りやすくてけっこうですね」

「言っておくけれど、顔立ちという意味じゃないわよ」

 少女は肩をすくめた。

「そうね、表情、かしら」

 考えるようにしながら彼女は続けた。

「きれいな顔なら、日々私の機嫌を取る若殿の数々で見慣れてるわ。でもルー=フィンが持つ……緊張感と言うのかしら。危険と隣り合わせでありながら怯むことなく前へ出る、活力的と言うのかしら。躍動的? ああした張りを持っている殿方なんてそうそういないわ」

「同感だな」

 オルディウスはうなずいた。

「俺に対する警戒心。滅多に見られるものではなく、新鮮だった。俺の地位を知っても、驚いてはいたが必要以上にへりくだることもなく、他国の騎士としての誇りを見せた。あの顔は、いい」

「危険と隣り合わせで、生命力に満ちていて、必要以上にへりくだらない他国の騎士ならもうひとり、いたと思いますがね」

「誰?」

 アギーラは首をかしげた。

「彼はイズラン、お前のものだろう」

 オルディウスは言った。

「お前の男に手を出しては悪いからな」

「私の男じゃありませんよ。幸か不幸か」

 魔術師は口の片端を上げた。

「ああ、彼ね」

 姫も思い当たった。

「ちょっと年上すぎるし、好みの顔じゃないわ」

「結局、顔立ちなんじゃありませんか」

 イズランは指摘した。そうかしらとアギーラはとぼけた。

「タイオスはルー=フィンを探しているのだろう。何故、手助けてやらない」

「私は嫌われているんです」

 宮廷魔術師は肩をすくめた。

「あまりに嫌われて傷ついたので、以前のように、影から彼を見守ることにしたんですよ」

「ルー=フィンを探すことなら充分『影から』できるでしょう」

 王孫姫が指摘した。魔術師は息を吐いた。

「はいはい、判りました。彼の行方は追っておきますよ。彼の愛馬も保護しましたし、返してあげなけりゃなりませんからね。これでいいんでしょう」

 降参するようにイズランは両手を上げた。

「全く。あの夜、急の事態だと言うから、私は私の興味をほっぽってこっちに帰ってきたんですよ。陛下に仕える者としての義務はきちんと果たしていますのに、どうして宮廷魔術師業以外(・・)のことを怠っていると糾弾されなければならないのだか」

 ぶつぶつと宮廷魔術師は言ったが、王とその孫は聞いていなかった。

「判ったらすぐ私に知らせるのよ」

「何。俺が先に決まっておろう」

「つまらん爺孫喧嘩をせんでください。おふたり同時に知らせればいいんでしょう。ちゃんとやりますよ」

「お爺様。言っておきますけれど、彼は私を選ぶはずですからね」

「判らんぞ。彼は死んだ女が忘れられんとのことだからな。俺の方が有利かもしれん」

 王は返すと、にやりとした。

「何より俺にはお前より力がある」

「卑怯です、お爺様」

 アギーラは憤然と叫んだ。いったいどこまで本気なのか、アギーラは本気かもしれないがオルディウスは冗談を言っている――少なくとも半分は――ものとイズランは思いたかった。

「もう、その辺りに」

 渋面を作って言ったのは、それまでじっと黙っていた四十前後の男だった。黒髪に白髪が目立つためか、ぱっと見たところではもう十ほど上に思える。

「つまらぬ命令でイズランを煩わせるのも大概に。どうか立場をわきまえてください」

「何。俺は常にわきまえておるぞ、トーカリオン」

 片眉を上げてオルディウスは返した。

「それはたいへん喜ばしいと言いますか、情けないと言いますか」

 ふう、と彼は息を吐いた。そうするとますます彼の年は行って見えた。

「アギーラも、お爺様のそうしたところばかり真似るんじゃない」

「あら。私、真似をしているつもりなどはなくてよ、お父様」

 少女は不満そうに片眉を上げた。

「自然に振る舞えばこうなるだけだわ」

「なお悪い」

 王孫の父、つまりは王の息子、次代のアル・フェイル王たるトーカリオン王子は深く息を吐いた。

「大事な話があると閣議を切り上げられたのは何のためかと思えば、父と娘のふたりして他国の騎士に夢中とは」

 顔をしかめて彼は首を振った。

「そんなことより、大事なことは山ほどありますでしょう。たとえどんな些末事でも、アル・フェイルの問題であれば、どこぞの騎士の行方より重要です」

 トーカリオンはもっともなことを言った。

「タルフェン街道に出没すると言う、盗賊団のことはどうするんです」

「ガリエールに任せた」

「許可書がまだです。ガリエール軍隊長は出陣を命じられなくて困っている」

「それくらい、ファーゲンに作らせればよい」

「彼は作成済みです。今朝までにご署名をいただくはずでしたのに」

「このあと、やればよかろう」

「ラキルスの町長の訴えはきちんと聞いていらっしゃいましたか。魔獣の来襲で作物が荒らされてしまったので、納税は待ってほしいと」

「嘘でなければ、少々はかまわん。イズラン」

「はいはい、確認いたします」

「この場で私にひとつずつ答えてくださっても仕方ありません。きちんと、閣議で」

「ええい、うるさい」

 オルディウスは手を振った。

「これ以上うるさいことは耳にしとうない。もうこの場から出て行け、トーカリオン」

「そうよ、出て行って、お父様」

 父王の命令と娘の拒絶に、気の毒な王子は返答に詰まった。

「まあまあ。あまり王子殿下をいじめては可哀相ですよ。どう考えても真っ当なことを仰っていますのに」

 イズランがたしなめた。

「ルー=フィン殿のことは、判り次第、陛下にも姫にもお伝えします。おふたりにお伝えしたことは殿下にもお伝えを。陛下にはすぐ、お仕事に戻っていただく。ファーゲンに言って、午後にもう一度、簡単な閣議を。この辺りで、お三方とも納得していただけませんかね」

「致し方ない」

「ルー=フィンの件は、俺に先に知らせるようにな、イズラン」

「私が先よ」

 トーカリオンが譲歩、妥協を見せたのに対し、オルディウスとアギーラは同じ主張を繰り返した。やれやれ、とイズランは肩をすくめた。

「陛下は何だかんだ仰ってもアギーラ姫を溺愛していらっしゃる。ルー=フィンのことは、姫とお前と、両方で遊べるよい話だとでも思っていらっしゃるのだろう」

 困った国王とその孫、及び気の毒な王子の前から退いたイズランがサングに愚痴を言えば、宮廷魔術師代理を勤めることもある魔術師は、そんな判定を下した。

「その程度ならけっこうと言えばいいのか、トーカリオン様に倣って、無益と判りながらも『もう少し真面目にやってください』と申し上げたらいいのか」

 イズランが嘆息すればサングはかすかに笑った。

「――オルディウス三世が常に真面目で本気だったら、ここ五年と、それからあと十年は、アル・フェイルから戦火の絶える日がなかろう」

「それもそうだ」

 イズランは天を仰いだ。

「私が遊ばれる程度で終わっていれば世の中平和。トーカリオン様が跡を継がれるまでの辛抱だ」

「崇高な自己犠牲、傷み入る」

 礼などする年下の兄弟子をイズランは少し睨んだ。

「もっとも」

 サングは口の端を上げた。

「殿下が戴冠なさったとして、お前を解雇するとも思えない。ましてや、陛下がご健康なまま王位を退くのであれば、暇をもてあまし、これまで以上にお前を呼ぶだろう」

「怖ろしい予言はやめてくれ」

 イズランはこの世でいちばん不味いものを食べたような顔をした。

「ときに、現況は?」

 それからイズランは、夜蒼の瞳からふざけた様子を消して尋ねた。

「何についてだ」

「例の件に決まっているだろう」

「そうした曖昧な物言いは好かない」

 サングは渋面を作って首を振った。

「〈白鷲〉ヴォース・タイオスはもとより、ルー=フィン・シリンドラスの動向、ライサイ・ソディエ、〈青竜の騎士〉エククシア、ミヴェルにアトラフ、ヨアティア・シリンドレン……」

 宮廷魔術師がまくしたてながら指を折れば、導師は片手を上げて名前の列挙を制止した。

「もう充分だ。よく判ったから」

「最初から判っているくせに」

 イズランは唇を歪めた。

「カル・ディアは、あれ以来ぴたりとざわめきが消えた。リダールとフェルナーが入れ替わったときのような、奇怪な揺らぎもない。〈青竜の騎士〉が出入りしている気配もない。ロスム邸も静かなものだ」

 魔術的には、とサングはつけ加え、魔術的にね、とイズランは繰り返した。

「フェルナー君の行方は」

「ルー=フィン並みに不明」

 淡々とサングは答えた。

「噂の『墨色の王国』……境界の向こうであれば、我らヒトなる魔術師には判りようがない」

「それは、ルー=フィン殿も含めてか」

「可能性はある」

「そりゃ、あるだろうとも」

 イズランは鼻を鳴らした。

「私は、タイオス殿にきちんと忠告をした」

 サングは肩をすくめた。

「〈白鷲〉の護符を手放せば、よくないことが起こると」

「何か見たのか」

「いや。ただ、感じただけだ」

 魔術師は魔術師に答えた。

「彼はルー=フィンを守るつもりで、逆のことをした。推測だが、〈白鷲〉の護符は一度、直接的な魔術の攻撃から彼を守ったことで、その力を弱らせたのではないか」

 偽魔術師の術を弾き飛ばした。それはもしかしたら、その後の回復を促すよりも護符の力を必要としたのではないか。それがサングの考えだった。


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