15 越したことはない
窓を開けると、天空では月が煌々と照っていた。
本物の月。黄金色の。
思っていた以上のまばゆさにタイオスは思わず目を細め、それから深く息を吐いた。
「あの、阿呆。どこへ行きやがった」
まさか月夜のお散歩じゃあるまいな、と戦士は不在の若者に悪態をついた。
「おい、イズラン。ルー=フィンはどこだ」
「私を何だと思っているんですか?」
魔術師は眉をひそめた。
「あなたの下僕じゃないんですよ」
「うるさい。どうせ知ってるんだろうが」
タイオスは一蹴した。
「お前じゃなけりゃ、サングか。あいつが知ってるのか」
「ラドーはアル・フェイドで陛下のおもりです。あの人、誰かしらがいないとうるさいですから」
肩をすくめて、イズランは答えた。
「じゃあティージが尾行してでもいるのか。お前らの『知りません』なんざ、俺はいっさい、信じないからな」
「そんなに博識だと思っていただけるのは光栄ですが」
「皮肉だ」
「判ってます」
さらりとイズランは返した。
「じゃあこうしましょう。ラドーに頼んで、彼とティージに探してもらう」
「馬鹿野郎。知らないふりをするなと、言ってるだろうが」
「だって、知りませんから」
やはりさらさらと、魔術師は答える。
「だいたい、彼の何を心配する必要があるんです? 剣の腕はタイオス殿よりも上、いまは、あれです。〈白鷲〉の護符まで持ってるじゃありませんか」
「そういう問題じゃないだろうが」
「なら、どういう問題ですか」
「優秀な猟犬なら、放し飼いにしていいってのか?」
「犬扱いですか。酷いですね」
「綱つけとかなきゃどこに飛んでっちまうか判らんと言ってるんだ」
タイオスはうなった。
ルー=フィンの「獲物」たるヨアティアは死んだ。彼自身が仕留めたのではないとは言え、神のため、国のためという名分はいまのルー=フィンにはないはずだ。
館の外でぐだぐだと思い悩んでいるものと踏んでいたのに、どこへ行ったのか。
「まあ、そうですねえ、ルー=フィン殿は」
イズランは肩をすくめた。
「冷静ですが、必ずしも慎重じゃないですからね」
知ったような顔でイズランは、サングに語ったことを口にした。
「よく判ってるじゃねえか」
認めざるを得ず、タイオスは唇を歪めた。
「あの」
少年が声をかけた。
「ぼくのことはいいですから、彼を探しに行くなら、行ってください」
戦士は振り向いて、少年を見た。
「今夜はお前をひとりにしたくない」
「ええ?」
「タイオス殿、それ、すごい口説き文句ですね」
「阿呆かっ」
戦士は魔術師を斬り倒してやろうかと思った。
「エククシアはあんなことを言ったし、お前はそれを信頼できると言うんだろうが、俺にはできないんだよ。当たり前だろう? いきなり、いち抜けたと言われても」
「ですが、魔族の約束は、強いですよ」
「それはお前の言葉に過ぎない」
「そう言いますがね、満月云々は、ライサイの言葉に過ぎないんじゃないですか」
「まあ……それもそうなんだが」
「あなたはライサイの言葉の呪縛にかかっているとも言える。満月、期限。そうしたことです」
期限。
それは、過ぎたようにも思う。
リダールはフェルナーを拒絶した。それは連中の計画には、なかったことではないか。
タイオスはそう感じていた。だがイズランに説明はしなかった。リダールにはこっそり、話はあとでと囁き、魔術師に何も知らせないようにした。
イズランを信じられないこともあるが、単純に、まずはリダールとふたりだけで話したかったのだ。余計な茶々を入れられたくない。
「期限云々は、出鱈目だって言うのか?」
素知らぬ顔で戦士は尋ねた。
「私が言ったって、信じないんじゃありませんか」
「言うだけは言ってみろよ」
「出鱈目かどうかなんて、知りませんよ。私はライサイじゃないんですから」
「何を拗ねてんだ」
タイオスは顔をしかめた。
「拗ねてなんかいません。理屈で言えば、警戒をしておくに越したことはないと思います。ただ、それを言ってしまうと、今後一生、しておくに越したことはないということになりますけどね」
ふん、とイズランは鼻を鳴らした。
信じられないと言うなら、エククシアやライサイだけではない。イズランだって信じられない。その魔力を信じると言ってみても、タイオスにはそれを計れる知識や技能がなく、結局は勘で行くしかない。
魔術陣は燃やされ――奇妙なことに、床には焦げあとひとつなかった――、リダールは記憶を取り戻し――魔術師の問いに少年はそのことを認めたが、タイオスの指示に従って、それ以上は何も言わなかった――、エククシアは去った。
だが、また会おうなどと。
「くそっ」
彼は疑心暗鬼の塊だった。
(何を信じればいい)
(ルー=フィンだけは信じられるんだが、魔術に関しては俺とどっこいだし)
(だいたい、いまはお出かけときたもんだ)
「まあ、いいでしょう」
イズランはにんまりとした。
「私はあなたに助力して恩を売るためにここにいるんですし、このままひと晩リダール殿を守れと言うなら、従いますよ」
「サングかティージにルー=フィンを探させろ」
「はいはい、猟犬のご主人様」
「おい」
タイオスは顔をしかめた。
「あいつを侮辱するな」
「あなたが言ったんじゃありませんか」
「猟犬というたとえは、したとも。だがあいつの主人は」
「ハルディール陛下ですか。それとも〈峠〉の神」
「馬鹿野郎」
タイオスはまた罵倒した。
「ルー=フィン・シリンドラス自身に決まってるだろう」
「タイオス……」
リダールが目をぱちぱちとさせた。
「格好いいです」
がくり、と戦士は脱力する。
「格好つけてる訳じゃない。お前もなんだぞ、リダール。お前の主はお前だ。他人の意見を聞くのはいいが、流されるなよ。特に」
彼は両腕を組んだ。
「イズランみたいなのは要注意だからな。助言をするふりで、自分の陣地に引きずり込もうとする」
「助けているのにその言いよう。……何だか快感になってきましたが」
「お前がとにかく気をつけなけりゃならんのは、いまはフェルナーだ」
タイオスは無視して続けた。少年はぴくりとした。
「エククシアの言葉は、絶対に信じるな。あいつはお前から手を引くと言ったが」
戦士は騎士の消えた場所を睨んだ。
「――フェルナーから手を引くとは言わなかった」
「ああ、お気づきでしたか」
ぽん、とイズランが手を打ち鳴らした。
「私、タイオス殿の、そういう抜け目のないとこ好きですよ。それとも、気づきながら突っ込めなかったんだから、抜けてると言うんでしょうかね。いやいや、どっちにしても好きですから」
「ま、そういう話も、またあとで……な」
やはり無視して、タイオスは少年にほのめかした。リダールはうなずき、イズランはめげることなくにこにことしていた。
「手を引くなんざ、油断させるための罠とだって、思えるが」
「警戒しすぎです」
「するに越したことはない、ってのはどうしたんだ」
「ですから、それを貫くなら、リダール殿は一生、私なりあなたなりに守ってもらわなければならないことに」
イズランは指摘した。タイオスはまたしてもうなった。
繰り返しである。どこかで見切りはつけなければならないだろう。そのことは判っている。よく判っているのだが。




