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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第5話 記憶 第2章

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01 生憎と

 嫌な予感はしていた。

 自ら言い出した「決闘」というものに対し、本当はリダールに負けず劣らずそわそわしていた。ただ、見せないようにしていただけだ。ルー=フィンの緊張も彼に伝わっていた。もちろん、彼だって緊張していた。

 最悪、命を落とすことになる覚悟は決めていた。もっとも戦士として過ごして二十年超ともなればその覚悟は年がら年中やっているようなもので、悲壮感も新鮮味もありはしない。それでも、今度の今度は本当にやばかろうと、ここまでの気持ちになったのは片手で数えられる程度だった。

 とは言え、熟練の戦士にも全く予想のできないことだって起こる。

 たとえば――。

(何だ、ここは)

 タイオスは、それだけが頼りになるとばかりに、剣の柄をきつく握り締めた。

(街道上じゃない。屋内じゃないが、屋外とも思えん)

(月明かりが)

 ない、と思った彼は、空を見上げてぎくりとした。

(……明るくはない。だが、ありゃどっからどう見ても)

(まんまるの女神様、だ)

 暗い虚空に、満月が浮かんでいる。それは、月としか見えなかった。

 ただしこの月は、厚く黒い布を通して眺めているかのよう。

 頭上に浮かぶ月の女神(ヴィリア・ルー)は、まばゆいばかりの黄金色ではない。女神は、墨で描き上げたかのような、灰色をしていた。

(何なんだ、気味が悪い)

 タイオスは厄除けの印を切った。

(いったい、ここはどこなんだ)

 左手に、ぬるりとした感触がある。

 これが何なのか、彼はよく知っている。

 この血を流した人物は、ずいぶん酷い怪我をしたようだ。

「……って」

 彼は呟いた。

「俺じゃねえか」

 タイオスは呆然とした。

 刺された。ヨアティアに気を取られ――いや、言い訳はするまい。気を取られたのは彼自身の失態だからだ。

 だがそのことはいい。いまはいい。いまはこちらの方が問題だ。

「何だ……これは」

 意味のない呟き。おそるおそる手を動かして左脇腹に触れる。

 生温かい。彼自身の身体から流れ出た、彼自身の血。

 だが、奇妙なことに痛みはない。

 暗さのためか、赤くも見えない。

 ぬるりとした、生温かい感触だけが。

「俺は、死んだのか?」

「そうではない」

 囁くような返答があった。素早くタイオスは握ったままの剣を持ち上げ、〈青竜の騎士〉エククシアのいる場所を振り向いた。

「ようこそ、墨色の王国へ」

「お招きに預かり、どうも」

 口の端を上げて戦士は、皮肉っぽく返した。

「墨色の王国だと? じゃ、ここは、フェルナーが言ってたところか?」

 暗くて、冷たいと。確かにいくらか、肌寒い感じがする。

「そうであり、そうではない」

 〈青竜の騎士〉は答えた。

「訳の判らんことを言うな」

 中年戦士は顔をしかめた。

「これは、どういうことなんだ」

 刺された。剣で身体を貫かれ、抜かれた。悔しいが、間違いない。

 だが、どうして立って喋っていられるのか。痛みを覚えず、血も流れていく様子がないのは、いったい、どういう。

「ここは境界を越えた、――に近いところだ、と言ってもお前には判るまい」

「何に近いって?」

 タイオスは聞き返した。エククシアの発した言葉が判らなかった。聞き取れなかった。何か音が発せられたことは判ったが、彼にはそれが言葉として理解できなかった。

「判るまい」

 薄く笑って、エククシアは繰り返した。タイオスは少しむっとした。

「自分だけ判ってりゃいいって訳だ。は、けっこう。説明を請うつもりはない。ここがどこであろうと」

 彼は広刃の剣を突き出すようにかまえた。

 刺された。貫かれた。

 だがどうしてか、痛みはないのだ。

「続きをやろうじゃないか」

 それがどういう理由によるのであろうと、戦える。それが戦士の判断だった。

「賢いのか愚かなのか」

 エククシアは倣わなかった。

「もうお前に勝機はないと言うのに」

 いや、と騎士は言った。

「初めから皆無だがな」

「〈勝利はラ・ザインの加護のみによらず〉ってんだぜ、青竜の。能力だけじゃない、運も重要な要素だ」

 それは「実力では負ける」と言っているようなものであったが、見栄を張っても仕方がない。

 刺された。

 貫かれたのだ。

「ではその運は、シリンディンの加護によるものか?」

 エククシアは、自分が勝ったと主張してくることもなく、そんなことを尋ねてきた。

「さあね。あの神様もそろそろ、俺を見限ったんじゃないか」

 「護符を賭ける」と口にしたとき、腰帯から子供の手が離れたように感じた。彼は〈白鷲〉の資格を失ったのかもしれない。

「次には、もうちょっと相応しい奴がなるだろう」

「それでは、困る」

「何?」

「〈白鷲〉でないお前には用がないのだ、ヴォース・タイオス」

「言ってくれるねえ。でもまあ、そりゃそうだろうな。その称号がなけりゃ、俺はただの護衛戦士だ。神秘もクソもない」

 それで、とタイオスは剣先を動かした。

「やるのか、やらんのか」

「剣を交えると? 何のために?」

「もっかい、最初から話せってのか?」

 タイオスは呆れた。

「俺はリダールの」

「剣を戦わせるばかりが、決闘ではない」

「……聞く気がないなら尋ねるんじゃねえ」

 自分の主導で話を進めたがる奴ばかりだな、とタイオスは顔をしかめた。

「何が言いたいんだ。危ない武器はしまって、いっそ拳を戦わせましょうとでも?」

 拳。血に染まった左手。

 彼自身の血。

(考えるな)

 タイオスは自分に言い聞かせた。

(訳は判らん。だが、動ける。それで充分)

 脇腹にどろりと血が溜まっているのが意識される。こんな感触は生まれて初めてだ。気味が悪い。

 だが、繰り返した。考えるな。

「あの街道がお前の用意した舞台であるならば」

 エククシアはタイオスの茶化すような台詞を無視した。

「ここが私の用意する舞台だ。そして勝負は、お前がここから出られるかどうかにかかる」

「何ぃ?」

 彼は思い切り顔をしかめた。

「出るだと? この妙ちきりんな空間には、どっかに出入り口があるとでも言うのか」

「無い」

 〈青竜の騎士〉は答えた。

「何ぃ?」

 再び言って、彼は顔をしかめ続けた。

「だが出入りすることはできる。お前がその手段を見つけ、脱出をしたならお前の勝ちだ。手をこまねくならば私の勝ち。〈幻夜〉にはそのまま」

 肩をすくめてエククシアは、さらりと続けた。

「お前の心臓を〈月岩〉に捧げる」

「おい」

 戦士は口を開けた。

「今度はリダールじゃなくて、俺を生贄にしようってのか?」

「あの少年は材料ではあったが、神秘ではない。私が欲しているのは〈白鷲〉。通り一遍の条件で起こる奇跡に興味はない。ライサイはただの土地神と笑うが、私は評価している」

「嬉しく、ないね」

 〈白鷲〉のことも〈峠〉の神のことも、この騎士に認めてもらいたいとは思わない。

「ごたくはいいから、抜けよ」

 戦士は繰り返した。

「舞台は、それじゃここでいいさ。観客も立ち合い人も要らん。脱出云々も、そのあとで考えてやるから」

 抜け、と彼は要求した。

「もう遅い」

 エククシアはかすかに笑みを浮かべた。タイオスは三度(みたび)「何ぃ」と言った。

「遅いってのは、何なんだ? お前は満月の夜がどうとか言ってたし、ライサイも満月が期限だとか抜かしやがった。魔術師に言わせりゃ、何だか意味のある夜みたいだな。俺には判らんが、それが判らんことをして愚かだの何だのと言われてんのかね? 知らん方が普通だと思うが」

「月の満ち欠けは、ある種の生き物に力の増減を与える。月の明るい夜には魔物が活発だという話を聞いたことはないか、護衛戦士」

「そりゃ、ある」

 タイオスはうなずいた。

「明るいんだからな、当たり前だ」

「ならば何故、昼間に活動しない?」

「明るすぎるんだろうよ」

 それがどうした、とタイオスは顔をしかめた。

「魔物が満月の夜に活動的だったら、どうなんだ。月の光に魔力があって、奴らを元気にするとでも?」

「冗談のつもりなのだろうが、生憎と正解に近い」

「はあ?」

「『夜』と『月』。魔物は概して、闇の眷属だ。太陽(リィキア)の光が彼らを灰にすることはないが、確かにお前の言う通り。強すぎて好まれない」

「だから、それが、何なんだ」

 いつまでもひとりで剣をかまえているのが馬鹿らしくて、仕方なく戦士は武器を下ろした。

「魔物の生態についてご教示くれようってのか? 生憎だが俺の職種じゃ、『連中は夜に活動する』『満月の夜には活発な傾向がある』くらいのことを知ってりゃ充分なんだよ」

「――街道の暗闇に蠢き、獣や人間を襲うばかりが、魔物と思うか」

「はあ?」

 タイオスは呆れてばかりだった。

「当たり前だろうが。魔物が町で暮らすはずもない」

「冗談のつもりなのだろうが」

 エククシアはまた言った。

「生憎と、お前は無知なのだ」

「……じゃあ、何か。お前さんとこでは、魔物を犬か猫みたいに飼ってでもいるのか」

「飼っている、か」

 エククシアはくっと笑った。

「ああ、飼っているとも。私とライサイが、人間どもを――な」

「何?」

 意味が判らない。戦士はそう思った。

(本当に、こいつの言うことは)

(判らんことばっかりだ)

「人間を飼うとは、すごい発想だな。それじゃ、あれか。お前とライサイは、人間じゃ、ない、と、でも……」

 語尾が弱まった。

(まさか)


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