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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第5話 記憶 第1章

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11 愚を犯すのは

「いまは、判ったように思う。お前を殺す理由は、過去の罪に関してではない。将来への憂いのためでもない。お前がそうして、余所でシリンドルを貶め続けることを防ぐためだ」

「何を言っているのかさっぱり判らぬな」

「ああ、そうだろうとも」

 判らないだろう。理解し合えない相手というのは、存在するものだ。

「この女が見えぬのか?」

 ヨアティアはミヴェルのあごを掴んだ。彼は、ルー=フィンの心の動きが判らないと言ったのではなかった。そんなものは判ろうとすらしていない。ヨアティアはただ、人質がいるのに彼を殺す話をし続ける、そのことが判らないと言ったのだ。

「剣を捨てろ。いや、捨てなくてもかまわんか。お前に〈魔術師の腕〉はない。そう、いまや」

「あっ」

 ヨアティアはミヴェルを押しやった。強い力に女は膝をついた。

「先夜のように、撃てばよいだけだ!」

 ヨアティアが指先に雷の子(ガラシア)を光らせてルー=フィンを指差したとき、剣士は剣を持ち上げ、祈るようにそれを身体の前に立てた。

 似非であろうと何であろうと、魔術は危険なものだった。その標的とされれば、ただの剣士に抗う術などない。

 だが彼は、ただの剣士ではなかった。

 ルー=フィン・シリンドラスだ。

(斬ることは、お考えにならない方がよろしいかと)

(合わせる程度なら、可能かもしれませんがね)

 魔術師――本物の――言葉が、彼の内に蘇った。

 斬ることはできないが、合わせることならば。

 イズランは「合わせることも危険だ」と言ったのであるが、ルー=フィンにとってそれは忠告と言うより助言になった。

合わせる(・・・・)

 まっすぐ正確にルー=フィンめがけて投げられた術である。どれだけ速くとも、軌跡の見当はつくというもの。

 神の騎士をして天才剣士と呼ばれる若者は、似非魔術師の雷球に剣を合わせた。両手に衝撃が伝わる。それから、強い痺れも。

(放すな)

 彼は自身に言い聞かせた。

(一日に二度も剣を落とすなど、騎士の名折れ)

(仮にもシリンドルの騎士と思うのであれば)

(放すな)

 掌が倍に膨れ上がったかのような感覚が、ルー=フィンを訪れていた。柄を握っている感触がない。

 だが彼は放さなかった。彼の剣を。

「何だ、いまのは」

 ヨアティアは呟いた。

「何をした……?」

 雷術は、球遊技で打ち返された投げ玉のように、ルー=フィンの剣で弾かれた。

(正直)

(可能とは思わなかったが)

 合わせれば返せる確信はなかった。魔術の質や強さなど、彼に判るはずもない。

 これは運。または才能。或いは神の加護。

 何であれ、ルー=フィンの行動はヨアティアを動じさせた。

「馬鹿な……」

 歯ぎしりをしてヨアティア、もう一度手を振り上げた。

(二度目)

(同じことを繰り返す愚を犯すのは、私か彼か)

 ヨアティアの狙いは正確だった。彼はルー=フィンの喉から胸元を的としており、ルー=フィンは同じやり方で同じ術を同じように――いや、次には狙い返した。

 仮面の男は驚愕した。ヨアティアは似非魔術を使っても魔術師ではなく、訓練など受けていない。

 得た力を放つことはできても、返されたそれをどうすればよいのか判らず、ただ立ちすくんだ。

「ぐわああっ」

 返された雷撃は、それを生み出した者の肩に当たり、男を虫のように跳ね飛ばした。落下の衝撃で、金属製の仮面は男の顔から離れた。

「馬鹿、馬鹿な、この、俺が」

 地面にはいつくばり、ヨアティアは呆然と呟いた。ルー=フィンは地面を蹴った。

(手の感覚が、奇妙だ)

(だが、好機)

 あれから四度目の邂逅にして、使命の遂行が帰還の意志に結びついた此度(こたび)こそ、〈峠〉の神の示した瞬間(とき)

 ルー=フィンはそう確信した。

 しかし、〈峠〉の神を捨てた男は、まだ、あがいた。

「くそ、負けん。俺は、負けんぞ!」

 がくがくと手を震わせながらも、似非魔術師はそれを振った。

 姿が消える。だがルー=フィンは見失わない。

「女でお前が剣を捨てないのであれば、ガキだ」

 その顔が醜く見えるのは、あらわにされた傷痕のためではない。繰り返しそうした手段を選ぶ歪んだ心根が、男を卑小に見せていた。

 盾にされた少年はやはりもがいた。その力は女のそれよりも強かったが、怒りに燃えた男は、獲物を捕らえた獣のように少年を強く捕らえており、放すことはなかった。

「タイオスが守っているガキだな。これに何かあれば〈白鷲〉の名誉も地に落ちる。お前の嫌がりそうなことだ、ルー=フィン」

 そのとき、ルー=フィンの内に浮かんだのは、怒りよりも、恥に似たものであった。

(何ということか)

(これが、シリンドルの民。次期神殿長であった男)

 優位に立つために、女子供を盾にして。それを恥とも思わぬ男。同じシリンドルの民として、身の縮むような思いだ。

(ヨアフォード様は亡く、ミキーナも逝った)

 反逆を起こすまで、ヨアフォードは立派な神殿長だった。立派な神殿長を勤め上げた裏には反逆の目論見があったのだとしても。

 ミキーナには、何の罪もなかった。ただ、ヨアティアが逃げるためだけに、邪魔な彼女を殺した。

(彼女の命を無下に奪い、父と祖国の名誉を汚し、これ以上、何を)

 そして感情は、哀しみのようなものに転じた。

 虚しさにも近かった。

 ヨアティア・シリンドレンと理解し合おうとは思わない。こうして敵同士でなかった長年も、打ち解けることなど考えられなかった間柄だ。

 だがそれでも。

 あまりにも深くある隔たりに、剣士は、憤りすら失った気持ちになった。

「お前が〈白鷲〉の、いや、誰かの『名誉』について口にするなど、それだけで侮辱というもの」

 静かに、ルー=フィンは言った。

 ヨアティアほど、その言葉に似つかわしくない男もいない。彼はどこか冷えた心で、そう思った。

「――タイオスの名誉など、どうでもいい」

 そう言ったのは、ルー=フィンではなかった。彼はそんなことは思っていない。

 しかし、ヨアティアでもなかった。その通りのことを思っていたとしても。

 その代わりと言おうか。がくり、と地面に膝をついたのは、ほかでもない、ヨアティア・シリンドレンだった。

「な、何が」

 何が起きたのは、ヨアティアには判らなかった。ルー=フィンは見ていた。だが彼もまた、判ったとは言い切れなかった。

 赤く染まった短刀を手に、ばたりと倒れたヨアティアを見下ろしていたのは、ひとりの少年だった。

「……リダール」

 半ば呆然と、ルー=フィンは少年の名を口にした。

「僕は」

 少年は、腕の返り血を拭った。

「リダールではない」


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