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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第2章
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10 何かが起こるとしたら

「タイオスの知り合いがさらわれたんじゃなくて、さらわれた子も無事に帰ってきたなら、言うことはないわね」

 春女はそんなふうにまとめた。

「あたしたちには飛び火しなさそうだし。うちには大きな心配事があるんだから、そんなことにかまってられないもの」

「うん?」

 リーラリーの言葉にタイオスは片眉を上げた。

「何かあったのか」

「聞いてよ、タイオス」

 春女は戦士のたくましい腕を取って、困ったような顔で彼を見上げた。リーラリーは一般的に言われるような美人ではないが、愛嬌があると言うのか、くるくると変わる表情が愛らしい。

「うちのすぐ裏にね、〈幻夜の鏡〉って新しい同業の店ができたのよ」

「へえ」

「物珍しさでそっちに行くお客さんも多いし、困っちゃう」

「いまどき、新しい娼館なんてできるのかね」

 少し意外に思ってタイオスはそう呟いた。

「できたんだから、できたのよ」

 唇を尖らせてリーラリーは、当たり前と言えば当たり前のことを言った。

「価格は高いけど、若い美人が揃ってるらしいわ」

「へえ。そりゃ、興味も湧くな」

 つい本音を洩らしたタイオスは、腕を軽くつねられた。

「よせよ、俺はこっちにくるって」

「いいわよ、行きたいなら行けば」

 彼を放すと、女はひらひらと手を振った。

「どうせ、タイオスもほかのお客さんも、いずれはうちに戻ってくるに決まってるもの」

「自信たっぷりだな」

「そうよ。顔がよけりゃ売れっ子になれるってもんじゃない、なんてのはこの世界の常識なんだから」

「そりゃ、高い金払って顔だけの女を抱くより、手頃な価格でツボを心得てる女と遊ぶ方がいいわなあ」

「そういうこと」

 リーラリーは片目をつむった。

「なら大して『大きな心配事』でもないだろう」

 戦士が笑えば、春女は顔をしかめた。

「戻ってくるまでは、心配だもの」

「まあ、俺はそっちには行かんよ」

 安心しろ、などと戦士が言えば、春女は嬉しそうに笑った。

「ねえ、いつまでカル・ディアにいるの」

「そうだなあ、数日から一旬か」

「今度はちゃんと、夜にきてね」

「おうよ」

 タイオスはリーラリーに礼などして見せ、次の訪問を約束した。

 予定した時間帯に合わせて戦士がキルヴン邸へ戻れば、少年は尻尾を振らんばかりにして出迎える。

「待っていましたよ、タイオス」

「おう」

「では、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げるリダールに、戦士は任せろとうなずいた。

「エククシア殿も近くにおいでのはずですから」

 夕刻の街並みに出て行く支度を整えながら、リダールはにこにこと言った。

「まあ、そのはずだわな」

 計画上、護衛がいると知れる行為は避けるべきであるから、事前も事後も挨拶の類はないということだ。それを考えると顔合わせは昨日済んでよかったということになるだろう。

 もちろんそれは確かなのだが、まさかいない(・・・)のではなかろうな、とタイオスは少し思った。

 もっとも、護衛をさぼってリダールがさらわれたと言うのでは、たとえば相手がどうしようもなく強くてさらわれてしまったなどという展開とは訳が違う。見守っていることはいるはず。

 リダールは、護衛がふたりもいるという安心感からか、はたまた危ないことであるという実感がないものか、怖がる様子も見せずに館を出て行った。見失わない程度の距離を置いて、タイオスもついていく。

(道筋は確認済みだが)

(気になるのはやっぱり……〈青竜の騎士〉様だな)

 どこにいるのか、とタイオスは周囲を見回した。少なくともぱっと見て判るところには、金髪の騎士はいなかった。

(まさか本当にいないってことは、まあ、ないだろうが)

(こうなれば、判ることもあらあな)

 エククシアには、本気でリダールを護衛する気など、ない。

 律儀に使命を果たそうとするのであれば、タイオスと連携を取るべきだと考えるだろう。だが結局、騎士からの連絡はなかった。

 自分ひとりで充分だと考えている、とも取れる。タイオスの存在を無視してもかまわないと判断した、と。

 楽しみにしていると、エククシアは言った。それは戦士と共同戦線を張ることを示したのではない。最初から判っていたことではあるが、いまや確実だ。

(キルヴン閣下の話を半分に考えたって、エククシアが俺を仲間と考えていないことは明らかだ)

 とは言え、おとなしくそれぞれがリダールを守ろうと見張りを続けているだけなら、何も問題は生じない。

 何かが起こるとしたら、標的が行動に移ったとき。

 リダールの身に危機が迫るときだ。

(向こうは、俺の居場所を把握してるかもしれん)

(こっちがそれをできていないというのはちょっとばかり気持ち悪いが、後発だ、仕方ない)

 中年戦士は割り切って考えた。

 リダールはのんびりと、カル・ディアの街並みを歩いていく。その様子は、本当にただ竪琴師のもとを訪れるというだけに見える。

 タイオスとエククシアが守ってくれると信じているのだろう。仮にさらわれても、父親は金を出してくれるはずだと思っているのかもしれない。狼藉者が相手であれば命以外にも「危ない」ことがあろうが、誘拐に遭った娘たちも乱暴をされた形跡はないようだ。

 ともあれ、実はさらわれたあとで殺される危険があるのだ、などという話はしないままで正解だったように思った。そんな話をすれば、リダールはタイオスから離れなかったのではあるまいか。

 戦士はリダールをそっと追いながら、周辺を気遣った。

 悪党団の気配はないか。

 〈青竜の騎士〉の気配はないか。

(日のある内から誘拐ってこともないだろうがね)

(油断は禁物だ)

 自分に戒めながら、彼はカル・ディアを西へと歩いた。

 冬の日が陰り行く。

 少し小高い場所に上れば、海にも近いこの街からは、雄大な景色が眺められることだろう。

(景色のいい村、というのもいいな)

 ふっと思ったのは、理想の引退先のことであった。

(美人の妻の肩を抱きつつ、きれいな夕焼けを見物しながら終わる一日なんてのは、平和でたいへんよろしい)

 いささか夢想の入った考えであることは、さすがに自覚がある。若い頃、吟遊詩人(フィエテ)の歌になりそうな冒険をしたいと思ったのと同じようなものだ。

 結局のところ自分の最期は、引退を決意できぬまま、いつか足でも滑らせて山賊に斬られるという辺りではなかろうかと彼は思っていた。それは昔馴染みのティエが言ったことだが、的確のような気がする。

(夢、か)

 リダールの夢は何なのだろう。タイオスはそんなことを思った。楽器の演奏を褒められれば、吟遊詩人になりたいなどと考えたりするものだろうか。

 だが、どんな夢を抱いたところで、逃げだしでもしない限り、彼の将来は決まっている。それは安定であると同時に、気の毒なことであるのかもしれなかった。

(ハルにはそんなふうに思わなかったな)

(人には、向き不向きがあるってことか)

 ハルディールは王の器を持っていたが、リダールが伯爵の器だとは思えない。少なくともいまのところは。

 しかし決まっているのだ。致し方ない。そこから脱するのであれば強い意志と実行力が必要になる。やはり現状では、リダールにそうした片鱗は見られない。

 タイオスはつれづれとそんなことを考えていた。太陽(リィキア)がゆっくりと西の海へと下りていく。

 警戒すべきは復路だろうと、彼はそう考えていた。

 だが――。

「タイオス」

 不意にすぐ近くで名を呼ばれて、中年戦士は情けなくもびくっとした。

「な、何だ」

 彼は動揺を見せまいと平然とした顔を保ったつもりでいたが、大成功とは言えなかった。

「エククシアか」

 金の髪を束ねた、黄色い右目と青い左目を持つ騎士が、いつの間にか戦士の傍らにいた。

(この野郎、そっと近づいてきやがって)

(くそ)

(――気づかなかった)

 確かにタイオスが警戒していたのは前方、リダールの方ばかりであり、自分の周辺には気をつけていなかった。しかし、だからと言って、背後を取られるなど。


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