08 痛くもかゆくも
雲が動く。月が翳る。雲が動く。月が、輝く。
三人と三人は、程なく向かい合った。
そこにいたはやはり、エククシアとアトラフとミヴェルであった。両腕を組む金目銀目の〈青竜の騎士〉のやや後ろに、ふたりのソディが彫像のように立っていた。
「ご招待に応じていただいて、有難い限り」
タイオスは口火を切ると、下手くそな宮廷式の礼をした。誰も、にこりとも、しなかった。
「さて、長話は無用だ。勝負と行こう、エククシア」
戦士は、金髪の騎士だけを見ていた。
「いや、勝負じゃなく」
彼は続けた。
「賭け、と言ってもいい」
「ほう?」
そこでエククシアは、囁くような声を出した。
「条件を聞こうか」
「判ってるんだろうによ」
タイオスは鼻を鳴らした。
「決闘と言っても、どちらかが死ぬまでとは言わん。勝負がつけば、それでいい」
「ほう」
「ま、俺を殺したけりゃ、その気でやれよ。俺だって手は抜かんからな」
「私は一度も、お前を殺したいとは言っていないはずだが」
「そうだな。聞いてない」
彼は肩をすくめた。
「俺の求めるものは、判ってるはずだ。俺が勝てば、何もかも元通りにしてもらう」
「何もかも、とは?」
「判ってるんだろうによ」
三度、タイオスは言った。
「リダール。フェルナー。あと、ミヴェルもな」
名を呼ばれた女は、驚いた顔をした。
「私? 何故、そこで私の名が出るのか」
「聞くな、ミヴェル。戯言だ」
アトラフが制した。
「だが、彼が何故、私を知っている?」
「やっぱりねえ」
タイオスは唇を歪めた。
「大当たりだな、ルー=フィン」
「……ミヴェル」
彼は彼女を呼んだ。
「話がしたい」
「お前は?」
胡乱そうにミヴェルはルー=フィンを見た。
「私のことは、知っているはずだ。それに――」
「くだらぬお喋りは、なしだ」
きっぱりとアトラフが遮った。
「ミヴェル。お前も口をつぐむんだ」
固い声音に、女は黙った。
本来、彼らの立場は同等だ。だがミヴェルは自分が下だという意識をずっと持っており、はっきりとした命令に逆らうことを知らない。近頃はアトラフも優しい口調だったが、彼女は「勘違い」などしない。自分は「特別」であったりすることはないのだと考えている。
「話は、あとでゆっくり、すりゃいい」
タイオスもそこで追及する気はなかった。彼の言わんとするところを理解して、ルー=フィンも黙った。
「答えは?――〈青竜の騎士〉殿よ」
「お前が勝てば、と言ったか。有り得ぬことだ」
エククシアは肩をすくめた。
「応じる必要性は、見当たらないな」
「有り得ないと思ってんなら、むしろ応じていいだろうが。叶えることのない約束なら、いくら誇大にしたって痛くもかゆくもなかろ」
「確かにな。だが、〈白鷲〉よ」
騎士は左右色の違う瞳を光らせた。
「お前の提案にあるのは、お前の利のみのようだ」
「あー、気づいた?」
タイオスは笑った。
「まあね。それだけで乗ってくれりゃあ楽だと思ったんだが。突っ込まれりゃ仕方がないな」
「では、お前の賭け金は」
「判ってんだろ」
繰り返し、彼は言った。
『駄目だ』
声が聞こえたように思った。
『タイオス、駄目だ』
腰帯が、引かれたような。
(うるさい)
彼は一蹴した。
「俺が負ければ、お前が詰め所の牢で提示した望み通り、〈白鷲〉の護符をやる」
すう、と――腰帯にかかっていた見えない力が消えた。
「タイオス、馬鹿なことを」
「うるさいな」
戦士は、今度は現実の声を一蹴しなければならなかった。それは無論、ルー=フィンのものだった。
「叶えることのない約束なら、いくらしたって痛くもかゆくもないんだよ」
その勝利宣言に、銀髪の若者は黙った。黙らざるを得なかった。
「は」
エククシアは笑った。
「そうきたか」
「どうだ? 悪くない取り引きじゃないか?」
「〈白鷲〉。あのときは、情報を隠し通したいのであれば護符と引き換えにすることで言わずともよいと、私はそうした話をしたはずだな」
「あのときとは事情が違うってか? ケチ臭いこと言ってんじゃねえよ。それとも、あれか」
タイオスは鼻を鳴らした。
「できないのか。勝手な判断は。ひとりで決めれば、ライサイに怒られるのか」
「挑発か。ヨアティアにも同様に繰り返したようだな。芸のないことだ」
「人間、一芸に秀でてれば充分だと思うね」
口の端を上げてタイオスは言った。
「だが生憎、私の望みは件の護符そのものではない」
「じゃあ何だ。言ってみろよ。何でも約束してやるよ。叶える必要、ないからな」
にやりとしてタイオスは手招き、その内心では、何を言われるかとはらはらしていた。
いまの彼には、エククシアをこの舞台に乗せるしか手がない。
単純だと言われようと、彼は戦士だ。剣を合わせ、勝った者が望みを叶える。これがいちばん判りやすく、かつ、彼にできる唯一のこと。
だが突拍子もない約束をさせられては、きつい。
実際、口で言うような自信などないのだ。
空言はただで口にできるが、そのつけは大きい。
「お前は私を殺す気はないと言った。私もだ」
「へえ?」
「だが、そこには『いまは』という一語がつく」
「……どういう意味だ」
「ヴォース・タイオス」
エククシアは彼の名を呼び、指を突きつけた。タイオスは一瞬怯んで、一歩退きそうになった。
「私が勝てば、〈幻夜〉の日に、お前には死んでもらう」
「何だと?」
彼は口を開けた。
「何だ、その、幻夜ってのは。店の名前か」
娼館〈幻夜の鏡〉を思い出した。エククシアは薄く笑った。
「そうではない。だが、話はあとでゆっくりと、すればよい」
「この野郎」
彼の台詞を使われたと気づき、顔をしかめる。
「何だか知らんが、それでけっこうだ。負ければ今日死ぬ代わりにいつか死ぬって訳だわな」
(俺の命を賭けるんなら、話は同じだ)
彼はそう考えた。
「取り引きは成立か?」
「成立だ」
「よし」
タイオスは軽く手を打ち鳴らした。
「はじめよう。決闘って名の、喧嘩をな」