06 好きにはさせん
「確かに、消えてはいない」
タイオスは呟いた。ルー=フィンは片眉を上げた。
「と、言うのは?」
「あー、会ったんだよ」
仕方なくタイオスは、リダールと話していたところに突然フェルナーが現れた話をした。
「ええ? それじゃ……」
リダールは更に口を開けた。
「あれはやっぱり、夢じゃなかったんですね」
「何か覚えてるのか」
タイオスは驚いて尋ねた。
「フェルナーのことか」
「いえ……何て言ったらいいのか」
少年は両手を組み合わせた。
「不意に、意識がとぎれた。そんな感じがしたんです。急に深い眠りに落ちたみたいな。でも、よく考えたら、タイオスと喋っていたのにそんなのは変ですよね」
「よく考えなくても変だ」
戦士はうなった。
「夢、と言ったな」
ルー=フィンが口を挟んだ。
「何か見たのか」
「見たと言いますか……見なかったと言いますか」
「どっちだ」
「何もない、暗いところにいたような気がします。ずいぶん、寒く感じた」
「そいつぁ」
タイオスははっとした。
「フェルナーの言ってた場所と、似てるな」
「え?」
「――あのガキも言ってたんだ。何もない、暗くて寒いところにいて……もうあんな場所に閉じ込められるのはご免だと」
「では、あれは、冥界なのでしょうか?」
「お前は死んでないだろう」
「そうですけど。でも」
リダールは困惑していた。タイオスも同様だ。
(やっぱりいまのリダールは、フェルナーが死んだことに納得してる)
(哀惜の気持ちはあるんだろうが、そこまでだ。俺たちがフェルナーと話したと言っても、頭で理解しようとしている様子で……食いついてこない)
おかしな反応ではない。何も。
だからこそ、違和感を覚える。
「思い出してもらえりゃ早いんだが、お前の意志でどうにかなることでもないんだろうな、たぶん」
「タイオス。ほかにも気になったことがあるが、いいか」
「何だ」
言ってみろ、と戦士はルー=フィンを促した。
「ミヴェルのことだ」
「うん?」
「ずいぶん、腹を立てていたようだったろう」
「そうだな」
タイオスはうなずいた。
「初めて顔を合わせたときと同じように、人を仇みたいに睨みやがった。……それだけ、一族が大事なんだろう」
「彼女は、お前に命を預けるつもりでいた」
「何?」
思いがけない言葉に、タイオスは目をぱちくりとさせた。
「お前の言葉に従うことが、自分の生きる道だと考えたのだろう。深い語らいをした訳ではないが、彼女がお前の指示に従うことに決めていたのは確実だ」
「それはつまり、裏切り者として処罰されるよりは俺についた方が得策だと考えた、ってことだろ。だから、アトラフが罰しにじゃない、助けにきた時点で、ミヴェルには一族を捨てる理由がなくなったと」
彼は顔をしかめた。
「アトラフは、ミヴェルを我が妻だとか言いやがった。ジョードには気の毒だが、あの女のことは」
「――お前は何故、リダールとフェルナーを襲った記憶の消失や変遷を彼女の変化に結びつけない?」
「ああ?」
戦士は顔をしかめた。
「それじゃあいつも、忘れてるってのか? 俺のことはともかく……もしかしたら、ジョードのことも」
「考えられることだと思うが」
「あの。ジョードと言うのは、誰ですか」
「……思い出せ」
うなるように言ってから、戦士は卓を叩いた。ドン、と力強く。リダールはびくりとした。
「あ、あの、すみません、ぼく……」
「あいつら、胡散臭え、勝手なことばかり、しやがって」
無論タイオスは、リダールを叱ったのではなかった。
「俺は、誓う。エククシアを負かし、この混乱を戻させる。青竜野郎にできなけりゃ、あいつを人質にでも何でもして、ライサイを脅してもいい。どうあろうと」
掌に爪が食い込むほどの力で、戦士は拳を握り締めていた。
「これ以上、あいつらの好きにはさせん」
「正直、私は、とても面白いことだと思うね。……なんて言ったら、タイオス殿に殴られそうだが」
イズランは肩をすくめた。
「考えられることだった。ああして、フェルナー少年の記憶と意志を操って見せたのだからな。もともとソディの教義に染まっているミヴェルであれば、かなり大きな修正を加えても、当人はフェルナーが感じたよりも違和感を覚えないだろう」
「私もそう思う」
サングはうなずいた。
「ああ、これがアル・フェイル国内だったらなあ」
イズランは天を仰いだ。
「陛下のご許可があるいま、たいていのことはやりたい放題なのに」
「気の毒だったな、とでも言ってほしいのか?」
「要らないとも」
灰色の髪の魔術師は首を振った。
「これもまた、試練と言うもの」
「安い試練もあったものだ」
サングは肩をすくめた。
「安いとは聞き捨てならないな、ラドー」
「ふん。また言うのか? 魔術師が問題にしない『国境』がお前には重要で、そのためにやりたいこともできないと」
「言いたいね。だがあんたもまた言うんだろう。選んだのは私であり、それによる利得も充分すぎるほどあるはずだ、と」
「言おう」
「まあ、その通りであるから、例によって反論の余地はない」
イズランは降参するように両手を上げた。
「それにしてもタイオス殿は親切だ。役者をみんな、集めてくれようと言うんだから」
「お前のためではあるまいよ」
「そりゃあね。判っているさ。ただ、結果的に私が考えていた布陣に近いものができる」
「――ライサイは、どうする」
「奴さんは、出てこない」
きっぱりとイズランは言った。サングは片眉を上げる。
「言い切る理由は?」
「簡単だ。〈第二十二境界〉。彼は、ああした場所の付近から離れないんだ。離れられない訳じゃないだろう。ほかの連中は、堂々と闊歩しているのだからね」
「成程。宗主は〈月岩〉より出でて、時に〈月岩〉の向こうへ帰り、あちらを通って、境界に姿を見せる。離れることを好まないという判断か」
「おそらく。ただ、エククシアは違う。ライサイから受け取った力の利点を巧いこと活かして、あちらこちらだ。ついには私の思い人から逢い引きの誘いを引き出した」
「では、どうする? 逢い引きを滅茶苦茶にしてやりに行くか?」
「まさか」
イズランは肩をすくめた。
「最初から言っている通り。私は、彼を見ているだけでいいんだ」
「私に嘘をついても意味はない、イズラン」
「判ってるさ、ラドー。確かに私は、思い切りちょっかいを出すつもりでいるよ。だが同時に、傍観者なのさ」
「いいだろう」
サングはうなずいた。
「では、助力はここまでだ。材料は全てお前に渡した。好きに料理をするといい」
「有難う、ラドー。いろいろ助かったよ」
「礼など不要。貸しは返してもらうのだから」
「はいはい。……怖いね、いつもながら」
魔術師が魔術師らしくなく魔除けの印など切ったときだった。
「ん」
イズランは目をしばたたいた。
「やれやれ。陛下がお呼びだ。すまないがラドー」
「代行には、更に貸しがつくが?」
「仕方ないな。先日の、〈クーヴィの五色卵〉を協会に提供する。……まだ充分には遊べていないんだがねえ」
「よかろう」
弟弟子の愚痴は無視して、兄弟子は了承した。
「それじゃ陛下のお守りは頼んだ。私はこれから」
イズランは軽く礼をすると、黒いローブを翻した。
「舞台観賞だ」