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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第2章
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09 乱暴はしないかもね

 普段、リダール・キルヴン少年は、カル・ディアルの中ほどにあるキルヴンの町で暮らしているらしい。

 首都カル・ディアには数月に一度ほどやってくるだけであり、今回もたまたまなのだとか。

 キルヴンの町にはいろいろな師がいて、伯爵の子息のもとを交互に訪れる。時には父親の仕事を手伝う執務官たちに教わりながら、将来の執務を学ぶ。時間が空けば使用人とお喋りをしたり、町に出かけたりする。そんな生活のようだった。

 カル・ディアには王子殿下のご機嫌伺いにやってきた――もちろんと言おうか、リダールの意志ではなく父親の指示ということになる――が、そこでこうした事情に巻き込まれた。

「ですから」

 ハシンは茶菓子を用意しながら、タイオスにそんな話をした。

「こちらには教師もご友人もおらず、坊ちゃまは退屈されているのですよ」

「だからって俺にまとわりつかんでも」

 朝食のあとはお茶の時間、ときたものである。

 確かに日が陰るまでリダールにもタイオスにも用事はないが、彼は伯爵の子息の無聊(ぶりょう)を慰めるために雇われた芸人(トラント)ではない。

 かと言って無下にもできず、決して悪い子ではない――「子」という年齢でもないのだが――ものだから、中年戦士も対応に困った。

(まあ、五日から一旬のことだ)

(悪党が早く行動してくれりゃ、早く済む)

 タイオスは護衛らしからぬことを考えた。どうにかして誘拐犯に「ここに獲物がいるぞ」と教えられないだろうか、などということである。

 もちろん探して接触して交渉などはできないが――状況的にも倫理的にも――とにかく早く終わらせたい。

 嫌ったり憎んだりする訳ではなく、強いてどちらかと言うなら好ましいが、年がら年中つき合うにはしんどい相手というのがある。リダールはまさしくそれだ。悪気がないから、対応に困る。

 タイオスはその後、どうにか言い訳をしつつ少年をかわして出発の時刻がくるのを待った。

 リダール少年はカル・ディア滞在中、西区の外れにある音楽家の家を訪れては器楽を学んで帰ってくるということになっていた。

 学問など何でもいいのだが、実際、西区に住む竪琴師(フィエテ)は貴族の子女に指導をしており、自分が出向くのではなく習い子たちに足を運ばせるということで知られていた。

 住処も中心街区(クェントル)から向かうには、意図的に大通りを使おうとしなければ、小道ばかり通っていくような場所に存在する。

 言うなればちょうどよかったのである。

 リダールは夕刻に出かけ、半刻ほど指導を受けて、暗くなりだした頃に帰るということの繰り返しだった。

 問題なのは、往復経路。時間帯を考えれば、主に復路ということになるだろう。

 もののついでと言うのか、リダールは実際に演奏を習っているらしい。筋がいいと褒められました、とはしゃぐ少年は、それが有力者の息子への世辞だなどとはつゆほども考えていないようだった。

 それは気の毒であるような、少しうらやましいような。

 出発の時刻を待つ間、タイオスはもう一度、街へ出た。少し街の噂を聞いてみたかったのだ。

「あらあ、タイオス!」

 訪れた娼館〈青薔薇の蕾〉で、知った顔が彼を出迎えた。

「またきてくれたのね。嬉しいわ」

「よう、リーラリー」

 歌っているような名前の春女は、一度はタイオスを「乱暴で嫌な男」と断定したものの、その後に彼が仮のねぐらを〈青薔薇の蕾〉に定めて時間を過ごしているうちに、なかなか彼女の好みに合う客だと判断したらしかった。

 半年ぶりでもひと目で彼が判るというのは、商売柄の能力、客の顔を忘れないということもあっただろうが、もしかしたらほかの理由もあるかもしれないな、と中年戦士は少々自意識過剰に考えた。

「久しぶりね。嬉しいわ」

 彼女はまた言ってから、眉をひそめた。

「でもまだ、店は開いていないのよ。もう少しあとにきてくれる?」

「あー、すまんが今日は、お前さんを抱きにきたんじゃないんだ」

 残念そうにタイオスは言った。いささか演技も入るが、残念だという気持ちも皆無ではない。

「あら」

 リーラリーは目をしばたたいた。

「あたし以外をご所望って訳」

「まさか」

 機嫌を損ねてはいけないと、タイオスはすぐさま否定した。

「ここにきて、お前さん以外を指名するもんか」

 その言葉は春女の表情を満足気にさせた。

「じゃあ、娼館に、それ(・・)以外のどんな用事が?」

「ちょっと訊いてみたいことがある」

 戦士は言った。

「誘拐事件の話は、知ってるか」

「何それ」

 春女は首をひねった。

「少なくともうちは警備もしっかりしてるし、遅くなれば家まで送ってもらえるから、もしおかしなのが尾けてくるようだったら追い払ってくれるしさ」

 リーラリーは心配そうな顔をした。

「誰かさらわれたの? タイオスの知ってる人? 探してるとか?」

「いや、俺の知り合いって訳じゃない」

 そういう事件があると聞いたんだ、と曖昧に話した。隠すことでもないが、何も知らないのであれば彼が言いふらすことでもないと考えたのだ。

「ああ、そう言えば」

 だがそこで、リーラリーはぽんと手を叩いた。

「上流のお客さんだからちょっと名前は言えないんだけど、さらわれた娘さんが戻ってきたなんて話をしてた人がいたっけ。てっきり、父親が娘の恋人を悪く言ったのかと思ってたけど」

「名前までは訊かんが。貴族か?」

「まあね」

 春女は少し自慢気に鼻をぴくりとさせた。

「うちは高級娼館じゃないけどさあ、老舗だけに、偉いお客さんもいるのよ」

「ほかに何か訊かなかったか」

「そうねえ」

 リーラリーは首をかしげて、考えるようにした。

「娘の純潔が心配だったが大丈夫のようで安心した、なんて言ってたわ。春女を買う男が何言ってんの、と思ったけどさ」

 けらけらと彼女は笑った。

「でもそれで判ったわ。恋人と家出でもしたなら処女のままなんて有り得ないでしょうに、と思ってたんだけど。お金目当ての誘拐なら乱暴はしないかもね」

「成程な」

 誘拐された子女が無事に戻ってきたというのは、怪我をしていなかったという意味に限らず、貞操も無事だったということになりそうだ。

(まさか誘拐犯に対して紳士的だとは言えないが)

(街道で金も女も根こそぎ奪う山賊の類とは、ちょっと違うようだな)

 同じ犯罪を複数回に渡って成功させている誘拐犯。倫理道徳などというものから縁遠そうな連中が、薬で眠らせた無防備な若い娘を前にしてもおかしな真似をしないというのは、規律の厳しい団体であることを想像させる。欲望よりも上からの粛正への恐怖が強いのだ。

(軍隊ならご立派と褒めるところだがね)

(規律正しい犯罪集団なんてのは、追いかける方にしてみりゃ厄介だ)

 山賊を追い回すのでも、首領の出来によってこちらの労力には大いに差が出るものだ。首領が馬鹿なら部下も馬鹿だが、首領が賢ければ部下は馬鹿でも手強くなる。

「有難う、リーラリー」

「うん? 何か役に立った?」

「大いに」

 油断ならない相手だということは判っていたが、根拠がひとつ加わった。

(だがそれにしても)

 彼はふと思った。

(リーラリーが聞いたのは、貴族の旦那からだ)

(ってことは)

(プルーグの野郎は、いったいどこから「噂」を聞いたんだ?)

 コミンの町の情報屋(ラーター)は、カル・ディアでは誰でも知っている話であるかのように語った。その噂が流れてきただけだと。

(たまたまあいつが話を知る人物に行き当たっただけかもしれんが)

(このことは覚えていた方がいいかもしれない)

 何しろ〈痩せ猫〉には、過去にタイオスを売った前科があるのだ。

 もっとも今回は、彼が売られたのどうのということはないだろう。もしかしたらプルーグは噂を小耳に挟んだのではなく、何らかの情報源を持っていたのかもしれないという程度の疑いだ。そうであっても違っても大勢に影響はない。

 ただ、コミンに戻ったら情報屋を締め上げてやらねばと思うくらいである。


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