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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第4章
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10 そんな必要が、どこに

「タイオス」

 ルー=フィンの声に緊張があった。

「消えた」

「あ?」

「彼女は消えた。そうとしか思えない」

「何を言ってるんだ? 単に、急いで店内かどこかへ」

「気配が消えることと遠ざかることは違うだろう」

「『だろう』と言われても」

 戦闘時の極限状態でもあればともかく、普段から人間の気配など気にしているものか、と戦士はもっともなことを思い、そしてルー=フィンという若者は意識するでもなくそうしたことが可能なのだと気づいた。

(この天才めが)

 感嘆とひがみのないまぜになった複雑な気持ちを奇妙な罵詈雑言に転じてすっきりすると、タイオスは若者の言葉を考えた。

「だが『消えた』なんて有り得んだろう。彼女は魔術師じゃ……」

 もちろんリーラリーは魔術師ではないはずだ。だが、その代わり。たったいま思った通り。

 この件には、腐るほど魔術師――似非も含めて――が関わっている。

「おいおい、まさか、またか」

 連中はそんなに、拐かしが好きなのか。タイオスはそんなふうに考えて顔をしかめた。

「タイオス、あれだっ」

 不意にリダールが叫んで空中を指差した。そのときには、ルー=フィンは地面を蹴っていた。

「ま、ちょ、待て!」

 中年戦士は叫んだが、若い剣士はとまらなかった。それは、当然だった。

「くそっ」

 遅れじと戦士は続いた。

「リダール、お前はここにいろ」

「でも」

「サング! か、イズラン! どうせ見てんだろ、こいつに何かあったら、判ってるな!?」

 姿の見えない魔術師に言い投げて――本当に見ているかなど、確証はなかったが――タイオスは走った。

 銀髪の剣士に続いて角を曲がり、路地裏に駆け込んだタイオスは、足を止めたルー=フィンの横に並ぶと、揃ってそれを見上げた。

 〈青薔薇の蕾〉のはす向かいにある、平屋。その屋根の上に、いたのだ。

 背後から捕まえられて口をふさがれた春女と、それから、金属製と見える仮面を身につけた男が。

「おい! 何してる、シリンドレンの馬鹿息子が!」

 タイオスは叫んだ。

「彼女を放せ。相変わらず弱者には強い奴だな。いい加減、そういうせこい真似はやめろ。腕力で女にしか敵わないからってなあ!」

「挑発のつもりならば無駄だ、タイオス」

 高い位置から彼らを見下ろし、ヨアティアは笑った。まるでそうした場所に立つことで自分の優位を示そうとするかのようだ。くだらない、と戦士は思った。

「どうやらこれは、お前の女か。どうせなら、もう少し美人を選べばよいものを」

 ヨアティアはリーラリーのあごを強く掴んだ。

「あぁ!? お前と好みが合わなくて結構なこったよ!」

「降りてこい」

 タイオスが買い言葉を返す内、ルー=フィンは固い声で言った。

「今度こそ、決着をつける」

「お前たちの剣の届く距離にこいという訳か。俺が乗ると思うのか」

「乗らんわな。臆病者には、できんことだ」

「挑発は無駄だ、と言っている」

 ヨアティアはそう返したものの、声には苛ついた調子が垣間見えた。

「タイオス」

 ルー=フィンはそっと囁いた。

「奴の気を引け。私は、屋根に上る方法を探す」

「馬鹿。ばれるに決まってるだろう」

 ふたりして並んでいるのである。いくらヨアティアの間が抜けていても、どちらかが動いて気づかぬはずはない。

「だから、気を引けと言っている」

「俺は魔術師でも手品師でもないっ」

 そんな便利で都合のいい手管は持っていない、と戦士は抗議した。

「ではここでふたりして雁首揃えてあれを見上げているしかないと言うのか」

「そうは言わん。と言うか、言いたくないが」

「何をこそこそ話している」

 ふん、とヨアティアは鼻を鳴らした。

「俺を引きずり下ろす相談か? この女のことを忘れるなよ、ルー=フィン」

「女を人質に取らねば、われわれと()れないという訳か」

()る? そんな必要が、どこにある」

「何だと」

「この件から手を引け。そうすれば、女は放してやってもいい」

「……何だと?」

 先に顔をしかめたのはルー=フィンだったが、次にはタイオスも同じようにした。

「リダールの件か。フェルナーの件と言うべきか。ライサイとその手下どもの企みを放っておけとそう言いたいのか?」

その通りだ(アレイス)

「あのな」

 タイオスは息を吐いて、それから吸った。

「それはこっちの台詞だ! 俺は依頼を受けて仕事をしてる。お前は何なんだ。俺への復讐か? それなら正々堂々とこいと言った通り。剣でとは言わん。圧倒的不利だが、例の似非魔術でも何でも使ってこいや。無関係の女を巻き込むなんざ男の風上にも置けん」

「は」

 ヨアティアは笑った。

「騎士気取りか。いい気なものだ」

「馬鹿野郎。騎士じゃなくたってこれくらい言うわ」

 タイオスは屋根上を睨みつけた。

「お前は、あれか。エククシアの手駒なのか。恥ずかしくないのか? お前の親父はな、そりゃあ選択は誤ったが、最後まで堂々としたもんだったぞ。あれはあれで、国のためを思ってな」

「――タイオス」

 ルー=フィンが驚いたように声を出した。

「それをお前は、何だ。俺やハルにつまらん逆恨み。胡乱な連中の手を借りて、いいや、お前はもしかしたら対等でいるつもりかもしれんがな、どう考えても利用されてるんだぞ」

「知ったようなことを言うな」

「あのな。俺は別に、お前を説得する気はない。だが、お前も少しは自分の馬鹿さ加減を自覚しやがれ」

「お前こそ、自分の立場を判っていないようだ」

 男の手が女の首に伸びた。その手には、小さな刃物が握られていた。リーラリーはすっかり怯えて、口から手を放されても悲鳴を上げる余裕もないようだった。

「春女のことなどどうでもよいか? それならそれで、かまわん。俺はこれを殺して、この場を去るだけだ」

「よせ」

 思わず、タイオスは言った。ヨアティアは満足そうにあごを逸らした。

「だろうな。〈白鷲〉殿は、弱者を見捨てることなどなさらない。ましてや自分の女となれば、その安全のために、何でもしてくださるはずだ」

「馬鹿野郎。『何でも』なんざ、するか」

「ほう? では、この女は不要だな」

 ヨアティアの手に力が込められた。

「や」

 やめろ、とタイオスは叫ぼうとした。だが、ここで叫んだところで、どうなるものか。ルー=フィンの言う通り。どうにかして屋根に上って、剣を突きつけてやらねば。一対一ならともかく、ふたりなら、似非魔術も容易に振るえないはず。

(しかし)

(どうやって)


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