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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第4章
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09 その気になりゃ

「もてるなあ、お前」

「うるさい」

「褒めたんじゃないか」

「そうは思えない」

 むっつりとルー=フィンは答えた。やっぱり堅苦しい――と考えてタイオスは、はたと気づいた。

(……それともこいつ)

(ミキーナに操でも、立てる気なのか?)

 気の毒に亡くなった、ルー=フィンの恋人。彼女の突然の死は、若者の心を酷く傷つけたはずだ。あれからまだたった一年程度、その傷は癒えていないだろう。心の傷は、身体のそれより、治りが遅いものだ。

 だが、死んだのだ。ミキーナはもういない。彼女以外の女は抱かないなどと決めるには、ルー=フィンはあまりにも若すぎる。

(……いっそどっかの王様みたいに「別の趣味」でも持つとか、それとも)

 それともむしろ、少しけしかけてやろうか、とタイオスは思った。こっそりリーラリーに言って、極上の女を送り込むとか。

(さすがに、やるとしても、落ち着いてからだな)

 タイオスは、親心だか悪戯心だか判らない感情をしまった。

「まあ、とりあえず俺たちは揃ってた方が、サングやティージもうろつかんで済むだろう。リダール、ルー=フィン、腹は減ってないか」

「ご飯ですか? いいお店があるんですよ」

 リダールが目を輝かせた。

「……お前のそれは、あれだな」

「どれですか」

「いや、何つうか、どうせなら腹にたまるもんが食いたい」

 リダール少年に案内された小洒落た店を思い出して、タイオスは苦笑いを浮かべた。

「ルー=フィン、お前の腹具合は……うわっ、何だっ」

 タイオスはぎょっとした。と言うのも、若者が素早く剣を抜いたからである。

 まさか空腹かどうか尋ねただけで決闘を申し込まれるのかとか、さっきの考えを見抜かれたのかとか、彼の内にとっさに浮かんだのはそんな益体(やくたい)もないことだった。

 だがもちろん、どちらも的外れである。

「いま……」

 剣士は油断なく、周囲を見回した。

「異様な雰囲気を覚えた」

「何?」

「感じなかったか、〈白鷲〉」

「生憎と、俺は普通の戦士なんだ」

 彼はいじけるでもなく、正直に言った。

「何を覚えたって?」

「――敵意」

「何だと」

「そのように感じられた。……タイオス」

「まさか、あいつか」

 タイオスは顔をしかめ、剣の柄に手をかけた。

「判らない。だが」

 対するルー=フィンは、細剣を納めた。

「彼女は?」

「は? ああ、リーラリーか?」

 彼は周辺を見回した。

「向こうに……」

 タイオスは見慣れた春女を見つけて指差した。そこで彼の手はぴたりと固まる。

「あいつ」

「あれ」

 リダールがまばたきをした。

「彼女といるの、ミヴェルですよ。偶然ですね」

「ああ、偶然」

 タイオスは指で作った矢印を引っ込めた。

「の、はずが、あるかっ」

「あ、タイオス」

「ルー=フィン、そいつについてろっ」

 若者の返事を待つ必要はなかった。「フェルナー」を目前でさらわれたルー=フィンは、それこそ姫君を守る騎士のごとくリダールを守ろうとするだろう。

 もしも魔術師が魔術で再び同じことを目論めば結果は十中八九同じなのだが、それでもほかの誰に任せるより、ルー=フィン・シリンドラスが信頼できる。

「リーラリー」

 彼は呼んだ。

「――ミヴェル」

 女たちははっと振り向いた。リーラリーが「何?」と小首を傾げただけなのに対し、ミヴェルの狼狽は明らかだった。

「おい。お前さん、やっぱり奴らのところに戻ったのか?」

 そうとしか考えられず、タイオスの疑問は愚問というものであった。だができることであれば「脅されて仕方なく」というような返事を聞きたいと思ったのだ。ジョードのために。

「何のことだ」

 女は、半月前――リダールを取り戻そうとするタイオスを睨んだときと同じ目つきで言った。

「くそ、もう現れるとは」

「あ? 俺のことか?」

 問うまでもないだろう。先ほどまでこの場におらず、新たにやってきたのはタイオスとリダールだけだ。

「やっぱり俺をいぶり出そうって訳だったのか? いや、煙のなかにいなけりゃ『いぶり』出されやしないが」

「くそ」

 ミヴェルは返答を避けて――聞くまでもないとも言えた――ぱっと走り出した。

「おっと、逃がすかよ」

 素人の動きなど、その気になれば読める。彼は天才ではないが、熟練だ。素早くミヴェルの進行方向をふさげば、女は彼を憎々しげに見上げた。

「そんなつもりなら」

 タイオスはその視線を怯まず受け止めた。

「こっちもそれなりの態度を取らしてもらおう」

 戦士は彼女の腕をしっかりと掴んだ。振り払おうとしても女の力では無理であるほどに。

「リダールとフェルナーをどうする気なんだ、お前らは。いや、お前はあんまり知らんのだったな。アトラフとかいう奴はどこに」

「ここに」

 ピリッとタイオスの指先に雷神(ガラサーン)の子ガラシアが宿った。彼の手は緩み、ミヴェルはそこから逃れた。

「この野郎。また魔術師か」

 タイオスは呪いの言葉を吐いた。

「ってことはあれか。火ぃ放ったのはてめえか」

 彼は現れた若い男を上から下まで計るように眺めた。

「えげつないことをしやがって」

「私ではない」

 ミヴェルの肩に手をおいて、アトラフは言った。

「このような汚らしい場所に火をかけて何になる? 浄化にはなるかもしれないが」

「ちょっと! 失礼じゃない! うちの店はねえ」

「すまんが黙っててくれ」

 タイオスは頼んだ。リーラリーはむーとうなって引っ込んだ。

「エククシア様はお前の神秘を認め、手になさろうとしている。だが自惚れるな。ソディは、お前ごときのためだけに動くほど暇ではないのだ」

「そういうのは自惚れとは言わんだろうが」

 彼は呟いたが、アトラフは特に訂正しなかった。

「ただし、お前がどういうつもりであろうと、我が妻に手を触れる行為は許されない」

「妻、だあ?」

 タイオスは思い切り顔をしかめた。

「まじで言ってんのか? お前ら……」

 彼は額に手を当てた。

「んなの、あいつにどう言えってんだ」

「伝えてくれなどとは言っていない」

「この野郎」

 彼は軽くアトラフを睨んだ。

「おい、ミヴェル。お前さん、あいつに惚れたんじゃなかったのか。そりゃまあ、いろいろとしがらみもあるんだろうが、その気になりゃ脱け出せる程度の」

「いったい、何の話を」

「つまらない冗談はやめてもらおう」

 アトラフは素早くタイオスの、それからミヴェルの言を遮った。

「戻ろう、ミヴェル」

「ああ」

 女は差し出された男の手を取った。

「待て、お前らいったい」

 タイオスは口をつぐんだ。もう、呪いの言葉を口にする気もなくしていた。

「どいつもこいつも。出たり消えたり。非常識にもほどがある」

 その代わり彼は、魔術に対する愚痴を呟いた。

「ねね、いまのひとたち、誰?」

 リーラリーはタイオスの指先を掴んで戦士の気を引いた。

「可能な限り係わり合いになりたくない手合いだ」

 彼は説明にならない説明をした。ふうん、と春女は特に追及しなかった。

「あの女と何を話した? 何か訊かれたのか」

「うん。でも大したことじゃないわよ。『何か被害はあったのか』ってだけ」

「被害、ねえ」

 状況を心配するふりの野次馬のふり、とでも言うところだろうか。ミヴェルにしろアトラフにしろエククシアにしろ、本気で心配するとは思えない。

(俺がうっかり焼け死んだかとでも期待したとか)

(いや、そんなこともないよな)

 タイオスがいるかどうかも確認せずに彼を焼き殺す気、或いは殺さない気でいたのであれば、あまりにも馬鹿すぎる。

「消えたな。また魔術か」

「そうらしい」

 ルー=フィンの声に、彼はしかめ面で振り返った。

「奴らとイズランはぐる(・・)なんじゃないかという気がする。あっちにはこんなにたくさん魔術師がいるんだから、もっと魔術師を信頼して協力を仰がなけりゃ駄目だぞ、と……」

 戦士の呟きはもちろん性質(たち)の悪い冗談のような愚痴であり、若者は相手にしなかった。

「火事は彼らの仕業か?」

「そうじゃない、と言ってはいた。信じられるとも思えんが」

 魔術師協会は「似非魔術師」の犯行も特定できるものだろうか。タイオスには判らなかったが、サングが本当に協会第一であるならば彼が説明をするだろう。もし協会がヨアティアやアトラフを捕まえて閉じ込めたり、彼らが奇妙な術を使えないようにしてでもくれるのなら、万々歳だが。

(そういうことができるなら、サングやイズランがそういう提案をするよなあ)

(いや、判らんか)

 彼らは完全なる味方ではないのだ。彼らに都合がいいように協会を動かすことだってあるかもしれない。サングは協会の導師という立場を忘れていないようだが、イズランは「何でもあり」だ。

「――タイオス」

「ん?」

「彼女は」

「何だ、またリーラリーか?」

 彼は苦笑した。

「お前、もしかしてあの子のことが」

 中年戦士は若者を何か茶化そうとしたが、今度はリーラリーの姿をすぐに見つけられなかったことから、中途半端に言葉をとめた。

「うん?」

 愛嬌のある春女の姿は、彼らの近くになかった。

「……娼館に戻ったのか? 一言もなく?」

 一言もなしに戻るなど彼女らしくないが、彼が魔術のことを考えている間に店の人間に呼ばれでもしたのかもしれない。

 そう思った。だが、違和感も覚えた。

(リーラリーを呼ぶ声なんざ、聞かなかったような)


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