07 似たようなもんだ
「あの。どうしたんですか、タイオス」
「どうしたもこうしたも」
彼がうなる間に扉は開き、初老の使用人は主人の息子と客人に対する礼を終えていた。
「ご歓談中、申し訳ございません。タイオス殿に、お客様がお見えでして」
「は? 俺に?」
キルヴンの客人たる彼に客人とは。
「いったい、誰が」
「ルー=フィン殿と仰るのですが」
「何? あいつ、何でまた」
〈青薔薇の蕾〉で待っていろと言ったのだが、春女たちに言い寄られて逃げ出しでもしてきたのだろうか。中年戦士は呑気にも、そんなことを思った。
「では確かに、タイオス殿のお知り合いなのですね」
「ああ。それがどうか……」
言いかけて彼は、嫌な予感を覚えた。
「どうか、したか」
「護衛の者のなかに、以前、ルー=フィン殿を見たという者がおります」
「へ、へえ」
彼は引きつった。
「そりゃ、偶然だな」
(ルー=フィンの阿呆が)
(ハルを狙ってここを襲撃したこと、忘れたのか!)
もちろん――そのときには、タイオス自身も襲撃側であった。それは演技であったということで護衛たちもほとんど納得しているのだが、ルー=フィンはそうではない。
(表の騒ぎはそれだったのか)
(……つまらん挑発に乗ってないだろうな)
「あー、判った。とにかく、とりあえず、俺がすぐ」
行く、と言いかけてタイオスはリダールを振り向いた。少年は、行ってらっしゃいとばかりに手を振ろうとしたところだった。
「お前もこい」
「え?」
「俺はお前から目を離さないことにしたんだ」
「は? あの……ぼくはもう、逃げたりは」
「そういう問題じゃない。『お前』には、気の毒だが」
うなるように戦士が言えば少年は不思議そうな顔をしたが、こくりとうなずくと、タイオスの手招きに従った。
「どんな騒ぎになってるんだ」
館内を玄関へと向かいながら、タイオスはハシンに尋ねた。使用人は難しい顔をする。
「ショルという護衛兵が、客人を賊と糾弾しました。問題は、当のルー=フィン殿がそれを否定されないことで」
「あの、馬鹿」
そこは否定しとけ、とタイオスは思った。
「剣を抜くような騒ぎになったか」
「そこまでは。当家の兵も、乱暴者ではありません」
「そりゃそうだな。すまなかった」
タイオスは謝罪した。
「ただ、館内に入れる訳には断じていかないと、ショルが主張しています。客人は、タイオス殿を呼んでもらえればそれでかまわない、と」
そこでハシンが伝令役を買って出たということだった。
「それくらいで済んでるなら何よりだ」
逸った兵士がルー=フィンに斬りかかりでもしたら。
天才剣士が敗れることはないだろう。だがその代わり、怪我も癒えていない状態で、どこまで手加減できるかという問題がある。ど素人相手ならともかく、まがりなりにも本職の護衛兵では、却って加減が難しいというものだ。万一ルー=フィンが、兵を殺すまでいかずとも酷い負傷をさせれば、いろいろと面倒である。
そうした事態に至らずに済んで本当によかった、とタイオスは胸を撫で下ろした。
(俺はまだ、四十とちょっとだぞ)
(……心労による白髪なんぞ、増やしたくないんだが)
現状、どうにか「白いものが混じっている」程度で済んでいるが、もう少し進むと目立つだろう。もう十年もすれば仕方ないと諦めるものの、いまはまだ気になるときもある。
いや、白髪が増えるくらいならまだいい。先ほどから、胃だの胸だの、痛くなりっぱなしだ。心労で身体を壊したくはない。
(これ以上は、勘弁願いたいもんだ)
などとタイオスは、戦士の神ラ・ザインと医療の神ティリクールにそっと祈った。
「おい、どうした」
表へたどり着いたタイオスは、気軽なふうを装って声を出した。
「あー、何だか、雰囲気が悪いようだな?」
緊張した空気を無視してしまおうかとも思っていたタイオスだが、ショルと思われる三十前後の護衛兵がタイオスにまできつい目線を向けてきたため、そこに触れざるを得なかった。
「どうやら」
こほん、と中年戦士は咳払いをした。
「何か、誤解が生じているものと、思うが?」
にっこりと愛想笑いを浮かべて戦士は言った。
「誤解?」
兵は鼻を鳴らした。
「俺はよく覚えているとも。この銀髪野郎が」
「こいつが」
タイオスはやれやれと息を吐いて、それからショルの視線を受け止めると、表情を消した。
「――何だって?」
低く、問う。何も声を荒らげる必要はない。ただ、ここが戦場であるかのような気迫を込めた。不意の殺気に、ショルは瞬時、言葉を失った。
「あ……いや」
「――ほら、リダール。こいつがルー=フィンだ」
次には笑みを取り戻して、タイオスは伯爵の息子に無言でいる剣士を紹介した。
「リダール・キルヴンです」
場の空気を理解したのかしないのか、理解した上で無邪気に笑って見せているなら大物だが、たぶんこの場に漂う微妙な雰囲気に気づいていないだけだろう、とタイオスは判定した。
「ルー=フィン・シリンドラスだ」
ここで銀髪の若者も口を開いた。と、リダールの目が輝いた。
「シリンドラス? シリンドルの方ですか? も、もしかして〈シリンディンの騎士〉」
「いや……そうではないが」
「厳密に言えば違うが、似たようなもんだ」
タイオスは口を挟んだ。
「わあ! やっぱり! タイオスの友だちでシリンドラスなんて言うから、きっとそうだと思ったんです。すごい! ぼく、〈シリンディンの騎士〉に会えるなんて思ってもいませんでした」
「ああ、いや、だから、私は」
「お話、聞かせてもらえますか!」
興奮した様子でリダールが言えば、何だか空気はまるっきり変わってしまった。
(……意図的)
(じゃ、ないよなあ、やっぱり)
噂の騎士だ、すごい騎士だ、と目をきらきらさせてルー=フィンの手を取る主の息子を前に、ショルも毒気を抜かれたかのようだった。
本当にルー=フィンが悪党だと思うのであれば、館の護衛としては、リダールを近づけさせないべきである。だがショルがそこに気づく前に、タイオスは片手を上げた。
「あとは俺が」
「あ、ああ」
任務を引き継ぐかのような言い方は、あまりこの場にそぐわなかった。だが「責任は自分が取る」という宣言であり、ショルもそこを理解したようだ。
「俺は戻るが……そいつを館へは」
「だから誤解」
タイオスはひらひらと手を振った。
「お前が何をどう記憶していてもそれは勘違いだ。いいな?」
「何……」
「まあ、ここは俺も引くわ。こいつを館のなかには入れん。その代わり、お前は妙なことを言いふらさない。これでどうだ」
「……いいだろう」
こんなのは取り引きでも何でもない。ショルに口をつぐむ理由はないのだ。だが兵は、タイオスが先ほど見せた迫力と、リダールの能天気な言動の落差に、思考が停止したと見えた。うなずいて踵を返す。
タイオスはほっとした。こんなところで喧嘩などできない。敵同士でもないのに。
(あとで多少問題になるかもしれんが、何とかごまかすことにしよう)
彼はそっと、曖昧でいい加減な指針を立てた。実際、ショルは確信しているし、タイオスが事実を知っていることにも気づいているだろう。だがとりあえずはいま騒ぎにならなければそれでいい。
「さて、〈シリンディンの騎士〉さん」
中年戦士はぽんと手を叩くと、銀髪の剣士を呼んだ。ルー=フィンはじろりと彼を睨んだ。
「そうではないと知りながら呼ぶとは、私を愚弄するつもりか。それとも〈峠〉の神を」
「ほんの冗談と言うか、話の流れが生んだ軽口だろう。真顔で怒るなよ」
「冗談や軽口で騎士を名乗ることは許されない」
「そりゃまあ、ごもっとも」
(どんなときでも堅苦しい奴だ)
タイオスは苦笑いを浮かべた。
「それで? どうしたんだ、ここにくるなんて。それに」
中年戦士は片頬を拭き取る動作をし、ルー=フィンの顔を指さす。
「色男になったな」
若い剣士の左頬には、今朝の浅い傷痕の上に、泥汚れのようなものがあったのだ。ルー=フィンはタイオスの真似をするようにそこを拭って、ああ、と呟いた。
「煤だ」
「何?」
「〈青薔薇の蕾〉で、火事が起きた」
それを伝えにきた、と若者は反対の頬も拭いながら簡潔に言った。