05 仕方なくなど
リダール・キルヴン。
フェルナー・ロスム。
ひとつの身体に、ふたりの――少年。
「……お前、な」
タイオスはそっと、呟いた。
「言いたかないが」
こほん、と彼は咳払いをした。
「ますます、幽霊じみてきたぞ」
たったいままで、リダールと話をしていた。だがいま、ここにいるのはリダールではない。ヴォース・タイオスはそのことに確信を持っていた。
それこそまるで幽霊だ。生者の身体を乗っ取って、この世の未練を追いかける。
「僕は幽霊ではない!」
憤然と少年は叫んだ。
(こりゃ、やっぱり、間違いないな)
(――フェルナーだ)
いったいどうなっているのか。それはタイオスには判らない。
しかし確実だ。これはフェルナーである。
「単刀直入に訊こう。お前、ライサイに連れられたあと、何があった」
フェルナーの主張を無視して、タイオスは尋ねた。
(それにしても驚いたな、まさかいきなり現れるとは)
幽霊じみているとしか、言い表せない。
(だが驚いてる暇はない。状況の把握と、打開に努めなけりゃならん)
先ほどまで、彼の向かいにいたのはリダールだった。ではこうして現れるまでの間、「フェルナー」は何をしていたか。
あのあとからいままで、彼に何があったのか。
タイオスはそれをはっきりさせたかった。
「お前に話してやる義理はない」
むっつりと、フェルナーは答えた。
「ははあ。さては、覚えていない?」
「何だと!」
「怒るなよ。お前の頭が足りないと言った訳じゃないんだ」
タイオスはなだめるように言った。
(リダールもそれなりに面倒臭いが)
(こっちの方が厄介だな、やっぱり)
これは性格の違い。それとも、年齢の違い。
或いは――。
「お前、ライサイに拉致されたことは、覚えてるか」
「拉致だと」
「判りやすく言えば、誘拐、かどわかしだ」
「それくらいの言葉は知っている!」
またしてもフェルナーは叫んだ。
「あまり大声を出すな。使用人が、何ごとかと飛んでくる」
今度こそ荒くれ戦士が若様に乱暴を働いている、などと護衛兵を呼ばれてもたまらない。
「リダール坊ちゃま、と呼ばれたくなかったら、静かに話せ」
いまひとつ迫力のない脅迫だったが、効を奏した。
「――何となく、覚えている。ルー=フィンがライサイと戦っていたこと」
だが、どんな話をしていたのかは覚えていない、と彼は言った。
「ああした本気の剣技や魔術を目の前で見たのは初めてだったから、ちょっと興奮したんだ」
びびったんじゃないのか、という指摘がタイオスの内に浮かんだが、彼は黙っておくことにした。わざわざ「何だと!」と叫ばせることもない。
「行き先は、カヌハだったのか。ライサイとはそのあと、話したか。エククシアとは。ミヴェルとは」
「一度に訊かれても答えられない」
「ひとつずつ答えりゃいいだろう」
「カヌハ、だったと思う。ライサイやエククシアが話しているのは見たが、僕自身は特に話をしなかった。ミヴェルは」
意外と素直に、少年は順を追って答えた。
「……僕は、お前が僕を起こした、あの部屋に通された。少し待てと言われて、仕方なく待った。そうしたらアトラフと名乗る男がミヴェルと一緒にやってきて、僕をカル・ディアに帰してくれると」
その証言には、事実との差異があった。
しかしそれは、タイオスには判らないことだった。
「どうやってここに戻ってきたか、リダールは知らんとさ。お前はどうだ」
よって彼は、そう尋ねるしかなかった。
「……のか」
「何」
聞こえん、と戦士が言うと、フェルナーは大きく息を吸った。
「僕が、知らないと言えば、信じるのか!」
「大声を出すなと言ってるだろうがっ」
タイオスは思わずフェルナーの口を手でふさぎ、護衛が飛んでこないか耳を澄ました。その様子は生憎と言おうか、まさに「若様に乱暴を働く荒くれ戦士」と見えた。
だが幸いにして、聞き耳を立てていた使用人も護衛兵もいなかったようで、廊下が慌ただしくなる気配はない。
その代わり――。
「ん? 何だ?」
窓の外が騒がしい。戦士はそれを聞き取った。
「何かあったのか」
様子を見てくるか否か、タイオスは迷ったが、迷うことでもないなと考え直した。何しろここには本職の護衛兵がいるのだし、それはタイオスの同僚ではないのだ。任せておけばいい。
「とにかく、リダール……じゃねえ、フェルナー」
「人の名を間違えるなど、失礼千万だ」
「顔が同じなんだから仕方ないだろうが」
「ちっとも、仕方なくなど、ないっ」
フェルナーはばしばしと敷布を叩いた。
「名前のことも。身体がひとつのことも」
「ひとつったってなあ」
リダールはひとりでフェルナーもひとり。そしてフェルナーの肉体は、ないのだ。ひとつとかふたつとか言う問題ではない。
「なあ、フェルナー」
間違えないように、と慎重にタイオスは呼んだ。
「もう一度、訊く。お前、ここに戻ってからのことを覚えているか」
彼は微妙に質問を変えた。
「リダールがキルヴン閣下と話すのを……その、何だ、そんなかで聞いていたか」
「どうしても僕を幽霊にしたいようだな」
フェルナーは顔をしかめた。
「お前はやっぱり、『ユヴィケルス』のように、僕がリダールに取り憑いて彼を好きに操っているとでも考えているんだな」
少年は、有名な幽霊奇譚を口に上せた。
「こんなことは、僕の望んだことではない」
「答えになってないな」
タイオスはきっぱりと言った。
「だいたい、お前が親父んとこ……ロスムんとこに行ったのが、お前の望みじゃなかったとは言わせないぞ」
「それは、たまたま、彼らの望みと一致しただけだ」
「彼ら」
タイオスは改めて、リダールではないフェルナーの襟首を捕まえた。
「ライサイやエククシアとは話していないと言ったな。なら、アトラフやミヴェルのことか」
「あのふたりは、宗主の駒だ。彼らの行動は、宗主の考えによるものに決まっている」
少年は戦士の手を振り払った。
「ライサイが、可哀想な迷子のお子様をおうちに送り届けてくれた、とでも?」
リダールも。フェルナーも。
「パパは感謝するだろうな。まさか礼金目当てってこともなかろうが」
(いや……)
金、ではない。だが、目当てはあるはずだ。
(ロスムにキルヴン。どちらも力ある人物だ。実際の勢力なんかは、俺には想像しかできないが)
ナイシェイア・キルヴンと、レフリープ・ロスム。何かと比べられ、互いに競い合ったと言う。
もしも彼らに何の才能もなく、価値を認められなければ、比べられもしないだろう。彼らは、当人たちの感じる重圧はともかく刺激を与え合って功績を作り続け、カル・ディアル国によい結果をもたらしてきたのではないか。
(確か、キルヴン閣下は陛下の覚えがめでたいとか何とか言ってたな)
(見栄を張る性格じゃなさそうだ。あれは本当だろう)
(つまり、リダール・フェルナーをいいように操ることで二伯爵をも操り、カル・ディアルに食い込もうと……いや、ぴんとこないな)
戦士は首を振った。ロスムとキルヴン、二伯爵を利用したいのではという考えまでは何となく合っている気がしたが、何も死んだフェルナーをリダールの内に蘇らせなくてもいいだろう、と思ったのだ。
(ロスムに対しては、恩が売れるか?)
(だが……)
よりによってリダール・キルヴンなのである。涙を流して感謝するとは思えない。