04 既視感
彼らはフェルナーと離れ、待機場所に戻った。何でも少年は、再び「リダール」となって、キルヴン邸へ戻るのだと聞いた。
リダール。フェルナー。
ふたりでひとりの少年。
それがソディに何をもたらすのか、正確なところをミヴェルは知らない。
ただ、栄光への一歩であるとだけ。
「くだらない」
ふん、と鼻を鳴らした男がいた。
「大国の貴族に取り入ろうという程度の腹づもりだろう。ライサイというのも、大したことはないな」
仮面の男だった。アトラフはそれを睨んだが、何も言わなかった。
「そのロスム伯爵の金を自由にしているのは、お前だろう」
気づけばミヴェルは指摘していた。
「エククシア様のご厚意に甘えて、恩恵を受けているくせに」
「何だと。女、俺を愚弄すれば、許さぬぞ」
「事実だ。お前は、傷を腐らせて死ぬところをエククシア様に救われ、〈魔術師の腕〉まで授かった。その恩を忘れて……」
「協力をしてやっただろう! お前たちの――」
「仮面殿」
アトラフがそこで声を出した。
「貴殿は、ミヴェルと直接会うのは、今日が初めてであったと思いますが?」
「う……」
ヨアティアは詰まった。
「そう、そうだったな。そういう話だ」
「仮面殿」
「ああ、何でもない。俺の勘違いだ。あれは……違う女だった」
「違う女?」
「仮面殿」
「いや、何でもない」
男はもごもごと何か言って、それから口を閉ざした。
(はっきりしない男だ)
ミヴェルは首をかしげた。
(ヨアティア・シリンドレン――南にある小国の出身だと聞いたが)
(何と言ったか。確か、シリンドル)
(元神殿長の息子で、父親が起こした反乱の代理処刑を怖れて逃げ出したのだとか)
(……誰に聞いたのだろう?)
エククシアだったろうか。
だが、〈青竜の騎士〉とはしばらく話をしていなかった、ような。
(ではアトラフ殿か)
(しかし、アトラフ殿ともそれほど親しい訳では)
この件に片が付いたら、ミヴェルはアトラフの妻になることになっている。しかしそれは〈しるしある者〉同士の務めであり、個人の親しさは関係ない。アトラフは彼女に優しくするが、それは彼が気のつく男だからだ。
(近頃はよく食事に誘ってくださって)
(……近頃)
(いつ頃から、だったろうか)
(……よく覚えていないな)
どんなものを食べただろう。どんな話をしただろう。思い返してみたが、ぴんとこなかった。思い浮かんだのは、酒や、瓏草のこと。
(瓏草)
(おかしいな。アトラフ殿はそんなものを飲っただろうか)
(よく……判らないな)
どうにもはっきりしない。自分の記憶はこんなに曖昧だったろうかと、ミヴェルは不思議に思った。
つきん。
頭が痛む。
考える気が、なくなる。
「とにかく。俺はいつまでも、お前たちに協力をするつもりはない。いや、〈損得は協力で得られるもの〉……俺にも利益がなくてはな」
「カヌハでの優遇や金だけでは足りないという訳だ」
アトラフが肩をすくめた。ヨアティアは仮面の奥から彼を睨んだ。
「――タイオス! タイオスだ! あの、クソ戦士めが。それにルー=フィン。奴らは俺の邪魔をするに決まっている。さっさと殺ってしまうべきなのだ」
タイオス。ルー=フィン。
聞いたことの、あるような。
(先ほど、出た名前だ)
(タイオスというのは、我らに敵対する人物のようだ。ルー=フィンというのも、同じだろう)
彼女はそうとだけ考えた。
聞き覚えがあったように思うのは、気のせいにすぎないと。
「殺すの何のと、物騒だな」
アトラフは顔をしかめた。
「はっ、口清いことを」
ヨアティアは笑った。
「俺の〈腕〉も、お前のものも、死んだ魔術師の犠牲の上に成り立っているのではないか」
「結果を得るための崇高なる犠牲と、貴殿の復讐心を一緒にするべきではないな」
「本気で言っているのなら、気味の悪い奴らだ」
もしもタイオスが聞いていれば〈化け狐と惑わし鼬の罵り合い〉だと嘲笑っただろうが、幸か不幸か、戦士はその場にいなかった。聞いていたソディの女は、ソディの男の言うことに一理あると本気で考えていた。
「何にせよ、エククシアめ。悠長なことばかり」
「エククシア様と、言え」
ほとんど反射的にミヴェルは言い、またしても――奇妙な既視感を覚えた。
(何度も言った)
(誰かに言った)
(いったい、誰に)
彼女は頭を押さえた。酷い、頭痛が。
「ミヴェル」
アトラフは慌てた。
「休むんだ。――薬を飲んで。いいな?」
「あ、ああ」
有無を言わせぬ口調に、ミヴェルはうなずいて立ち上がった。
自分はどうしてしまったのか。彼女は不安を覚えた。
何だかおかしい。今朝から、いや、昨夜から。
ミヴェルは昨夜、アトラフと食事をしていて、気分を悪くした。女の身体の不具合だと神女は言った。
(何という皮肉か)
(私は、女として何の役に立っていないというのに)
(いや……これからだ)
(エククシア様のお役には立てなかったが、アトラフ殿と結ばれて〈しるしある者〉を産むことができれば)
(私も……)
アトラフが水と薬を用意して、彼女に渡した。
「有難う、アトラフ殿」
ミヴェルは戸惑いながら、それを受け取った。
アトラフは気のつく男と思っていたが、こんな、使用人のような真似をするのは、彼らしくないのではないかと思ったのだ。
「――つらいのは、いまのうちだけだから」
「え?」
「すぐに治る、と言ったんだ」
優しい笑みを浮かべて、男は言った。促されて女は薬を飲み、その通りであるといいと、思った。