表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第4章
179/247

02 六年

 調子は悪くない。

 彼女はそう思っていたが、時折、頭が重い感じがした。

(いろいろな話を聞かされて、混乱しているのだろうか)

 ミヴェルはそう考えた。

 ――〈魔術師の腕〉。仮面の男が手にしたそれをアトラフもまた、手にしたのだと言う。それは驚くべき話だった。

 件の儀式には、危険がつきまとうと聞いていた。だからこそ、余所者の男が実験体とされたのだ。

 それは成功した。だが、ライサイは慎重だった。すぐさま同じ実験を繰り返すことはなかった。

 もっとも「材料」がなかったということもあるだろう。〈魔術師の腕〉を作り出すのに必要な材料――「魔術師」が、すぐには手に入らなかったから。

 しかし、材料が揃ったとしても、アトラフが対象になるとは意外だった。彼自身が志願したと言うが、どうしてそんな危険なことをと思った。次期ソディの長と言われるアトラフの地位は不動であるのに。

 アトラフはその問いに、はっきりとは答えなかった。ただ「必要だった」と言った。ミヴェルにはその意味は判らなかった。

 彼女を困惑させていたのは、アトラフの新しい力のことだけではない。

 フェルナー、またはリダールという少年のこと。六年前に死んだ子供の魂が、生きている少年の身体に蘇ったと言う。

 その儀式のことは、何となく聞いていた――ような気がした。記憶が、はっきりしなかった。だが詳しく思い出そうとすると頭が痛くなって、追及する気がなくなった。エククシアかアトラフに聞いたのだろう、と考えるしかなかった。

 と言っても彼女が〈青竜の騎士〉に必要とされなくなってからずいぶん経つ。いつ騎士と話をしたのかと記憶を遡ろうとすると、やはり、頭が痛くなった。

(私は何かの病にかかったのだろうか)

 彼女は気にかかったが、神女は心配要らないと言った。女の身体には不意に思いがけない変化が現れるものであり、頭痛は薬で抑えられると。たくさんの薬を渡され、それを毎晩、飲むようにと。

 ミヴェルは神女を信じた。アトラフを信じた。エククシアを信じた。

 これまでと、何も変わらずに。

 そう、これまでと、何も変わることはない。

(……つ)

 彼女は額を押さえた。

(何だろう。何か……引っかかる)

「どうした、ミヴェル」

「あ、いや」

 何でもない、と彼女は首を振った。

「まだ少し、〈移動〉の酔いが残っていたのかもしれない」

「キルヴン邸でも言葉少なだったな。そのせいか」

「それもあるが、私に話すことは、特になかったから」

 彼女が答えれば、アトラフはそうだなと応じた。

 「リダール・キルヴン」をキルヴン伯爵のもとへ送ったとき、彼女はただ驚いて、話を聞いていた。

 少年とアトラフの語る話は、事実と全く異なった。だが彼女はそれに驚いたのではなく、少年の様子が全く違うことに驚いたのだ。

 「リダール」はフェルナーと違った。キルヴン伯爵に「家出」の謝罪をし、アトラフとミヴェルが彼を助けたのだと語る様子に、フェルナーの影は皆無だった。演技ではない。

 少なくとも彼女にはそう見えた。

 リダールとフェルナーは別人であるという意味が、ミヴェルはそこでようやく理解できた。

 少なくとも、彼女には、そう思えた。

 それからアトラフは、リダールを誘い出した。カル・ディアを案内してほしいと言って。

 少年は快諾し、彼らと共にキルヴン邸をあとにした。

 それから「リダール」は「フェルナー」となって――次の目的地へと向かった。

「どうした。具合が悪いのか」

 そう尋ねたのは、今度はミヴェルだった。相手はフェルナーだ。

 少年は息を吐いて、頭痛をこらえるように額に手をやっていたのだ。

「いや」

 彼は首を振った。

「何でもない。ちょっと、嫌な感じがしただけだ」

「嫌な感じ?」

「何でもない」

 少年は仏頂面で繰り返した。

「おかしなことを言う奴だ」

 女は肩をすくめた。

「さて」

 アトラフが少年を見た。

「心の準備はいいか?」

「――もちろんだ」

 彼は胸を張った。それにうなずいて、男は扉を叩いた。

「入れ」

 その声に男は取っ手を回し、少年と女を先に入らせて、最後に扉をくぐると振り返って静かに閉ざした。それから彼は部屋の主に丁寧な礼をしたが、主はそれをほとんど見ていなかった。

「ち……父上」

 少年は言った。

「あの……」

「――エククシアの言葉がなければ、とても信じられない。いや、正直に言えば、やはり信じられない思いだ。何故お前が、私を父と呼ぶのか」

 レフリープ・ロスムは押し殺した声で言った。

「僕も、驚いています」

 少年は言った。

「この顔で、この身体で、父上の前に立つことなどできないと思いました。ですが彼らが、父上には話をしたと……帰って会うといいと、言ったので」

 それは、タイオスが「リダール」と再会する少し前のこと。

 イズラン、サングの密偵である元町憲兵のティージが目撃した通り、少年はロスム伯爵の館を訪れていた。

「……フェルナー」

 ロスムは少年を呼んだ。

「本当に、フェルナーなのか? キルヴンの小せがれが、つまらぬ演技をしているのでは、ないと?」

「本当です!」

 フェルナーは叫んだ。

「僕は、よく覚えています。父上に逆らって、家を飛び出したこと。子供じみた反抗だったと判っています。『デルカの法書』を読んでおくと約束したのは僕だったのに、読み切れなかったことを指摘されて、腹を立てたんです」

「――そうだったな」

 ロスムは呟いた。

「そんな、つまらぬ、話だった」

「僕は、頑張ったけれど難しくて進まないと言いました。父上は、リダール・キルヴンなんぞとつき合っているから頭が悪くなるのだと仰った。僕はそれにかっとなって、家を飛び出したんです。僕とリダールの誕辰が近かったから、彼のところに行って……父上をもっと怒らせてやろうと、思いました」

 訥々と彼は語り、伯爵は沈黙した。

「その結果が、あれだ。僕は……」

 少年は唇を噛んだ。

「僕は本当に、死んだのですか、父上」

「それは……」

 フェルナーの父は黙った。

「そうだと言わざるを得ない。しかし、そのことはもはや問題ではない。そうではありませんか、ロスム伯爵」

 声を出したのは、じっと黙っていた男だった。

「失敬。ソディのアトラフと申します」

 アトラスは再び、丁寧な礼をした。ロスムも今度は、男を見た。

「エククシア様からお話が行っているものと思いますが、このたびは我ら、アトラフとミヴェルがフェルナー殿をお連れいたしました」

「はじめはあの仮面男が連れると聞いていたが、確かに先ほど、そうした連絡をもらった」

 ロスムはうなずいた。

「あのタイオスという戦士がフェルナーを監禁していたが、お前たちが救い出したそうだな」

「その戦士のことは、私は存じ上げません。ただ、エククシア様に刃する、不埒な男とは聞いております」

「その通り。酷い男だ」

 フェルナーは大きく首を縦に振った。

「言葉も行動も乱暴で……僕を荷物のように抱え上げたり、僕を疑ったり、僕との約束を破ったり、僕の話をちっとも聞かなかったり」

「確かに、粗暴な男と見えた」

 彼らはヴォース・タイオスという人物への評価を一致させた。

「……確かに」

 ロスムはまた言ったが、次はタイオスに関する発言ではなかった。

「あの護衛をそのように言うのであれば、リダールとは思えぬな。あの子供はずいぶん、戦士に懐いていたと聞く。だが……」

「父上、まだ信じていただけないのですか」

 フェルナーは手を振るわせた。

「何を言えば、信じていただけますか」

 少年はすがるように父を見て、それから手を打ち合わせた。

「そうだ、去年の誕辰のこと。父上は、馬を買ってくださいました。すごく嬉しかった」

「――去年」

「それから、剣の師匠を探してくださる約束もしましたね。とても楽しみです」

 フェルナーは続けた。

「母上と一緒に、お婆様のお屋敷を訪れた話もしたらいいですか? あの屋敷の蔵はすごくて、僕はあのなかを見るのが大好きでした。お婆様が亡くなったとき、蔵が処分されると聞いて、すごくがっかりした」

 それから、と彼は考えながら更に話した。

「僕が五歳のときに中庭の噴水に落ちたこととか、そんな間抜けな話は、リダールにはしてません。リダールは知らない。あと、この前、木に登って降りられなくなった猫のヨークを助けようとして、僕も一緒に降りられなくなったこととか」

 話してません、と彼は言った。

「ひと月も前じゃないです。それからリダールには会ってないんだから、彼が知るはずが」

「――六年だ」

 ロスムは静かに言った。

「それから六年が経っている。フェルナー」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ