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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第4章
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01 はじめまして

 女はそっと深呼吸をすると、部屋の扉を叩いた。

「――入れ」

「失礼いたします」

 かちゃりと静かに取っ手が鳴り、彼女は室内に入ると深く礼をした。

「お申し付けにより、ミヴェル、参りました」

 そうして顔を上げると、四人の人物が彼女の目に入った。

 円卓の奥側に、宗主ライサイ。その右隣に、〈青竜の騎士〉エククシア。左に〈しるしある者〉アトラフ。続いて仮面の男。

 いや、もうひとり。

 ミヴェルは驚いたが、それを顔に出すまいと表情を引き締めた。宗主や騎士の前で、無礼があってはならない。

「どうして子供がここに、と思っているな?」

 高めの声が発せられた。ライサイのものだ。ミヴェルはただ頭を下げて、余計な口を利かなかった。

 リダール、それともフェルナーは、顔を青くしながら、エククシアの隣でミヴェルを見上げていた。

 それはライサイが〈第二十二結界〉と呼んだ場所からフェルナー少年を連れ去った、すぐあとのことだった。ミヴェルがアトラフとともに帰還をしてからひと晩が明けている。

「ミヴェル」

 エククシアの囁くような声がした。ミヴェルはわずかに鼓動を高鳴らせながら、それを聞いた。

「新たな任を与える」

「は、はい……!」

 喜びを覚えて、彼女は彼女の騎士を見た。仕事を与えられるのだ。この、役に立たない自分が。それはミヴェルを期待に震わせた。

「アトラフと、この子供をカル・ディアへ連れるのだ」

「カル・ディアへ?」

 思いがけない地名だった。ミヴェルは目をしばたたいた。

「詳しくはアトラフが知っている。お前は同行し、子供の面倒を見ればよい」

「は……」

 承りました、と彼女は深く頭を下げた。

「さっきから子供、子供と」

 少年が呟いた。

「僕は子供じゃない!」

 フェルナーは並みいる男たちを睨みつけたが、誰も少年を相手にしなかった。

「話はそれだけだ。支度をしてすぐ向かうように」

「は」

 アトラフが立ち上がって頭を下げた。ミヴェルは少年の椅子を引くようにして彼を立ち上がらせると、同じく退出の礼をして踵を返した。

「――まどろっこしい」

 ぼそりと誰かが呟いた。

「他人に言うことを聞かせるなら、もっと簡単な方法があるはずだ」

「ふふ……」

 誰かが笑った。

「我は脅迫などしないのだ、仮面の」

「誘拐と身代金の要求の、どこが脅迫でないと?」

「それは支度に過ぎない。我の相手は、あのような貴族連中ではない」

「――ふん、つまらぬ言い訳をするものだ。俺には判っているぞ、お前は」

 ミヴェルはそれ以上、上の者たちの会話を聞いていなかった。

 彼女は扉の手前でもう一度礼をすると、アトラフに続き、少年を促して、部屋を出た。

「もう平気なのか、ミヴェル。その、調子が、悪かったようだが」

 振り返るとアトラフは、案じるような声で彼女に話しかけた。ミヴェルは手を振った。

「ああ、もう何ともない。ひと眠りをすれば、治った」

「本当か?」

「嘘をついて無理を押し、あなたやエククシア様に迷惑をかけるつもりはない」

「そうか」

 アトラフは少し息を吐くと、ミヴェルの肩を抱いた。ミヴェルは少し戸惑った顔を見せた。

「その……アトラフ殿」

「うん?」

「この、手は、何だろうか」

「嫌か?」

「嫌だと言うのではないが」

 ミヴェルは少し考えて、続けた。

「歩きにくい」

「ははっ」

 アトラフは笑って、手を放した。

「確かにね。少し自重することにしよう。――君にはいずれ、好きなだけ、触れられるようになるんだから」

「それは……あれか。私があなたの、妻になると言う」

「嫌か?」

 アトラフはまた問うた。ミヴェルは首を振った。

「ライサイ様の決定ならば、私は従うだけだ」

「君はもちろん、そう言うだろうと思っていた。だがどうだろうか。君自身の気持ちは」

「わ、私の……?」

「ああ。エククシア様と……」

「お前たち」

 こほん、と咳払いが聞こえた。

「僕がいることを忘れていないか」

 とげのあるフェルナーの声に、アトラフは笑った。

「ああ、これはこれは。こちらこそ済まなかった、フェルナー。ミヴェル、その話はあとにしよう。いまは支度を」

「ああ、判った」

 彼女はうなずいた。

「だが、支度とは? 何をすればいい」

「滞在は長期に渡ると思われる。着替えなどの身の回りのものを用意するといいだろう。誰かに命じてもいい。私はそうした」

「成程」

 彼ら〈しるしある者〉は、こまごましたことを自分でやる必要はない。彼らは大国の貴族のように、使用人に何でも命じることができる。

「滞在の準備か……」

 ミヴェルは考えた。どんなものが必要か、いくつかぱっと思い浮かんだ。

「そうだな。着替えのほかにも、思いもかけず入り用になるものがあるものだ。誰かに任せてもいいが、最終的には自分で整えた方がいいだろうと思う」

「へえ」

 アトラフは彼女をのぞき込んだ。

「……まるで、どこかに長く滞在した経験があるみたいな言い方だな」

「え?」

 ミヴェルは目をしばたたいた。

「いや……」

 彼女は首をかしげた。

「私は、長くカヌハを離れたことなど、ないが」

「そうだな」

 アトラフはうなずいた。

「ない、はずだ」

 何だか妙だな、とミヴェルは思った。だが何に違和感を覚えたものか、彼女はよく判らなかった。

「それから、神女様のところに行って薬をいただくのも、君自身がやった方がいいだろう」

「薬だって?」

「カル・ディアでまた調子が悪くなってはいけないから」

「大丈夫だ。昨夜のことは、あまり覚えていないのだが」

「私と食事をしているときに、急に目を回したんだ」

 ゆっくりと、アトラフは言った。

「そう、聞いただろう?」

「ああ」

 彼女はうなずいた。

「そうだ……そうだった。神女様にお薬をいただいて休んだ。今朝は、すっきりとしていた」

「そうだとも」

 アトラフはミヴェルの肩に手を置いた。

「だが念のためだ。薬をいただいてきなさい」

「判った。そうしよう」

 ミヴェルは答えて、フェルナーを見た。

「少年。こちらへ」

「……ふうん」

「どうした?」

「いいや。では、彼らの言ったことは本当なんだな」

「フェルナー」

「大丈夫」

 少年は手を振った。

「余計なことは言わないとも。アトラフ殿」

 彼はかすかに口の端を上げた。

「では改めて」

 フェルナーは宮廷式の礼をした。

はじめまして(・・・・・・)、ミヴェル。僕の名は、フェルナー・ロスム。時に、リダール・キルヴンとも呼ばれるようだ」

「時に……?」

「その話は、おいおいに。きっと、アトラフ殿が一緒のときがいいんだろうね」

「何だか、判らないが」

 ミヴェルは正直に言った。

「フェルナーと言うのか。私はミヴェルだ。以後、よろしく頼む」

「ああ、もちろん」

 よろしく――と少年は手を差し出し、かすかに笑った。アトラフは黙って、それを見ていた。


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