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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第3章
176/247

11 知っているからな

 ふうん、と女は呟いて、長い髪をかき上げた。

「よく判んないけど、たいへんだったのね、タイオス」

「まさしく、それだ」

 寝台に寝転んで、彼は答えた。

「よく判らんが、たいへんだった」

「やあだ、タイオスったら」

 彼の繰り返しが可笑しかったと見えて、リーラリーはくすくすと笑った。

「それで、仕事はおしまい? コミンだっけ? 帰っちゃうの?」

「そういう訳にはいかんだろうなあ……」

 リダールが帰ってきた。それは実にけっこうなことだ。彼が何をした訳でもないが、自分が何かしようとするまいと、護衛対象が無事であることに文句はない。

 しかし事態はとっくの昔に、「リダールさえ戻ればよい」という段階を超えている。

 ヨアティア。ミヴェル。――フェルナー。

 三者に対するタイオスの責任はそれぞれ違うが、未決着のままではおけない。彼自身の感情もあるが、それぞれの理由で、ルー=フィン、ジョード、それにリダールが黙っていないはずだ。

(ルー=フィンとジョードの考えそうなことは、だいたい判る)

(しかし……)

 リダールが、判らない。

 少年は、何ごともなかったかのようにキルヴン邸へと戻った。道すがらに話したことで、タイオスは改めて、これがリダールであることを確信していた。

 ただ、判らない。

 リダールは「タイオスから逃げたこと」までしか、話さない。その後のことになると、少年は完全に、口をつぐむのだ。

 カヌハで何があったのかも。フェルナーの「帰還」についても。何故、再び戻ってこられたのかも。ミヴェルらに何を言われているのかも。

(だいたい、フェルナーはどうなっちまったんだ)

(死んだ、のか?)

(奴らは術に失敗していた? たった二日しか、フェルナーの蘇りは保たなかったのか?)

(まさか全部、リダールの演技……ってこたあ、ないよなあ、いくら何でも)

 気弱なリダールと生意気なフェルナー、もしも少年がこれらを演じ分けていたのであればタイオスの完敗と言えよう。しかしリダールにそんなことをする意味はないはずだ。魔術師の言うことを全て信頼する訳でもないが、サングもアル・フェイドにいた少年を「リダールではない」と断定した。

(逆に、いまのリダールがフェルナーの演技とも思えん)

(さっぱり、判らん)

 タイオスがうなれば、リーラリーは心配そうに彼を見た。

「何か飲む? それとも」

 彼女は座っていた椅子から立ち上がると、膝をついて寝台に乗ってきた。

「――する?」

 肩ひもを滑り落として、春女はなまめかしく彼を見つめた。

「いや。いやいやいや」

 タイオスは首を振った。

「魅力的なお誘いだがね、また今度」

「変な人」

 リーラリーはひもを戻して、肩をすくめた。

「娼館で女を抱かないで、待ち合わせ。いったい、何度目?」

「馴染みの店がここしか思いつかなかったんだよ」

 もちろんと言おうか、戦士は春女と戯れていた訳ではなかった。いささかぐらついたが、耐えた。

 〈青薔薇の蕾〉こそがサングに指示した待機場所であり――魔術師はおそらく、困惑しただろう――リダールを送り届けたその足で、すぐここに向かったのだ。利用料、指名料ともにきちんと払っている以上、娼館にもリーラリーにも文句はないはずだ。

 しかしサングは、調べることがあるのでまたあとでくると言って出て行ったのだとか。逃げたな、とタイオスは少し思った。

 仕方なく彼は部屋を借り、寝台の上でごろごろしながら、リーラリーに大まかな話をすることで自分の頭のなかを整理していたのだった。

 生憎、あまり上手に整頓はできなかった。

 判らないことばかりだ。

「でも無事に戻ってきてくれて、本当に嬉しい」

 リーラリーは彼の隣に転がった。

「またくる、なんて言って……たとえばそれが口先だけで、ほかの店に通うようになっちゃったんなら、悔しいけどまだいいわ。でも、本当に帰ってこないってこと、あるから」

 彼女のところに、ではない。カル・ディアに帰ってこないということ。行った先は余所の街ではなく、冥界を流れると言うラ・ムール河。リーラリーの言うのはそういうことだろう。

「幸いにして、神様の加護があるらしい。危ない目にも遭ったが、でかい傷は負わなかったからな」

 俺は、と彼は心のなかでつけ加えた。

 その代わり、ジョードやルー=フィンが命の危険にさらされた。ジョードは〈峠〉の神と関わりがないが、ルー=フィンくらいしっかり守れ、とタイオスとしては言いたいところである。

「よかった」

 リーラリーは呟くと、猫のようにタイオスにすり寄った。

「ほんと……心配したんだから」

「あー……」

 思わず反射的に、手が出そうになる。彼女が本当にタイオスに情を抱いているのだとしても、やはり商売上の愛想なのだとしても、肌もあらわな若い娘に寝台で寄り添われて無反応でいられるほど禁欲的でもない。

(あー、そうだな)

(ちょっと、くらいなら)

「その辺りで、自重をお願いします」

 こほん、と咳払いがした。タイオスは慌ててリーラリーの肩から手を離した。

「いや、俺は何も……うっ」

 戦士が怯んだのは、サングの姿にではなかった。

 黒いローブを着た魔術師の隣に、軽蔑するような視線で彼を見ている、銀髪の剣士の姿があったからである。

「いや。何もしてないから。俺は」

 どうしてこんなに焦らなければならないのだろうか、と思いながらタイオスは身を起こした。

「やあだ、びっくりした」

 目を見開いてリーラリーは言ったが、それはいきなり扉が開いたのに驚いた、とでもいう調子であった。魔術師が突然現れても悲鳴を上げたりしない春女に、タイオスは少し感心した。

「さっきの魔術師さんよね。おニイさんは、初顔」

 ルー=フィンは、ほとんど下着姿同然の春女を直視しないように、視線を逸らした。

「あら、照れてる? 可愛い」

 くすくすとリーラリーは笑った。ルー=フィンはじろりと――リーラリーではなく、タイオスを睨んだ。

「リーラリー、暇つぶしにつき合ってくれて助かった」

 判ったよ、と彼はルー=フィンに手を振った。

「またな」

「ん、それじゃ今度はちゃんと、時間取って、ね?」

 春女は戦士の頬に口づけて寝台を降り、新参ふたりに手を振って部屋を出た。

「……そんな目で見るな」

 タイオスは苦々しく言った。

「仕方ないだろうが。ここは娼館で、彼女は仕事で……いや、そんな話はどうでもいい」

 取り繕うように手を振りながら、タイオスはそのまま胡座をかいた。

「で。ルー=フィン」

 中年戦士は若者に視線を合わせた。

「何でお前が、ここにいる」

「見て判らないのか。サング術師の術による。魔術は好まないが、歩いて行くと主張できぬ遠方であれば、仕方がない」

「手段を訊いたんじゃない。判ってるだろうが」

 次にタイオスは、サングを見た。

「何で、連れた?」

「ご希望でしたから」

 サングはルー=フィンを見て、視線は三人を一周した。

「何が希望だ! 希望がありゃ誰でもどこにでも連れて行くのか!」

「そのようなことは言っておりません」

 魔術師は首を振った。

「では言い換えましょう。おそらく、タイオス殿の好まれない形に」

「何?」

「王陛下の許可と、イズラン術師の希望があったためです」

「は」

 タイオスは乾いた笑いを洩らした。

「確かに、好まん。だが、その方がよく判るな」

 おい、と彼はサングを呼んだ。

「兄弟子だとほざいてた割には、結局、イズランの言いなりなのか?」

「とんでもない」

 サングは肩をすくめた。

「――イズランに貸しを作ることは、とても有用、なのです」

「そりゃ」

 一(リア)、タイオスは怯んだ。

(どっちの魔力が強いのかなんてことは、俺には判らん。しかし、やっぱ)

(こいつの方が怖いな)

 タイオスもルー=フィンも、にこにこしているイズランに騙されまいと気をつけているが、言うなればあれは外交術だ。人当たりのよい態度を取って印象をよくし、ある程度の助力を提供して、自分の欲しいものを持っていく。

 サングは、単純に、怖い。恐怖を覚えると言うのではなく、不気味だ。世間一般にまかり通っている「魔術師」の印象を絵に描いたかのようだ。

 イズランを警戒するようにサングを警戒する必要はない、とタイオスは思っている。結局は裏でつながっているが、少なくともサングには、シリンドルへの興味はないようだ。

 だがむしろ、そうした目的があってくれれば、こちらの態度も決められる。

 ないから、怖いのだ。

「あー、その、ルー=フィン」

 彼は顔を動かして、銀髪の剣士と目を合わせた。

「とりあえずのところ、お前がわざわざ参戦する理由は、ないように思うぞ」

 タイオスは両腕を組んだ。

「現状ではリダールが戻ってきたというだけで――アトラフだのミヴェルだのの名前は聞いたが、あの野郎の気配は特にない」

「それで」

 若者は肩をすくめた。

「あとになって『さっき現れたがもういない』と告げるのか?」

「む……」

 反論できない。確かに、リダール、アトラフ、ミヴェルという名前の間に、ヨアティアの名は聞かれない。だがあの男は、ソディの一派にいるのだ。いつ似非魔術を使って、仮面をかぶった姿を見せるものか。

「仕方ないな」

 タイオスは息を吐いた。

「カヌハがよくて、カル・ディアが駄目だってのも、理屈に合わんし」

「感謝する」

 〈白鷲〉の許可に、シリンドルの騎士はわずかにほっとした顔を見せた。

「ジョードの代わりにミヴェルを救うことも、私の任と心得ている」

「何でそうなる」

 戦士は苦笑した。

「まさか、奴の怪我がヨアティアの仕業だからってな理由じゃなかろうな」

「その辺りだ」

「お前の責任じゃないだろうが。つまらんことは忘れろ」

「彼女の救出が、つまらぬことか?」

 義憤に燃えるでもなく、ただの質問という様子でルー=フィンは尋ねた。

「ミヴェルは葛藤の結果として、故郷を選んだんだぞ」

「本人が告白したのか」

「いや……会ってはいないが」

「ではまだ、葛藤の残ることも考えられる」

「説得でもしようってのか? お前が?」

「自らの信じてきたものに落ちる影を目にしながら、盲信にすがって何も見なかったことにする。――それは解決を招かぬこと、私は知っているからな」

「そう、か」

 恩人の行動に感じた疑念を無視して反逆者に従った、ルー=フィンは彼自身の過去にミヴェルの状況をなぞらえた。

「ただ、信念は容易には変えられぬ」

「そりゃそうだろうな」

「彼女が何ひとつ考えを変えぬことも」

「もちろん、大いに有り得る」

 戦士は同意した。

「だが、まあ、せっかくだ。やってみろや」

「……ああ」

 こくり、と若者はうなずいた。

「それで、サングよ。調べものとかってのは、何だったんだ」

 タイオスは尋ねた。

「あれは言い訳で、本当は、春女たちの間に居づらかったのか」

 にやにやして中年戦士は言った。魔術師は感情の読めない視線を彼に向けた。

「魔術師は異性に興味がない、と言われます。実際には半々というところでして、本当に魔術書や五大魔印を愛する者もいれば、憧れはあるがどうしていいか判らないという者も。タイオス殿はつまり、私を後者だと仰る」

「俺の知ってる魔術師は、そんな奴ばっかりだったね」

「けっこう。ではそう思っていなさい。ティージの報告は私の胸にしまっておきます」

「おいおい、怒るなよ、こんなことで」

 どうしてどいつもこいつもすぐ拗ねるのか。戦士は手を振ってとりなした。

「ティージ? あいつが何を? ミヴェルらの居場所か?」

「それは捜索中です。リダール殿を追うことを選んだのだそうで」

「ん? いつ、リダールを?」

「あなたが彼と会う前、どこにいたかお判りですか」

「どこって、あの辺を歩いて……」

 街を案内しようとしてはぐれたのだと、言っていた。

 だがタイオスは、はっと気づいた。彼自身、ある考えを持って、あの付近に少年を探しに行ったのだ。

 サングの答えは、彼が判っていてしかるべきものだった。

「ロスム伯爵の館、です」


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