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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第3章
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08 そいつは本当に

 大丈夫ですか、とサングは尋ねた。

「顔色が悪いようです」

「何でもない」

 タイオスは手を振った。

「『リダール殿』が帰るという流れは思いがけなかったですが、そんなに顔を青くすることではないのでは」

「……そうじゃない」

 戦士は呟いた。

「〈移動〉の魔術のせいで気持ちが悪くなったと言いたくないだけだ」

「ああ」

 そうでしたかと魔術師は肩をすくめた。

「大丈夫です。いまに慣れます」

「慣れるほど繰り返したくないんだがね」

 物心ついてから一度も経験のなかったことが、この二日間で四回。新しいものを苦手に思うような頭の固い年寄りにはなりたくないものの、狭い洞窟を無理矢理通るかのような窮屈感と、高熱を出したときのような目眩と浮遊感、悪夢のような落下感を連続して味わうのは、若い時分でも楽しくなかっただろうと想像できた。

「慣れない内は、疲労も蓄積しやすく、回復しにくい。距離は問題にならないこともありますが、相性次第で負担になることもあります。短期間の間にカル・ディアとアル・フェイドの往復というのは、確かに初心者には無茶でした」

 言われたタイオスは、この年になって、しかも年下の若造から「初心者」呼ばわりされることに腹が立つような、面白く思うような、奇妙な感じを覚えた。

「とにかく、俺はキルヴン閣下のところに行く」

 だがそうした感想は特に述べず、戦士は自らの予定を話した。

「お前はどうするんだ」

「お忘れですか?」

「何をだ」

「私は、この件には関われないんです。導師の地位にある者が、積極的に協会の指針を無視する訳にもいきませんから」

「俺をカル・ディアへ連れてきたことは?」

「それは、直接には関係のないことでしょう。単なる移動です」

「まあ、そうともかもしれんが」

 タイオスはちらりとサングを見た。

「それなら何で、到着先が協会じゃないんだ?」

「何度も同じ形で協会を利用することで、〈無傷の腕に包帯を巻かれる〉のはご免ですから」

「成程」

 戦士は肩をすくめた。

「よし、判った。閣下のところには、俺がひとりで行ってくる。あとで協会に連絡を取ればいいか?」

「いえ、申し上げました通り、これ以上あなたと接触するからには協会を避けたく思います。どこかで待機していましょう。馴染みの場所などはありませんか」

「馴染み、ねえ」

 少し考えてからタイオスは、知った店の名と場所をサングに伝えた。魔術師はうなずいた。

「ではまた、のちほど。街を歩きます際は、町憲兵隊にお気をつけて」

「……そうだな。俺はアル・フェイドに連行されたことになってるんだったな」

 ティージに連れられて詰め所を出たのは、まだ二刻も前ではない。全く忙しいことだ、とタイオスは天を仰いだ。

「こちらから連絡があれば、術で声を伝えます。抵抗しないようにしてください」

「善処するよ」

 魔術が便利だという事実は否定しきれないが、ほいほい受け入れることもできない。

(これが特殊な状況だ、魔術ってのは本来、奇異なものという位置にあるんだってことは、忘れんようにせんとな)

 戦士が考えていたのはそんなことだった。

 便利だ。そう思う。だが、()れはよいものを生まない。

 タイオスはサングをあとにすると、何となく身を縮めながらカル・ディアの街を歩いた。

(俺は何もしてないってのに、犯罪者の気分だな)

 理不尽である、と彼は思った。

 カル・ディアの町憲兵が何人いるものかは知らないが、タイオスを取り調べた人物と偶然ばったり会うことはないだろう。だが万一、ということもある。

(奴らもしばらくすりゃ俺の話なんて忘れちまうだろうが、何しろ今日の今日だからな)

 今度見咎められたら逃げるしかない。だがそんな状況になるのも避けたい。逃げる必要もないのに逃げて、ますます犯罪者扱いされるようになっては今後の生活に支障が出る。

人気(ひとけ)のない道を選ぶか)

(……いや、そういう場所こそ、町憲兵が巡回してるもんだよな)

 中年戦士は考え直した。

(いっそ、堂々と大通りを通った方がいいか)

 心理的にはつらいものがあるが、作戦としてはこちらの方が正しい気がする。タイオスは硬くなった身体をほぐすように両腕をぐるぐると回して、賑わいのある街区に出た。

 都会の騒がしさを苦手に思っているタイオスだが、このときはほっとするものを覚えた。

 半月前にここを出てから、おかしなことばかりだ。ヨアティア、ルー=フィンとの再会まではまだいい。認めたくないところはあるものの、神の導きならば、まだまし(・・)というもの。

 不気味なほど静かな村への侵入と、冷たく輝く夜の館。勝手に開いたり閉じたりする扉、鬼火の案内に従えば、そこにいたのはリダールならぬフェルナー。

 ライサイとの邂逅ではエククシア同様に意味の判らないことを言われ、判らないままにイズランに連れられてアル・フェイドへ。

 国王との会食におののく暇もなく、カル・ディアへ戻れば捕縛され、ティージの舌先で解放されては、ミヴェルとフェルナーの拉致。そして三度(みたび)、カル・ディアルの首都へ。

 いったい自分の道の上には、この先、何が待っているものか。

(〈白鷲〉云々だけで十二分だってのに)

(……やっぱり、諦めて引退してた方がよかったか)

 戦士業を退いてコミンを離れていれば、キルヴンの書状を受け取ることもなかっただろう。もしかしたらいまごろは、どこかの田舎町で、のんびりと。

(――いや、エククシアが〈白鷲〉にこだわってる以上、引退してたところで引っ張り出されただろうな)

(それなら、現役を続けてて正解だ。現状でもあの野郎に負け続けだってのに、鍛錬不足じゃなおさら)

 現役をやっていてさえ、エククシアの前で二度もつまらぬ失態――段差に足を取られて転ぶなどという真似を繰り返している彼である。訓練を怠っていたら、段差も何もないところで転んでいたかもしれない。

(くそう、もう少し若ければなあ)

 ああした出来事は実力と言うよりも運であるから、若ければ転ばなかったとも言えない。だがせめて、ルー=フィンほどにとは言わぬ、十年でも若ければ、不利な体勢からの起死回生もあったやも。

(ええい、考えても仕方ない)

(仕方ないんだが)

(……くそう)

 どうして「いま」なのか。二十代の彼ではなく四十を越した彼の身の上に、これまでかすったこともない、非日常的な出来事が訪れるのか。

(よし)

 彼は顔を上げた。

(『若い内の成功は偶然、年を経てからのそれは実力』ってな言い方があるわな。そう考えて)

(慰めることにするか)

 もっとも「年寄りの英雄はいない。英雄は夭逝する」などとも言う。その言葉もタイオスは知っていたが、いまは自分に都合のいい方を取った。

 キルヴン邸の門番はタイオスを見覚えており、すぐに伯爵に連絡を取った。そうなれば伯爵も間を置かずに彼を呼び、タイオスは一日と経たずにキルヴンと再会した。

「閣下」

「タイオス」

「いったい、どうなって」

 ふたりは同時に口を開いた。

「あー」

 タイオスはうなった。キルヴンは鷹揚にも手を振って、先に言えと譲った。

「リダールは。戻ってきたってのは、まじなのか」

「本当だ。自分の部屋にいるはずだ」

「言いにくいんだが、閣下」

 戦士は渋面を作って、続けた。

「そいつは本当に、リダールか?」

「間違いない」

「いや……見た目の話じゃないんだ。その……」

「中身、と言うのだろう。お前の話を信じるのであれば、リダールの身体のなかに、ロスムの息子がいると」

「信じてくれてるのか? まだ?」

「正直に言えば、判らない」

 キルヴンは答えた。

「私には、あれはリダールとしか見えない。外見だけではなく、態度も、物言いも」

「……まじか」

「いささか、不自然に思える態度はある。だが、リダールの態度として不自然なのではない。何か隠しているようだ、私に話したくないようだ、との様子が見て取れる、という意味でな」

「隠してる? 何を」

「判らない」

「もっともだな」

 愚問だった、とタイオスは肩をすくめた。

「息子を連れた者たちからも話を聞いたが、彼らも何も知らないようだった」

「連れただって? 誰が」

「若い男女だ。アトラフ殿とミヴェル殿という」

 それを聞いて、タイオスはむせた。

「な、何だって? ミヴェル? アトラフってのは、あれか」

「知っているのか」

「知ってるも何も」

 戦士は額に手を当てた。

「――閣下、そいつらが、何も知らないはずはない。奴らは……いや」

「何だ。話せ、タイオス」

「ちょっと、待ってくれ」

 彼はうなった。

「アトラフとかはともかく……ミヴェル? 何でだ?」

 彼女はカヌハに捕らわれているのではなかったのか。

(見た訳でも聞いた訳でもない。勝手な想像と言えばそれだけだが、そう考えるのが自然だろうに)

(彼女を捕まえてった男と一緒に、リダールを送り届けてきた?)

「どうしたんだ、タイオス」

「ああ、どう説明すりゃいいのか」

 タイオスは頭をかきむしった。


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