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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第3章
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03 返そうか

 ライサイの位置は変わっていない。丸い岩の上、同じ高さに浮いている。

(岩に飛び乗れば、届くな)

 丸い岩と言っても球体ではない。角が取れ、丸みを帯びているというだけのことだ。強度は判然としないながらも、風雪に耐えて荒野に存在しているのなら、人間がひとり乗って崩れるということもないだろう。

 ルー=フィンは即座に決意し、下方から剣を振り上げつつ、岩に足をかけた。

「愚かな」

 ライサイが呟いた。

 そのときには、ルー=フィンは、激しく後方に弾き飛ばされていた。

「な……」

 彼自身、身体が宙を舞うのが判った。

(手が)

 心配していたことが起きた。血糊が掌を濡らし、剣は逃げ出す好機をうかがってでもいたかのように、彼の手を離れた。

(しまった)

 体勢を立て直そうとする間もなく、剣士はそのまま障壁に打ちつけられ、音を立てて地面に落ちる。

「何だ……いまの、は」

 跳ね飛ばされた。岩についた足が。そして、力持ちにすくわれて思い切り投げられたかのように、飛ばされた。

「ただの岩と思うたか」

 空中からライサイが言った。

「ここは境界だと言うに。もっとも、非常に弱い場所だ。何の力も持たない人間が何も感じずとも、当然やもしれぬがな」

 何の話であるのか、ルー=フィンには判らなかった。ただ彼は、骨に異常がないことを確認すると、素早く立ち上がった。

(剣)

 飛ばされた細剣は、一、二歩では届かぬ遠くに落ちている。

(あとは)

(――短剣)

 残るは、草むらをかき分けるときに役立った短剣。だが無論、より短い得物で敵に届くはずもない。

(投擲の機会は一度だけだ。そもそも、まともに届くとも思えない)

 一瞬の間に、彼は多くのことを考えた。分は悪い。それは最初から判っていることだ。

(どうしたらあんなものを斬ることができる)

 その疑問にイズランは何と言ったか。

『斬ることは、あまりお考えにならない方がよろしいかと』

 それは「剣で魔術に立ち向かうこと自体を考えるな。無駄である」との意味合いだ。斬るのは難しいが突くのならばよいというものではない。

 だが。

(――だが何か)

(何か、ないか)

 こんなふうになぶられ、血を流して。いつでも殺せるのだと嘲笑われて。

 このまま、負けるなど。

(私を敗ってよいのは)

(〈白鷲〉だけだ)

 ルー=フィンは腰から短剣を引き抜いた。ライサイを目指し、大地を踏みしめて、それを投げる。

 投擲は、特別に訓練をしていない。基本的なことだけ学んだ。

 だが彼にはそれで充分だった。

 狙いは過たず、そして予想通り、ライサイは無傷だった。

「愚かだ」

 魔術師はまた言った。

「だが、その愚かさは、我を腹立たせるものではない」

 宗主は、その魔術によってであろう、投げ玉遊びの玉のように彼の投げた刃物を受け取り、弄んだ。

「――剣士の腕」

 低く、ライサイは呟く。

「素材さえあれば、優秀な魔術師の腕を作るように、剣士の腕を作ることも可能やもしれぬ」

 く、とライサイは笑った。

「どうだ、ルー=フィン・シリンドラス。ソディのために働く気はないか」

「返事をする必要があるか?」

 答える必要のあるはずがなかった。たとえばオルディウスやアギーラに対したように、言葉を探す必要すらない。

 いくつもの切り傷から流された血は、これまで繰り返された大きな負傷をしたかのように彼を血塗れにしはじめていた。だが幸いにと言うのか、傷は浅い。どれも。ライサイは、彼をなぶるつもりでしか、ないから。

「よかろう。考えるまでもないと言うのだな」

 宙に浮くライサイの前で、短剣もまた、浮いていた。

「我に刃を向けた人間は初めてだ。だがお前は〈白鷲〉の補佐にすぎぬと言う」

 ライサイの前で、短剣はくるくると、ゆっくり回った。

「これは記念にもらっておくか、それとも」

 ぴたり、とその刃がルー=フィンの方に向く。

「返そうか、剣士よ?」

 「返す」。

 その一語は、動かぬライサイから見て取ることのできぬ、きっかけの代わりだった。

 はっとなってルー=フィンは、思い切り右へ飛んだ。それと同時に、怪力によって投げられたような速度で飛んできた短剣が、一瞬前まで彼ののどがあった位置を飛び抜ける。

 ぱりん、と薄い磁器が割れるような音がした。

 ルー=フィンは落とした剣に飛びつくと、拾い上げてかまえ――事態が変わったことを知った。

「いない」

 ライサイはもう、丸い岩の上に浮いていなかった。

「……晴れた」

 見えない壁は、先ほどの音と同時に、消え去ったようだった。

(ライサイ)

(ずいぶんと、馬鹿にしてくれた)

 彼は唇を噛んだ。

 浮かぶのは、怒り。彼を翻弄してくれたライサイへの。それとも、不甲斐ない自分自身への。

「借りばかり、増えていくな」

 若者は呟いて、剣を鞘に収めた。

「フェルナー。無事か」

 彼は少年に声をかけた。

 否、かけたつもりだった。

「――フェルナー?」

 ルー=フィンは周囲を見回した。

「フェルナー!」

 少年は、いなかった。

(逃げたのか?)

(いや、壁があった。私だけを閉じ込めたものではなかった。出られないと気づいたのは、フェルナー自身)

(では……)

 消えた。壁がなくなると同時に。消えたのは、ライサイだけではなく、フェルナーも。

 そこで、彼は気づいた。

(連れ去られた)

 ルー=フィンはきつく、拳を握った。

 ふさがりかけた傷がまたしても開き、鼓動の数を増やした。


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