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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第2章
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06 助けるだけの価値もない

 アル・フェイドの夜空は、怖いほど晴れ渡っていた。

 月の女神は誇らしげに身体をさらし、これでもかと輝きを見せびらかしながら、天頂を超えようとしていた。

 露台の手すりに腕を乗せ、ミヴェルはひとり、それを見上げていた。

 昼過ぎまでジョードの傍らでうとうとする時間が長かったためだろう。なかなか寝つかれず、寝台を抜け出したのだ。

 日のある内は盗賊と同じ部屋にいたものの、もうつきっきりでいる必要もなさそうだと、部屋を分けた。彼女としてはフェルナーの面倒を見るため少年と同室にと考えたが、ジョードが絶対反対だとうるさかったので、フェルナーのことはルー=フィンに任せることにし、彼女は彼らの隣室にひとり部屋を借り受けた。

 月が満ちる。

(今宵は、何かの儀式が予定されていたはずだ)

(それから、満月の晩にも)

(私はてっきり、リダールに関わる儀式が満月に行われると思っていたが)

 彼女の聞かされていた話から推測できたのは、リダール少年が〈月岩〉から帰ってくることなく、代わりにフェルナー少年が彼自身の身体で冥界から戻ってくるというようなことだった。

 ライサイの力は、思わぬことを実現する。

 これまでミヴェルは、死者の復活こそ知らなかったが、ライサイが枯れた井戸を潤すのも塗料の原料たるセルハの花を咲かせるのも目にしている。それらの出来事はみな、エククシアが「神秘」を持ち帰ったあとに起こることだ。

 神秘を手にしてライサイは力を振るい、そしてソディは栄える。

 それは当たり前のことすぎて、ミヴェルを含む一族は何の疑問も持たなかった。

 しかし、だからこそ、此度のことは不思議でもあった。初めは「リダール」がライサイの欲する神秘なのだと思っていたが、雲行きは少しずつ変わった。では「フェルナー」を蘇らせることだろうと考えたものの、それでは何が目的で何が手段であるものか判らない。

 もっともミヴェルは、オルディウスらに言ったように、ライサイの考えなど知らない。宗主には素晴らしい考えがあるのだと闇雲に信じていただけだ。

 それが、他人から繰り返し問われることによって、揺らいできたとも言える。

 ジョード。ただのレダクを助けるために、敬愛する〈月岩の子〉の命令に逆らった。

 ソディの暮らしについて他国の王やら宮廷魔術師やらに話し、リダール・フェルナーを「館」から連れ去った戦士に少年を頼むと言われて、了承した。

(私は何をやっているのか)

 まだ彼女は、混乱を覚えていた。

 思い切ることができない。どちらにも。

 月が傾いて行く。ミヴェルはじっと、それを見ていた。満ち行く月は少しずつ、夜の終盤へと向かい出す。

「――夜風は、身体を冷やす」

「えっ」

 突如聞こえた声と彼女を包んだ両腕に、ミヴェルは心臓を跳ね上げさせた。

「探したよ、ミヴェル」

「ア……アトラフ殿!?」

 聞き覚えのある声に、ミヴェルは驚いた。

 それは確かに、才能ある若き〈しるしある者〉、次期ソディの長と目され、ミヴェルを妻にしたいと言った男だった。

「思ったより時間がかかってしまった。完全に御するには、いくらか慣らさないといけないようだな」

「な、何、どうやって、ここへ」

 たったいままで、誰もいなかった。間違いない。

 エククシアであればライサイの力を借りて魔術師のように移動をするが、〈しるしある者〉、ソディの次代の長であっても、アトラフがライサイの技の恩恵にあずかったとは聞いたことがない。

「それは、実験が済んだからだ、ミヴェル」

「実験? 何の……」

 彼女は口をぽかんと開けたままで尋ねた。

「〈魔術師の腕〉。南国からの逃亡者はよい実験台だった。もっとも宗主様は、仮に失敗しても影響力のない若者を選ぶつもりだったらしい。しかし私が是非にとお願いをした」

「何を言っているのか、判らない……アトラフ殿」

 困惑しながら、彼女は呟いた。

「判らない?」

 アトラフは彼女を抱き締めたままで、穏やかに笑った。

「あの仮面の男と同じこと。いや、彼よりも安定した力を得た」

「仮面の」

 魔術師ではない男が得た、魔術師のような力。アトラフはそのことを言っていた。

「何故、そんなことを?」

 ミヴェルはまた尋ねた。ふっと耳元で、男は笑った。

「私自身の手でお前を取り戻すためだ」

「取り戻す? わ、私は」

 彼女はごくりと生唾を飲み込んだ。

「私は……裏切り者と思われたのでは、ないのか?」

「裏切ったのか?」

「とんでもない!」

 ミヴェルは首を振っていた。

「ただ、そう思われても仕方ないだろうと感じていた。殺されるだろうかとも」

「とんでもない」

 アトラフはミヴェルの言い方を真似て、彼女を抱く手に力を込めた。

「誰もそんなことは考えていない。私は判っている。お前は優しいから、レダクとは言え、知った顔を見殺しにできなかったんだろう。誰もそれを責めないとも」

「ほ……本当か」

 彼女の顔に期待が浮かんだ。

「エククシア様は、何と」

 ミヴェルがすがるように問えば、アトラフの指先がぴくりとした。

「〈月岩の子〉も同様だ。ただし、もう彼がお前を連れることはないだろう」

「あ……」

 期待は見る間に、絶望に変わった。

「当然……当然だな。私はエククシア様の命令を実行しなかったんだ。処罰されないだけでも、有難く、思わなければ」

「――ミヴェル。私の言ったことを覚えているか」

 アトラフは抱擁を解くと、正面から彼女の瞳をのぞき込んだ。

「お前がエククシア様をお慕いする気持ちを否定はしないが、これからは私を見てくれないかと」

「アトラフ殿、それは……」

 ミヴェルは目を逸らした。

「命令であれば、従うが……」

「私が嫌いなのか」

 男は問うた。女は首を振った。

「そうではない。ただ私は、エククシア様のお近くに」

「その機会を棒に振ったことは、理解しているんだろう?」

 言われてミヴェルは詰まった。裏切りと思われているものと、覚悟を決めていたはずなのだ。

「私は、急がない。お前が私を受け入れてくれるまで待つつもりだ。ミヴェル」

 アトラフは手を差し出した。

「帰ろう」

「帰る……」

 カヌハへ。故郷へ。彼女の属する、ソディ一族の土地へ。

 それはとても、安心できる考えだった。

「アトラフ殿……」

「おいっ、こら、そこ! 何してる!」

 不意に隣の露台から、声が飛んだ。

「客人の部屋に夜這いたあ、とんでもねえ使用人もいたもんだな。離れろ、ミヴェル!」

「ジョ、ジョード」

 ミヴェルは目をしばたたいた。

「馬鹿者! どんな誤解をしている! 彼はここの使用人などではない!」

「あ?」

「だいたい、そう言うお前こそ、何をしている。意味もなく起き上がったりするな。怪我人は寝ていろ」

「目が覚めちまったもんは仕方ないだろ。何か話し声がするから何かと思って……」

「それが問題のレダクか」

 アトラフはミヴェルの肩に手を置いてそっと押しやると、ジョードを見た。

「ずいぶん、貧相な男だな」

「何をう!? 喧嘩売るなら、買ってやるぜ!」

 ジョードはいきり立って、露台の手すりに左手をかけた。胸の高さほどもない。飛び乗るのは容易だ。隣までいささか距離はあり、なおかつここは地上三階だが、高いところなどお手の物の盗賊である。飛び移れないことはない。

 だが生憎と、まだ動かないままの右腕が、彼を補助してくれなかった。ジョードは舌打ちして罵りの言葉を発した。

「気が短く、品がない。ミヴェル、助けるだけの価値もない男だ」

「てめえ、そこ動くな! いますぐ行ってやる!」

 ジョードは踵を返そうとした。与えられている客室は広いが、扉まで駆けて隣へ行って、ミヴェルらのいる場所まで向かうのに一(ティム)はかからない。

「必要ない」

 アトラフは言うと、手を振った。

「え」

 ジョードは奇妙な感覚を味わった。

 この気配は知っている。腕を――斬り落とされた、ときの。

 見えない何かが空中を飛んできた。

 彼は為す術なく、固まった。

 何が起きようとしているか判るのに、戦いに慣れていない盗賊は、とっさによけようとすることさえ、できなかった。

「ジョード!」

 奇態な音を立ててまっぷたつに裂けたのは、露台に置かれていた籐製の椅子だった。

「い……いてえ!」

「それは、苦情か?」

 陶張りの床に彼を叩きつけた相手は、尋ねた。

「そうは言わんよ」

 ジョードは顔をしかめた。

「いてえが、助かった」

「礼はあとでいい」

 ルー=フィンは素早く立ち上がると、躊躇なく手すりに飛び乗り、アトラフが動じる間に思い切りよく隣へと飛び移った。

「な……こ、この!」

 アトラフは手を振り上げた。が、ルー=フィンは素早く間合いを詰め、左手で男の手首を掴んだ。

「ヨアティアのやり方と同じだな。何度か見た。手の動きさえとめてしまえば、術は振るえないと踏んだが」

「貴様……」

「図星か」

「や、やめるんだ、ルー=フィン殿、アトラフ殿! このようなところで……人がくる!」

 ミヴェルが忠告した。

「アトラフ殿、帰ってくれ。ここはアル・フェイル国王のおわす居城だ。見つかれば、ただでは済まない」

「帰れと? 私ひとりで帰れと言うのか、ミヴェル」

「それは……」

「いいや」

 アトラフは膝を蹴り上げた。ルー=フィンは右手でそれを押さえたが、左手がおろそかになった。アトラフは剣士の握力から逃れ、彼に術を振るう代わりに、ミヴェルに手を伸ばした。

「お前も帰るんだ。俺の……ミヴェル」

「アトラ――」

「ミヴェル!」

 ルー=フィンとジョードの声が重なった。

 だがその瞬間には、彼らが名を呼んだ女の姿は、その手を掴んだアトラフともども、消えてなくなっていた。


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