05 何でもありか
そんなふうに思考をぐるぐると巡らせながら、どれだけ時間が経っただろうか。
ふと足音を耳にして、タイオスは目を開けた。
「――からな。すぐに行く」
「了解」
かすかに、やり取りが聞こえた。戦士は身を起こし、床の上に座り直す。
(誰か、きたようだ)
(俺に関係するとも、限らんが……)
カル・ディア町憲兵隊詰め所の牢の数は多い。こうしたものは、街の大きさに比例していると言える。
放り込まれるのは喧嘩をした者やら暴れ回る酔っ払いやら引ったくりやらと言った、どこにでもいるが大都市になればそれだけ増える連中である。
罰金で済む場合もあったり、性質が悪ければ鞭打ちに合うこともあったが、たいていはひと晩、長くても三日ほどで解放される程度だ。
つまり、拘留されたからと誰かが会いにやってくる可能性は低い。
いまの町憲兵隊がタイオスの件以外に重要な事件を抱えているかどうかなど彼は知らないが、自分への面会ではないかと期待した。
(町憲兵が俺の言葉を気にして、キルヴン閣下に連絡を取ってくれりゃ)
(使用人の誰かが俺の顔を確認にきたりとか)
石の壁に反響してよく聞こえなかったが、ハシンではなかったように思う。彼であれば巧いことやってさっさとタイオスを釈放に導いてくれるような気がするが、若者であればあまり気が利かずに時間を取られることになるだろうか、などと戦士は考えたが、それは的外れだった。
「よ、旦那」
「……お前か」
タイオスは喜んでいいのかがっかりした方がいいのか判らない気持ちだった。
「何だよ。会えて嬉しいぞティージ、くらい言ってくれてもばちは当たらないだろ」
灰色の帽子をかぶった男はにやにやと言った。
「嬉しくないから言わないんだ」
戦士はぼそりと返した。
「サングか。イズランか」
「指示はイズラン術師から出てるね。もっとも、彼の身分でここの町憲兵隊に命令はできやしない」
「そりゃそうだな」
「そこで俺様の出番だ」
ふふん、とティージはあごを逸らした。
「旦那にゃ悪いが、犯罪者になってもらうよ」
「……何?」
突然の思いがけない言葉に、彼は目をしばたたいた。
「旦那は、アル・フェイル町憲兵隊が追ってる犯罪人なんだ」
「はあ? お前、何を言って」
「しっ、いまの前提で話を進めるから、余計なことは言わんように」
ティージは指を一本唇に当て、背後を振り返った。
「待たせたな」
やってきたのは、カル・ディア町憲兵だ。タイオスを尋問した者ではない。少し型の違う制服から、位ある人間と推測できた。隊長か、副隊長級。
「本当に?」
「ああ、間違いない」
胡乱そうな問いかけに、ティージはうなずいた。
「タイオスのおっさんよ。魔術師協会を使って巧いこと逃げたつもりだろうが、こちとら、そんなことはすぐに判るんだ。あんたが半日前まで、アル・フェイドにいたことは確実」
「あー……」
何をどう言えばいいものか。タイオスは口を中途半端に開けた。
「すまんね、副隊長殿。とっとと追いかけて捕まえてりゃよかったんだが、書面が必要だったからな」
「正式な手続きとは言えないが、緊急であれば致し方ないな」
副隊長と呼ばれた町憲兵は渋面を作ってうなずいた。
「この男は長らくアル・フェイルにいたということで間違いないんだな?」
「ないない。そりゃもう、ない」
ティージは手を振った。
「ではロスム伯爵の子息を誘拐はできない。確かな筋の情報と聞いたが、誤りと認めざるを得まい」
「……は」
タイオスはやはり、口を開けているしかなかった。
「ではこちらも手続きに入ろう。ご苦労だった、ティージ町憲兵」
「け」
じろり、とティージと副隊長の両方がタイオスを睨んだ。どうにか戦士は口を閉ざす。
(町憲兵だと?)
(この野郎、アル・フェイド町憲兵を名乗ったのか)
(大した詐称だ)
ティージは他国の町憲兵で、タイオスは彼から魔術師協会を使ってここまで逃げてきた。そういう設定であるらしい。
(それは、つまり)
「……冗談じゃない!」
タイオスはそこで叫んだ。
「おい、ティージ! てめえ、何つう無茶苦茶な脚本を書きやがる。俺を前科持ちにさせる気かっ」
「もちろん、俺に捕まればアル・フェイルでの前科はつく。カル・ディアでつかなくてよかったな」
片手を上げ、ゆっくりとティージは言った。
「何を」
タイオスは反論しかけ、ぐっと口をつぐんだ。
カル・ディアで。ティージはそう告げた。
確かに、これならばカル・ディアでは犯罪者にならないで済む。だが、ヴォース・タイオスという戦士はアル・フェイルの罪人だという記録は残るだろう。前科では、ないが――。
「だが……」
「往生際が悪いな。だが言い逃れは不可能だ、タイオス。俺はアル・フェイド隊長の署名ももらってるし、もちろん、この記章も本物」
ティージは胸元の飾り留めを示した。カル・ディアのものとは違うが、剣と書物が合わさった形の印章は、町憲兵の身分を示すものだった。
「こちらの副隊長も確認してくださった。あんたはもう、アル・フェイドに戻るしかないんだよ」
「キルヴン……閣下が」
タイオスはあがいた。
「閣下が俺の身分を保証してくだされば、それで済む話だろうがっ。何でややこしくするっ」
「ああ、カル・ディアの伯爵閣下につてがあると、本気で思ってるのか。あんた、騙されたんだよ」
「何?」
「騙されたのさ、テレシエールにな」
「テレシエール?」
戦士は馬鹿みたいに繰り返した。
(聞いたことがあるな)
(確か……盗賊団の首領だ。名前だけで町憲兵隊が色めき立つような、大物)
「奴がアル・フェイルへ行っていたとは知らなかった。道理でしばらく、おとなしいはずだ」
「俺たちを虚仮にする、ああいう奴は徹底的にとっちめてやらんとな」
「同感だ。われわれは面目なく逃してしまったが、そちらに現れたのであればどうか頼む」
「おう、任せてくれ――」
町憲兵と偽町憲兵はタイオスを完全に無視して話を続け、その間、戦士は考えた。
(イズランは、閣下に連絡を取らなかった)
(思いつかなかったはずはない。奴の立場じゃ、難しいというのはあるだろうが)
(ティージを町憲兵に仕立て上げ、テレシエールとかって有名な盗賊の名前を使って、俺のフェルナー誘拐容疑を晴らし)
(――アル・フェイドに連れ帰ろうって腹か)
タイオスは続いて、その利害を考えた。
当座の処罰は免れる。この方法以外に、金や伯爵の威光で釈放されたとしても、町憲兵隊はタイオスを疑うままだ。フェルナーが戻らない限り、何かと理由をつけて彼を引っ張るだろう。普通ならカル・ディアを出れば済むが、ロスムの指示があるのだとすればコミンで安穏ともできない。
アル・フェイドで本当に犯罪人扱いされることは、ないだろう。あくまでも方便だ。一見、この案はよさそうに見える。
だが、カル・ディアの町憲兵隊には「ヴォース・タイオス、アル・フェイルの犯罪人」と記録されるだろう。それはカル・ディアで、今後の活動の足を引っ張るかもしれない。
(いちばん気にかかるのは)
(イズランの思うままってなことだ)
(……ロスムに密告したのもあいつじゃないだろうな)
つい戦士はそんなことを考えた。本気で疑うのではない。そうしたのはエククシアに決まっている。
だがイズランだって結局、〈青竜の騎士〉と同じくらい信頼できない。
「何て顔、してんだよ」
副隊長の去った廊下で、ティージがにやついていた。
「書類を整えてくるとさ。あとちょっとだけ待ってくれな、旦那」
「町憲兵、詐称」
「ん?」
「文書、記章の偽造。お前とイズランは何でもありか」
「偽造じゃないさ。ここの副隊長に渡したのはほんまもんのアル・フェイド隊長の署名だし、記章も本当に本物。俺だって本当に、アル・フェイドの町憲兵だし」
「何ぃ!?」
「元、だけどな」
ティージは笑った。やっぱり詐称じゃないかとタイオスはうなった。
(だが、成程)
(鍛えた雰囲気はあると最初から思っていた。元町憲兵か)
この帽子男も大して信頼できないが、これは本当ではないかとタイオスは感じた。
「王陛下の勅命持って宮廷魔術師に署名を迫られりゃ、うちの隊長も慌てて、ろくに中身も読まずに署名した訳だ。やー、何でもありと言や、ありだね。あの術師さんは」
「お前らな……」
「おっと、苦情は術師に頼むよ、旦那。俺は何と言われようとただの伝書鳩なんだから」
男は手を羽ばたかせ、戦士はそれを睨みつけてから嘆息した。
「ひと晩だけここで我慢してくれや。向こうさんにも体裁があって、ほいほい異国の町憲兵に容疑者渡せんようだからな。俺の話の裏づけやら署名の鑑定やら……まあ本物なんだし形式だけだが、すぐには許可証を出したがらないようなんだ」
「ひと晩か」
やはりキルヴンに連絡を取ってほしいものだが、ティージに頼んでも無駄だ。これはイズランの手下なのだから。
「仕方ない」
タイオスは腹をくくった。
「俺は、お前に護送されるしかないらしいな」
ティージは笑い、やっぱりタイオスはそれを睨んだ。