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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第2章
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01 医師見習い

 わずか半月もない間に、二度に渡って大きな負傷をすれば、さすがの天才剣士も思うように身体を動かせなかった。

 と言っても、タイオスの言うようにのんびり療養をする気分にもなれない。

 ルー=フィンは、口うるさい医者のいなくなった隙に寝台を下りると、ゆっくりと手足を動かし、身体を屈伸させて、自らの体調を把握しようとした。

「――ああっ!? 何をしてるんですか!」

 そうして少ししたときである。扉が開いたかと思うと、悲鳴のような声が飛んできた。

「駄目です、横になっていてください、ルー=フィン様!」

 医者のような白衣を身につけた娘が若者のところに走り寄る。

「少し様子を見ていただけだ」

 彼は手を振った。

「結論として、日がな一日、横になっている必要はないと判った」

「必要、あります」

 娘は衣服のようなものを抱えて、厳しく言った。

「どうして剣を振るう人たちはそうやって、自分を過信するんでしょう。それとも、強がりなのかしら? 無理をすれば格好いいというものでもないのに」

「格好をつけている訳ではない」

 ルー=フィンは肩をすくめた。

「ただ、自分の身体のことは」

「自分がいちばんよく判る。ええ、みんな言いますけどね。勘違いです、そんなの」

 娘は彼の言葉にかぶせるようにしながら台詞を取ると、神妙な顔つきで首を振った。

「お前は? 医者の助手か?」

「見習いです」

 娘は答えた。

「先生はお忙しいので、私が代わりに、ルー=フィン様のお世話を承りました」

「成程。医者はよく判る」

 ルー=フィンは呟いた。

「え?」

 娘は目をしばたたいた。

「『見習いで充分だ』。つまり、大した怪我ではないと」

「とんでもない」

 眉をひそめて、娘は首を振った。

「私は見習いとは言っても、その辺の町医者より腕が確かなんですよ。先生がお休みのときには、代行することもあるんですから」

「なら何故、見習いなんだ」

 ルー=フィンはもっともなことを尋ねた。

「年齢です。若すぎて、信が置けないからと」

 娘は笑って答えた。

「早く寝台に戻ってください。包帯を替えます」

 それから彼女は真面目な顔をすると、ぱしんと手を打ち合わせた。

「さあ、おとなしくなさってください。わがままばかりでは治るものも治りません」

 娘はほらほらとルー=フィンを寝台へと追い払う仕草をした。

「わがまま……」

 意地だの強がりだのと言われたことはあったが、聞き分けのない子供のように扱われるとは。銀髪の若者は目をしばたたいた。

「わがままでなければ何なのですか? どうしても寝台が嫌ならそこの椅子でもいいです。とにかく座って。診察をします」

 きっぱりした調子で彼女は命じ、仕方なく彼は従った。

 改めて見てみれば、娘は彼と同年代のようだった。少し下に見えるほどだったが、まさか十代ということもないだろうと彼は考えた。「若すぎて任せられない」にしてもほどがある。

 編み上げた薄い茶の髪は健康的に艶やかで、苦労のない暮らしを思わせた。向かい合って座れば、ずいぶんしっかりと化粧をしているようだと判る。派手だと言うほどではないが、医療に携わる者としては珍しかった。病人というのは敏感で、化粧粉の匂いを嫌うことがある。一部の化粧具はある種の薬草と相性が悪いことも、薬草師や医師の常識だ。もちろん特定の組み合わせを避ければよいのだが、患者に危険を招く可能性を高めたい医者も普通はいない。

 ルー=フィンはそんなことを知らなかったが、ただ、医療の神(ティリクール)の信奉者にしては少し珍しいだろうかとは思った。

「上を脱いでください」

「何?」

「包帯を替えます」

 じっと彼の緑眼を見ながら、医師見習いは言った。

「先ほど、使用人が替えたが」

「まあ、使用人が?」

 娘は顔をしかめた。

「彼らは上手くないのです。私がやり直してあげますから」

「いや、なかなか手慣れた様子だった」

 ラッシンという年嵩の使用人は、以前にそれこそ宮廷医師の助手をやっていたとかで、手早く確かに包帯を巻いた。

「ルー=フィン様」

 娘はじろりと彼を見た。

「女で見習いだからと私を馬鹿にしていますか」

「そうではない。ただ、不要だと」

「要不要は私が決めます」

 やはりきっぱりと彼女は言って、彼の上衣に手を伸ばした。判った判った、と彼は上を脱ぐ。

「きちんと巻かれているだろう?」

 上半身に包帯だけという姿になると、若者は肩をすくめた。

「……ずいぶん、大きな傷を負ったのですね」

 神妙な顔つきになって、彼女はそっと包帯に――彼の胸に触れた。

「痛い、ですか」

「いくらかは。だが、調子を見ていたと言った通り。剣を振り回すことは難しいが、起き上がって歩けないとは思わない」

「すごい……立派な身体」

「……鍛えているからな」

「剣士と聞いたけれど、そうは見えなかった。着やせするのね」

「さあ、あまり考えたことはない」

 返しながらルー=フィンは戸惑った。

「お前……医者殿」

 名前を知らないなと思いながら、彼は中途半端に呼びかけた。娘ははっとした顔を見せる。

「アギーラ。私のことは、アギーラと」

 微笑みを浮かべて医師見習いは名乗ると、彼の手を取った。

「ルー=フィン・シリンドラスだ」

 何となくその手をすぐに放して、一応、彼も名乗り返した。

「ねえ、ルー=フィン様」

「何だ」

「髪、触っていい?」

「……何?」

「きれいな銀髪……憧れちゃうなあ」

 返事を待つことなくアギーラの手は伸びた。

「凄腕の剣士と聞いたわ。若くてきれいで……ねえ、遠い田舎に帰るなんてしないで、ここで暮らしたら?」

「アギーラ?」

 何を言っているのかと、彼が顔をしかめたとき、娘は身を乗り出して怪我人に抱きついた。

「な……!?」

「気に入ったわ!」

 彼女は朗らかな声を上げた。

「顔だけでも身体だけでも若さだけでも駄目。一点でも突出していれば、ほかは無難でもいいわ。でもあなたは全て、平均以上ね」

「……何の話だ?」

「だから」

 アギーラは微笑を浮かべ続けていた。

「お爺様より、私に仕えない?」

「――はい、そこまで」

 ぱしん、と娘の手の甲を叩いたのは、木製の杖だった。

「いい加減になさい、アギーラ様。お客人を困らせるんじゃありません」

 イズランが厳しい目で、娘を睨んでいた。

「全く、ここはどういう血筋なんでしょうね。王子殿下はご立派でいらっしゃるのに、その父と娘は奔放すぎる。いったいその衣装は、どこから調達したんですか」

「あら、イズラン。見張りなの? ご苦労ね」

 アギーラは唇を歪めると、手の上に乗せられたままの木杖をもう片手の指で弾いた。

「……つまり?」

 若い剣士が顔をしかめれば、魔術師は自ら謝罪の仕草をしながら、アギーラの頭を押さえて下げさせた。

「うちの姫君がご迷惑をおかけしまして、と」

 姫。

 ルー=フィンは目をぱちくりとさせた。

 王子の、娘。つまりこれは、オルディウスの孫娘か。

「では、医師見習いというのは?」

「嘘八百というのはまさしくこのことで」

 イズランは息を吐いた。

「ほら、激しい頭痛に襲われたという名目でルーティル夫人の茶会を欠席した人は、お部屋にいなさい。うろうろするようですと閉じ込めますよ」

「イズランが言うと脅しじゃないから困るわ」

「困るのはこちらです。全く、どうせ陛下に似るのでしたら、もう少し役に立つところが似ればよかったですのに」

「いつもながら失礼ね、宮廷魔術師」

「率直な感想です」

 ぱんとイズランは手を叩いた。

「たれか。アギーラ姫をお部屋へ」

 やってきた使用人は余計な質問ひとつせず、イズランとアギーラの機嫌をうかがった。と言うのも、宮廷魔術師と王の孫娘とでは、発言権にほとんど差がないからだ。

 身分上では、王族たるアギーラの方が上だ。だが現実問題として、イズランの方が影響力を持つ。使用人は魔術師に向かって礼をすると、アギーラを促した。

「仕方ないわね、これからがいいところだったのに」

「アギーラ様」

「判ったわよ、いまは戻るわ」

 姫は肩をすくめた。

「またね、ルー=フィン」

 陽気にひらひらと振られた手に釣られ、ついルー=フィンは手を上げてしまった。こほん、とイズランは咳払いをした。

「困った姫様でたいへん、申し訳ない。もうここには入らせないようにしますから、忘れていただいてけっこうです」

 イズランはぴしゃりと言った。

「調子は、いいようですね」

「神のご加護だ」

 姫君については彼もそれ以上触れず、淡々と答えた。


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