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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第4話 混沌 第1章
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10 そいつぁ、どうかね

 〈白鷲〉はうなった。

(ええい、どいつもこいつも)

(あの国のことは、そっとしといてやれってんだ)

 イズランだけでも面倒臭いのに、もしかしたらアル・フェイル王に、エククシアまで。

「まさか俺が、はいどうぞと差し出すとは思ってないよな?」

「無論、思わぬな」

「そりゃよかった。たまには話が通じるようだ」

 皮肉っぽく、戦士は言った。

「じゃ、本当の狙いは何だ。俺が肯んじないと知っていながら、護符なんぞと言い出して」

 やはりこいつの言動は判らない、とタイオスはうなった。

「いずれ受け取ろう。お前の手から」

「たわけたことを」

 渡すはずがない。

 サングの、正当と見えた申し出にすら彼は大いに躊躇い、迷った末に応じようとした。サングは結局、護符を返してきた――あのときはサングの行動も意味不明に思えたが、何のことはない、イズランの関係者だと判れば護符を気にするも道理だ――が、よく覚えている。手放したらもう二度と戻ってこないのではと感じた、奇妙な感覚。

 あの再演など、するものか。

 それも、よりによって、エククシア相手に。

「では此度の交渉は決裂だ」

 騎士はぱちりと指を弾いた。

 黒いローブがのそのそと騎士に近寄った。

「吐かせろ」

「は……」

 魔術師は礼をすると小さな杖を取り出し、手早く印を切ってそれを通常の大きさに戻した。

「ヴォース……タイオス……」

 はっきりしない声が、しかしはっきりと彼の名を呼んだ。タイオスは目の前にふっと(かすみ)がかかるのを覚える。

「さあ、我が声を聴け。よく、聴くのだ」

「聞こえねえ、なあ」

 タイオスは返した。魔術師は杖をかまえ、手指を複雑に動かす。霞はぐっと濃くなった。

(魔術、魔術だと。ふざけやがって)

 卑怯だぞ、というような、的外れな抗議が浮かぶ。

 無論、卑怯も何もない。それはひとつの技であり、立派な能力だ。戦いの場であれば、剣の技能を持つ者がその技能を持たない素人を相手にすることになっても、剣を使わない選択肢はない。それと同じだ。

(対抗するには)

(そうだ、護符)

 神様に頼る気はない。だがこれは所詮、道具だ――とタイオスは、実に自分に都合よく考えた。

(使い方のコツがどうとか)

(把握してるとは言い難いんだが)

 腰にある菱形の大理石を意識した。

「無駄なことだ」

 魔術師が呟いた。

「お前が頼みにするものの力は、既に抑えている」

「は……そいつぁ、どうかね」

 杖の出し入れから判断して、目前の魔術師はサングより格下だ。感情を出さないサングでさえ驚いたと言ったあの力を制限など、できるものか。

 ――と思うのは、しかし期待や強がりの域を出ない。彼は一般的な魔術の護符のことすらよく知らないのだ。特殊性の高さ故にサングがそれに興味を持ったということをいまひとつ理解できていない。

 単に「強力な護符」ならば、高位の魔術師にはそれほど珍しいものでもない。作用が読めないからこそ、〈白鷲の護符〉はサングの気を引く。

 つまり、仮に一時的としても、普通の魔術師がその力を抑えるということは、有り得た。

(力を貸せよ。何も、不思議な光でこいつらをぶっ飛ばせとは言わんさ。ただ)

(ただ……俺が屈せずに済むように)

 杖が揺れる。詠唱が聞こえる。霞は深くなりゆくばかり。もう、タイオスは目の前の格子すら見えなくなった。

「我が声を聴け」

 そう繰り返す魔術師の声は、わんわんと反響して聞こえた。

 視界は白く、声は彼を包囲した。タイオスは、何か怒鳴った。何を言ったのか、自分でもよく判らなかった。たぶん、「ふざけるな」とか「こんちくしょう」とか、感情に任せただけの、意味のない叫びだ。

 叫び続け、抵抗し続けたと、彼は――思っていた。

「うおあ!?」

 突然の衝撃に、何が起きたのか判らないまま、戦士は素っ頓狂な声を上げた。

「全く、図太いとでも言うのかね」

 苦々しい声がした。

「ほら、これで目が覚めただろう。腹の立つ男だな」

 白い下衣の裾が見えた。自分が横になって誰かの――町憲兵の足首辺りを見ているのだと、彼はどうにか理解した。

「なっ……何しやがる!」

 次には戦士は、憤然と抗議をする。

「冷てえじゃねえか!」

「呼んでも揺すっても蹴っても起きないほど熟睡する奴が悪い」

 水をぶちまけたバケツを片手に、カル・ディアの町憲兵はふんと鼻を鳴らした。

「出ろ、尋問だ」

「ちょ、ちょっと待て」

「何だ。自白の準備でも整ったか? それにしたって、尋問はするがな」

「そうじゃ……」

 あれは、夢か。タイオスは呆然と額に手を当てた。濡れた髪から水滴が伝わる。

(何だ?)

(いったい、どうなって……)

「――護符!」

 彼は叫んで、腰に手をやった。ほっと息を吐く。大理石でできた〈白鷲〉のしるしは、変わらずそこにあった。

(魔術で俺の意識を奪って、ついでに護符も奪ってった訳じゃ、ない)

(となると)

「町憲兵の旦那」

 中年戦士はぼそりと声を出した。

「俺がぶち込まれてからどのくらい経った」

「ああ? 二刻程度だろう」

「二刻か……」

 何の参考にもならない。タイオスはうなった。

「誰か、ここに……いや」

 タイオスは首を振って何でもないと言った。

 あれが夢ではなく現実だ。だが、町憲兵隊は仮面男と〈青竜の騎士〉、及び魔術師の訪問など知らないだろう。そのことには確信が持てた。

「あー、また言っておくが、俺は何もやってないからな」

 それからどうにか、彼はそう言った。

「話は向こうで、記録しながら聞く」

 そんなことを言いながら町憲兵は彼の手を縛り、牢の外に連れた。

「無駄な意地は張らないほうが身のためだぞ」

 知ったふうな口を利く町憲兵に適当に相槌を返しながら、タイオスは嫌な感覚に襲われた。

(――夢か?)

(いや、現実だ)

 魔術師は彼に魔術をかけ、そしてタイオスはどうなったのか。

(俺は魔術にかかって……ぺらぺらと奴の望むことを喋っちまったんじゃ、ないか?)

 それでエククシアは満足し、そのまま去ったのでは。

 大いに有り得るように思った。

 記憶が定かでない。気分の悪い感覚だった。

(もし思った通りなら)

(イズランに知らせんと)

 だがどうやって。

 向こうが彼の動向に気をつけていれば、頭のなかで叫ぶだけでも通じるのだろう。しかしどうやら通じている気配はない。イズランもサングも、タイオスが協会から彼らに連絡を取ってくると思っているのだろう。

 遠くアル・フェイドにいる魔術師に、カル・ディアの町憲兵隊詰め所から連絡を届かせる手段など、思いもつかない。キルヴンと連絡を取ろうとする方が、よほど現実的かつ簡単である。

 町憲兵はとうとうと「態度次第で罰も軽くなる」などと語っていた。戦士はずぶ濡れのままで考えを巡らせ、それに無言だけを返した。


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