09 尻尾でも振ってろ
「つまらん脅しだな」
彼は一蹴した。
「カル・ディア町憲兵隊は、そんなに無能じゃないぜ」
腰巾着だがな、という思いは内心にしまった。
「何の証拠もなしに、刑は与えられない。証拠を捏造するのも、難しいだろうな」
「必要ない」
ヨアティアは肩をすくめた。
「ロスムが一言命じれば、済むことだ」
「おいおい」
有り得ないとは言えない。むしろ、非常に有り得る。
「痛い思いをしたくなければ言うことを聞け? 直接的でつまらん脅迫にきたもんだな。ま、お前さんにはお似合いだが」
「何だと」
短気にもヨアティアはタイオスの挑発に乗りかけたが、軽く拳を握って、怒りを抑えた。
「直接的でつまらん、か」
仮面の男は余裕を取り戻した。
「それはどうかな。お前がここで足止めを食らえば、リダールを救う方法を探す時間は減るばかりだろう」
「――この野郎」
それも計算に入れてやがるのか、とタイオスは相手を睨み返した。
ヨアティアが、とは言わない。この男にそんな頭はない。おそらくは、エククシアの指示。
「エククシアの言いなりか。は、情けねえ。俺が憎いの何だのと言うなら、剣を持って、俺本人に、てめえひとりで立ち向かってこいよ。いつでも、相手をしてやるぜ」
「挑発のつもりか。だが無駄だ」
ヨアティアは首を振った。
「お前は、剣が得手だ。それで食っているのだからな、当然だろう。自分の勝てる舞台に俺を上げようなど、独りよがりにもほどがある」
「この野郎」
タイオスは罵ったが、その通りでもある。正面から剣を合わせるだけならば、彼は確実にヨアティアに勝てる。だが似非だろうと何だろうと、魔術を使われればお手上げだ。
「お前の与太話につき合っている暇はない。ミヴェルの居場所を吐け」
「またそれか」
「〈しるしある者〉には、褒美が要るのだ」
「……何?」
突然の言いように、タイオスは目をしばたたいた。
「褒美、だと?」
「女が褒美とは、下世話だがな」
「何を偉そうに」
タイオスは顔をしかめた。
「女をモノみたいに、褒美にやろうって訳か」
唇を歪めて、彼は呟いた。
「それが、どうかしたか」
ヨアティアは口の端を上げた。タイオスは嫌な気分がした。
たとえば春女ならば、金で買う。それは彼女らの仕事であり、彼女たちが納得ずくであるかどうかは別としても、行為に対価は支払われる訳だ。
だが「金を払った」ということで、女そのものをどのようにしてもいいと考える馬鹿がたまにいる。行為との等価交換ではなく、文字通り「買った」のだと。
そうした輩は、春女に意味のない暴力を振るう。否、商売女に対してだけではない、体力的、腕力的に自分より弱い相手を自分より下等だと考え、誰彼かまわず腕力を示して威張り散らすことで、自らを誇示する。
タイオスは、好かない。何でもかんでも「守ってやる」などと思うのではなく、絶対に勝てる相手に暴力を振るうなど、馬鹿をさらけ出すことだと思っている。
父親が娘の婚礼を決めるとでも言うのならこの時代珍しくない話だが、褒美としてやるのやらないのとなると、他人のことでも少々不愉快だ。
「お前、馬鹿か?」
彼は鼻を鳴らした。
「そうと聞いて、俺が吐くと思うのか?」
「もちろんだ、ご立派な〈白鷲〉殿」
揶揄たっぷりの口調で、ヨアティアは答えた。
「お前はたとえ、シリンドルのために俺を殺したくとも、ミヴェルのことなど、どうでもよいはず」
「まあ、俺はな」
ぼそりとタイオスは呟いた。
「だが、仲間が大事に思ってるんでね。売り飛ばす気は、無い」
「あの盗賊か。盗賊が、仲間か」
「職業に貴賤はないぜ。ってのは、冗談だけどよ」
多くの場合にはそう言えるが、盗賊に限っては貴賤の賤だと言っていいだろう。
「俺はリダールのためにカヌハへ行ったが、ジョードはミヴェルのためだった。俺はそれを無下にはしない」
「友は裏切らぬ、か? は、騎士ごっこも大概にするんだな」
「確かに〈シリンディンの騎士〉連中なら言いそうなことだな。俺は奴らを気取るつもりはない」
タイオスは手を振った。
「だがな、騎士でも何でもなくとも、男には譲れない線ってもんがあるんだ」
女を――それも仲間の惚れている女を差し出して、身の安全を図るなど。たとえ、それが唯一の方法で、どんなに理に適っていることだとしても、肯んじられるものではない。
(本当に殺されそうになりゃ、俺もいつまで格好つけてられるか判らんがね)
(現状じゃまだそこまでじゃないし、だいたい「殺されたくなければ吐け」ってのは吐いたあとに殺されるもんだ)
世慣れた戦士はこっそり思った。
「くだらん」
ヨアティアは一蹴した。
「おとなしく、言うことを聞け」
「ふざけるのもいい加減にしろ」
苦々しくタイオスは返した。
「俺はお前の言うことなんざ」
「拘留は最低でも丸一日。ロスムの出費次第で、いくらでも増える」
「何だと? クソ、情けない町憲兵隊め」
「三日間、ここに閉じ込めてやっていてもいいんだぞ」
ヨアティアは勝ち誇るような声音で、すいっと格子に近寄った。
「リダールか、ミヴェルか。よく考えてみろ」
「――クソ」
戦士は汚い罵りの言葉を発した。
「ええい、どうしろってんだ!」
「ミヴェルの居どころを吐けばよい」
「お前に訊いたんじゃねえよ!」
憤りから発せられた自分への叫びである。タイオスは格子を掴んで、ヨアティアを睨み据えた。
「てめえらがどういうつもりでも、俺は必ず、リダールを取り戻す。だが」
彼は低い声で続けた。
「そのためにミヴェルを売ることも、しない」
「それは賢い選択か?」
「馬鹿でけっこうだ」
あらん限りの力で、彼は格子を握り締めた。
「消えろ。お前の声も、その仮面もうんざりだ。カヌハに帰って、もう二度と出てくんな。〈青竜の騎士〉様に尻尾でも振ってろ」
どすの利いた戦士の声に、ヨアティアが動じた様子はなかった。
「どうしても口にしないと言い張るのであれば、方法もある」
男は静かに、言った。
「魔術に抵抗してみせるか?〈白鷲〉殿」
「何」
ぎくりとした。タイオスに、ルー=フィンに放った、危険な術。どういう理屈で魔術師ではないヨアティアがそれを操るのであろうと、関係ない。実際、操るのだ。
「何をする気だ。街なか、それも町憲兵隊の詰め所んなかで、馬鹿な真似は――」
協会が飛んでくるぞ、と彼はまた言おうとした。脅しに過ぎない。魔術師協会がそこまで過敏かどうか、彼は知らない。ただ、少しくらいは抑止になるかと思って、言うのだ。
「俺では、ない」
ヨアティアは片手を上げた。すると、薄闇にふたつの人影が現れた。
「――出たな」
戦士は呟いた。
「青竜の」
その片方はほかでもない、〈青竜の騎士〉エククシアだった。もうひとりは魔術師のようだ。黒いローブを身につけ、深々とフードをかぶっている。
「そいつは誰だ」
見覚えはない。もちろんと言おうか、イズランでもサングでもない。カヌハの館で相対した、ライサイと思しき人物でもなさそうだ。
「『誰』とは」
囁くような声で、エククシアは言った。石造りの薄暗い牢のなかで、その声は不気味に響いた。
「いったい、何を意味するか。素性か。職種か。名か。それとも、魂と呼ばれる何か」
「そんな話をしてるんじゃねえ」
タイオスは苦々しく言った。
「そいつは、てめえらの手駒かと……なんてのは、聞くまでもねえな」
彼ら側の人間であるから、こうしてエククシアに従って現れたのだ。
「これはライサイに従う魔術師だ。名などは聞いたところで、意味がなかろう」
「は、ご親切にありがとさん」
まだいるのか、と内心でタイオスは警戒をした。それも、ヨアティアのような偽物ではない、本物が。
「聞いたぜ、エククシア。ミヴェルを取られて、悔しがってるって?」
挑発するように彼は言ったが、騎士は表情すら変えなかった。
「〈しるしある者〉について、話をしてやろう」
その代わり、エククシアは言った。
「あれらはライサイの影響を受けた者だ。カヌハの地に長く暮らす『ソディ』と呼ばれる一族のなかで、素養を見せた者」
「はあ?」
戦士は口を開けた。
「意味が判らん。いや、別に判らなくてもいいような気がする」
彼は呟いた。
「何だか知らんが、ミヴェルをほかの男にやろうっていう話らしいな。させんよ」
「ではひとつ、提案をしよう。〈白鷲〉よ」
居場所を言え、言わん、というやり取りになるかと思っていたタイオスは、思いがけない言葉に目をしばたたいた。
「何だって?」
「その護符を渡せば、ミヴェルのことは忘れてやってもいい」
「……何だって?」
彼は繰り返した。
「護符? 何でまたいきなり、そんなことを」
そこで彼は思い出した。神秘がどうたらと、よく判らないことを繰り返していた騎士の言葉。
「――てめえの狙いは、シリンドルか? あの国の『神秘』に興味があるってか」