06 誰も彼も大嘘つきだ
「フェルナー。何度も言うように、タイオスを待つならおとなしくここで待っていろ。彼は私にお前を預けたのだから、ここに必ず戻ってくる」
根気よくミヴェルは言った。よくやるもんだとジョードは感心する。何しろフェルナー坊やときたら、この半刻だけで十回はこうして飛び込んできているのだ。
「だが、僕が彼に許した時間はとうに過ぎた」
地団駄を踏みかねない調子で。フェルナー。
「やはりあの男は信用できない!」
理性的な判断にはほど遠い、それは単なる癇癪と見えた。ミヴェルは嘆息する。
「お前は彼が帰ってくることを信じているから、遅れていることに落ち着かないんだろう。だが彼は戻ってくる。茶でも飲みながら、ここで待つんだ」
「女の指図など聞かない」
もう聞き飽きた応酬だった。聞いている方はうんざりするのに当のふたりが何度でも真顔でいるのはすごいな、と盗賊は的を外した感想を抱いた。
「――サング! サングはどこに行った」
どことも知れない空中に向かって、次には少年は魔術師を呼んだ。
「呼べばすぐくると言っていたのに、誰も彼も大嘘つきだ!」
「サング導師にも仕事はある。異常事態でもあれば跳んできてくださるのだろうが、子供のわがままに何度もつき合えないだろう」
「子供だと! わがままだと!」
「違うとでも?」
「僕は、礼儀正しく利発だといつも言われる!」
「それは、世辞だ」
ついジョードは指摘した。フェルナーは、彼がとても酷い言葉で少年を罵ったとでも言うように睨みつける。
「そんなことは決してない。父上の信頼する大人たちの言葉だ」
「んじゃそいつらは、『父上』に対してもおべっか使いなのさ」
「お前! 僕が無事に帰ったら、許さないぞ」
空威張り、〈狼と仲良くなった鼠〉、少年の言葉は何とも情けないものなのだが、当人は効き目があると信じているから性質が悪い。ジョードは天を仰いだ。
「お前のような下郎と交わす言葉はない。ミヴェル、何か判ったらすぐ僕に知らせるように」
「だから、知りたければここでおとなしく」
彼女はもっともなことを言ったが、少年はあるじ然として踵を返した。
「待て、フェルナー」
先ほどまではそれを見送っていたミヴェルだが、今度は彼を引き止めた。
「周りに迷惑だろう。じっとしているんだ」
少年はちらりと彼女を振り返ったものの、一言も返事をせず、他国の王城の廊下をすたすたと歩き去ろうとする。ミヴェルは舌打ちして、立ち上がった。
「フェルナー!」
彼女は小走りに彼を追いかけると厳しい声で呼び、細い腕を掴んだ。
「何をする。放せ」
「お前も伯爵の息子なら判るだろう。ここは他国の王城なんだぞ」
「礼儀を失するような真似はしていない。許された範囲で、タイオスを探しているだけだ」
「だから、まだ戻ってきていないと」
さすがにミヴェルもげんなりしかけたが、そこで少年は、茶色い瞳を燃やした。
「おかしいじゃないか!」
「何?」
「半刻で戻ると約束したんだ。もう、一刻を越す!」
「話が長引いているんだ」
ミヴェルはとりなした。
「大丈夫だ。彼のことは心配しなくても」
「――心配だと?」
少年はぴくりとした。
「僕が、タイオスを案じていると?」
「違うのか?」
「……そう思いたいのなら、好きに思っているといい」
フェルナーは唇を歪めた。リダールには見られなかった表情。彼女が戸惑う隙に、少年はその手を振り払った。
「あ……」
怒りを表すかのように足音を立てながらフェルナーは去り、ミヴェルは息を吐く。
そのまま彼女がしかめ面をして部屋に戻れば、ジョードはにやにやしていた。
「よく聞こえてたぞ。ありゃ、素直になれないお年頃、ってやつか?」
盗賊は知ったように言った。
「親父に逆らえない代わり、タイオスに当たってでもみてるのかね」
「それはどうだろうか」
ミヴェルは納得しなかった。
「フェルナーは父親と喧嘩をして飛び出した先で事故に遭ったと聞いている」
逆らえなかったことはない、とミヴェル。
「じゃ、成長期の少年に相応しいだけの反発心を抱いてたとしてもだ。いまは父親の権威が必要だ。いや、実際はそんなこともないんだが、フェルナーは『パパに言いつける』とやることで自分の位置を確保しようとしてるからな」
息子による父親への反抗が、生き物の雄としての、最初の縄張り争いだとすれば。それは成長過程のひとつだ。そうして若き雄は、戦い方を知っていく。父親は敵であり、教師である。
だがフェルナーはいま、父親に庇護の手を求めていた。代わりにタイオスを敵にして教師という複雑な役どころに据えているのではないかと、ジョードが思うのはそうしたことだった。
「ま、甘えることが許される内に甘えとけばいい。……他国の王様のお膝元じゃ問題もあるが」
「私がタイオスに求められたのは、まさしくそうした、良識だと思う」
だからフェルナーが王にはもとより使用人たちにも迷惑をかけるようでは困るのだ、というようなことを女が言えば盗賊は、こいつは自分が良識派のつもりかと顔をしかめた。
しかし彼は、そこで益のない指摘はせず、ほかの疑問を口にする。
「ずいぶん素直に、おっさんの指示を守るんだな」
「何だって?」
「お前のことだよ。容赦なく手を踏みつけたって言うじゃないか」
「あれは……私なりに必死だったんだ」
ミヴェルは口をとがらせた。
「彼はリダールを取り戻そうとしていたし、私は、取り戻される訳にはいかなかった」
「判った、判ってるよ」
ジョードは動く方の手を振った。
「いまは敵味方に分かれてる訳じゃない、ってことだな」
「ああ……」
ミヴェルは同意したが、歯切れの悪いものがあった。
(――もし)
(もしまた、エククシアが現れて「フェルナーをよこせ」と言ったら)
(こいつは……従うんかな)
ジョードの内に危惧が浮かんだ。
「……何だ?」
「いや」
彼は首を振った。
「フェルナーのことは、もう放っておけよ」
気軽な調子を装って、ジョードは言った。
「戻ってきたら、おっさんが巧くやるさ」
「……そうだな」
うなずきながらもまだどこか気になると言うように、彼女はフェルナーの去った方を見た。
「……タイオス殿が巧くやる、か」