03 金と神秘
「ライサイ様がどのような方法で死んだ少年を呼び戻したものかは、私などには見当もつきません。ただ、〈月岩〉の……」
「〈月岩〉。それは何だ」
その問いにミヴェルは、ジョードに問われたときと同じように、ソディの崇める象徴であると答えた。ジョードが納得しなかったようにオルディウスは納得しなかったが、盗賊が追究しなかったのと違って国王は問い詰めた。
「その〈月岩〉とやらの話をしろ」
「〈月岩〉に近寄ることのできる人物は限られています」
ライサイ、エククシアは無論、好きにできた。だがほかは、〈しるし持つ者〉であっても、宗主か〈月岩の子〉の許可または同行を必要とした。
触れることは適わず、その向こうに行くこともできない。岩よりも奥に進めるのは、ライサイただひとり。エククシアですら、行くことはできないのだ。
「どこか宗教的な香りのする決まりごとだな。権威付けと見える」
王はそう解釈した。
「宗主だけに許される禁断の地、聖域という訳だ。破る者はいないのか?」
「とんでもありません」
ミヴェルはふるふると首を振った。
「そのようなことは……」
「怖ろしい、か。余程、強力な教育を施しているのだな」
彼は呟いた。女はまばたきし、少し首をひねった。
「あの……無理なのです」
「何」
「『行くことができない』と言うのは、目に見えない壁のようなものが存在するからです。ライサイ様だけが、それを抜けることができる」
「魔術壁か。そのようなものは、イズランがどうにかするだろう」
「どうにか、とは……」
ミヴェルは不安になった。
「仰る通り、そこは聖域なのです。ライサイ様を除いては死者だけが岩の向こうに行くことができるとも言われている、我らの聖地です。どうか無体な真似は」
「俺は侵略をしたいのではない。だいたい、カヌハはウラーズ国の町ではないか。ウラーズと戦端を開く予定などない」
王は手を振った。
「ソディの聖なる象徴とやらを踏みにじって荒らすつもりはない。ただしそれは、ライサイがおとなしくしているのならば、だ」
「ライサイ様にとて、侵略の意図などはありません、決して」
「自分には宗主の考えは判らぬ、との言葉はどうした」
「それは……それとこれとは、違い……」
「違わん」
オルディウスは厳しく断じた。
「ミヴェル、お前の忠義は立派だ。だが、ソディに侵略の意図がないというのが真実であるならば、お前には案じることなどないはずだ」
隠し立ての必要はない、とアル・フェイル王は言った。
「金と神秘。相反するもののようだが、金というのはいつでも入り用なものだ。カヌハ特産と聞く光る塗料の生産が巧く行っていないようなことでもあるのか」
「いえ、問題は特に発生しておりません。カヌハには〈しるしある者〉という地位さえありますが、貧富の差はなく、余所との交易で潤っております」
「だが金を欲した。宗主が個人的に浪費でもしておるか」
「決して」
ミヴェルは首を振った。
「正直……私も、あれらの金はどこへ行ったのだろうと思っておりました。ですが、ライサイ様のご要望は金ではなく、神秘。金というのは計画上の副次的な産物に過ぎず……」
「そう聞かされているのか。それを信じていると」
オルディウスは鼻を鳴らす。
「神秘は金では買えんがな、たいていのものは買える。浪費していないのなら貯蔵している。目的のない貯蔵はただの持ち腐れだが、何か目的があるのであれば……」
老王はうなった。
「判らんな」
「本当に、金は副次的なものなのです。誘拐をして金を要求しないと、ほかの目的を疑われますから」
ミヴェルは主張した。
「アル・フェイドでは神秘を手に入れることに失敗したので撤退したということもあります」
「何。我が都市でもほかの目的があったと言うか」
王は片眉を上げた。
「イズランは何も、そのようなことを言っておらなんだが」
「失敗に終わりましたから。ひとりの、戦士に阻まれて」
「戦士?……ああ、あの、誘拐を防いだという護衛戦士のことか」
「はい。あのときは、時節が重要でした。標的だったデレル家の子供は、十五の成人で家宝の宝玉を受け継ぐ決まりになっており、ライサイ様はその子供とその誕辰の日が必要でした。ですが、それは、過ぎましたから」
「ふうむ」
判らんな、と王はまた言った。
「だが興味深い話だ。イズランに伝えよう」
「あの戦士殿は、その後、どうされました」
思い出して、ミヴェルは尋ねた。
「深い傷を負っていたようでしたが」
「生憎なことに死んだ」
王は肩をすくめた。
「旅の雇われ戦士で、どこの馬の骨とも知れんでなあ」
「え……?」
「何か心当たりでもあるのか?」
「い、いえ」
ございませんとミヴェルは答えた。
エククシアの師だという男。だが彼女は、名前だけは耳にしたものの、その素性を知る訳ではない。
「デレル家が弔いをしたが、連絡をする身内がいるのかどうかも判らぬままと聞いた。あれも因果な商売よ。――タイオスとやらも」
ふと思い出したように、オルディウスは中年戦士のことに触れた。
「いつまでそうした商売を続けるのだろうな。見場さえよければ俺が雇ってやってもよいのだが、あれではかなりの手入れが必要そうだ」
これにはミヴェルは返答のしようがなく、黙っていた。
「ではお前は、ライサイはあくまでも神秘を求めていると言うのだな。だがそれがやはり判らん」
三度、王は言った。
「魔術師たちは、俺などにはどうでもいいとしか思われないことに眼の色を変えて夢中になる。奴らは何でも知りたいのだそうだ。ライサイもそうなのか?」
「わたくしには、判りかねます」
ミヴェルは正直に答えた。
「では、質問を変えよう」
オルディウスは続けた。
「――ライサイの元へやってきた『神秘』はその後、どうなるのだ?」
「それは……」
彼女はうつむいた。
「〈月岩〉のところへ、連れられます」
「それで?」
王は追及した。
「それは、私の、口からは」
「二度と帰ってこない。そうだな」
王は確認するように尋ねた。女は黙った。それは肯定も同然だった。
「相判った。いや、判らぬことも多い。だが、ライサイが欲するのは、魔術師ふうに言えば、特殊な運命を持った人間とでも言う辺りだ。それをどうしているのか、殺されてでもいるのか、それが我が民ではない以上、俺の知ったことではないが」
彼は冷淡な人間とも立派な国王とも取れることを口にした。
「単純に、気味が悪くもあるな」
「――ライサイ様には、必要なのです。そしてライサイ様は、ソディに必要です」
うつむいたミヴェルは、顔を青くしていた。
「どうか、これ以上は。決して、王陛下のおわすアル・フェイルを危うくするようなことではありません。ただ、カヌハとソディを守るための」
「お前が信じていることと、宗主の考えは別だと言った。お前も言ったが、俺も言った」
王は肩をすくめた。
「いいだろう。とりあえずは、いまの話で充分だ。イズランと相談をして、また尋ねることもあろう。それまで、お前は休め」
言うが早いが彼は小姓を呼んで、手早く命令を発した。
「ジョードは目を覚ます様子がまだないな。もう一度医師を呼ぼう」
「あ、有難うございます」
「何。俺は早く、彼の瞳の色が見てみたいのだ」
オルディウス王はにやりと笑って、部屋を出ていった。ミヴェルは深々と頭を下げたまま、王とのやり取りを思い返していた。
自分はこれからどうすればいいのか。
アル・フェイル王にソディやライサイのことを語りながらも、彼女にはまだ、自らの行く先が見えなかった。