02 お慈悲を
「イズランですら、ライサイの力について把握し切れていない。これは由々しきことだ。遠くで魔術ごっこをしているだけなら俺の知ったことではないが、あやつは俺のアル・フェイドに手を出した。あのときはまんまと逃げられたが、アル・フェイル与しやすしなどと思われてはたまらん」
ふん、と王は鼻を鳴らした。
「アル・フェイド、カル・ディア、次は? それとも、もう終わりか?……ええい、うんとかすんとか言わんか」
完全に沈黙してしまったミヴェルに、王は苛立ちを見せた。
「お前はライサイの目的を知らない、本当か?」
こくり、と彼女はうなずいた。
「命令で、誘拐に荷担していただけだと」
こくり。
「カル・ディアのみならず、アル・フェイドでもか?」
ミヴェルはしばし動かずにいたが、唇を噛んで、またうなずいた。
「ふん」
オルディウスは唇を歪めた。
「俺の前でそれを認めるとはな。素直なのか、愚かなのか」
「嘘は……申し上げまいと、しております」
切れ切れの声でミヴェルは言った。
「私は、アル・フェイル国の法を犯しました。ソディ一族のためです。もう一度やれと命じられれば、私は同じことをします。王陛下が処分をとお考えになっても、当然かと。けれど、私は」
同じことをしますと女は言った。老王はじろじろと彼女を見た。
「忠義か。けっこう。俺の家臣であれば、頼もしいと思うところよ。だがライサイへの忠義なれば、困ったものだ。お前の救命と引き替えには何も吐かせられなさそうだからな」
ミヴェルは黙っていた。
「致し方ない」
王は肩をすくめた。
「そこな男の救命と引き替えとしよう」
「陛下……!」
はっとして彼女は王を見た。
「お前は、男のために一族を裏切りながら裏切りではないと主張する。何も言わぬとな。だが、俺がその男を放り出せと命じればどうなるか。言うまでもなかろうな」
「どうかお慈悲を」
ミヴェルは頭を床にすりつけた。
「彼は、ジョードは、何も知りません」
「無論、判っておる。俺はジョードから何も聞き出そうとはしておらぬ。俺の相手はお前だ、ミヴェル。ソディの女よ」
「お慈悲を……お慈悲を」
「十二分に、くれてやっている!」
王は一喝した。
「俺はいますぐ、お前とこの男の首をはねてもよいのだ。我が民を危険にさらしたとしてな」
「わ、私は確かに、アル・フェイドでの拐かしに関わりました。しかしジョードは」
「カル・ディアのみか? それならば、カル・ディアル王に報せとともに送りつけてやるだけだ!」
老王の青い瞳は、爛々と燃えた。
「ソディのミヴェル。俺にこれ以上、慈悲など期待するな。お前の答え次第で、お前はもとよりこの男の運命も決まると知れ」
(ああ……!)
ミヴェルの頭のなかは真っ白になった。
(私は、どうすれば)
(ジョード)
(――エククシア様)
にやにやと笑う盗賊男と、氷のように冷たい騎士の姿が浮かんでは消えた。
「……オルディウス王陛下」
かすれる声で、ミヴェルは呟いた。
「仰る通り、私はソディ一族の女。ライサイ様と、〈月岩〉の子たる騎士エククシア様に、全てを捧げた身です」
彼女は顔を上げた。その顔面は、塗ったように真っ白だった。
「レダクのために、一族を裏切ることなど、できません」
「む」
オルディウスは渋面を作った。
「俺をなめるなよ、女。俺は、やると言えばやる」
それから王は右腰に手をやると、細かい装飾の施された鞘から、反った形の短剣を引き抜いた。
「お前が先か、男か?」
「お待ちください」
ミヴェルは引き留めた。
「ソディのためを思えばこそ、私は陛下に必要なお話をいたします。要らぬ誤解でウラーズ国の、ひいてはマールギアヌの、ラスカルトの逸脱者とされること、ソディのためによいこととは思えません」
「――ふむ」
老人は短剣をもてあそんだ。
「ふむ。よかろう」
彼は刃を納めた。
「何、あまり固くなるな」
繰り返して、王は手を振った。
「ソディの存亡に関わるような秘密を話せなどとは言っておらん。気軽な世間話でよい。お前が、ジョードとしたような」
「ジョードと?」
「話したであろう? ソディ一族の、外部からは特異と見える組織体系、ケイスト一族を他大陸まで追いやったという古代の伝説、光る竜の岩と〈月岩の子〉、そしてライサイ」
オルディウスは息もつかずに列挙した。
「ライサイの力の源だの、その正体だの、俺はそんなことには興味がない。ライサイが隠し続けてきたことを探るつもりなどない。ただ、金の行く先が気にかかる。何を目的に、何をしようとしているのか」
だが、と彼は呟いた。
「それは判らぬと言うのであったな」
「はい」
「ならば、神秘とやらだ」
オルディウスはぱちりと指を鳴らした。
「そのことについて、余所者にも判るように、話せ」
「は……」
口にしたことは本心であった。ソディのために、話をする。
罰を受けるかもしれない。否、必ず受けるであろう。ソディの法は、カヌハの村が属するウラーズ国のものとも違う。表向きは無論許されないことだが、ウラーズ王は長いこと、それを黙認してきた。ライサイが怖ろしいからだ。
だがカル・ディアル、アル・フェイル。南に広がる二大国が本気でカヌハを潰そうとすれば?
ライサイの力を多少なりとも知るミヴェルは、それでもライサイは勝利するのではないかと思う。
だが、死人が出るだろう。ソディにも、余所の兵士にも。数多く。
血塗れの光景を目にしたときの、世界が凍りつくかのような思い。あんな出来事をソディの間に引き起こす訳にはいかない。
ミヴェルが拒否を続ければ、オルディウスは彼女とジョードを処刑し、カル・ディアル、ウラーズとライサイ討伐を進める気だ。それを避けるために語る。これは――裏切りではない。
「神秘。主には、ヒトです。通常の人間が持つことのない力を持つ存在を求めます」
たどたどしく彼女は話し出した。
「魔術師というようなことではないのだな」
「はい、違います。魔術師は所詮、魔術師ですから」
絶対的に頭数が少ないと言っても、それはたとえば専門職としての医師がそう大量にはいないようなものである。魔力は生まれ持つものであるから、自らの意志や努力で魔術師になることはできないが、忌まわしかろうと不吉だろうと、それは世間にまかり通った職業のひとつにすぎない。
ソディの、ライサイの言うところの神秘は、違う。
生まれつきの定めと言われるものはあるかもしれない。いや、あるだろう。
世界でひとり。
それはたとえば伝説の宝石を手にして炎の力を得た者。それはたとえば、天才と呼ばれる人々。動物と話せる者。手をかざして蕾を開花させる者。
魔力とは違う、数々の不思議たち。
それはたとえば――。
「死者の蘇りがそれに入るのか?」
オルディウスは首をひねった。
「いささか、列挙されたものと異なるようだが」
「は……」
ミヴェルは考えた。
「それは……その件は、入り口に過ぎません」
「入り口、とな」
王は唇を歪めた。
「では、その奥には何がある」
「同じ誕辰を持つふたり。六年前という月日。可能であるならば十二年を置く方がよいようです。ただ、六年でも、数字としては悪くないのだとか。私は聞きかじりなのですが、イズラン殿でしたら、お詳しいやもしれません」
それぞれ白、蒼、桃、碧、明、紫、紺、紅、茶、黄、暗、深の年と呼ばれる十二年。それを「期」と呼び、ひとつの区切りとするのは、広く知れ渡るごく普通の考えだ。場合によっては、半分の六年で区切ることもある。魔術師たちの世界でも同じだ。
規模の大きな話になれば、五期、つまり六十年に一度の〈変異の年〉でなければ行えない術もある。もっとも、そこまで蓄積を必要とするのは稀な話だ。一般的な寿命を持っていれば、それは一生に一度の機会にすぎないからである。通常は、一期もかけて力を溜めれば、かなり大きな術が可能とされていた。術の種類や希少性、術師の能力によっては、半期で充分ということもある。
「何故、リダールとフェルナーという少年なのか。それは私は存じません。六年前という符号のためやもしれず、彼らの父親との話し合いがあったのかもしれません」
「話し合い」
オルディウスは少し笑った。
「平和的表現でけっこうだ」