11 何をくださいますか?
そうして、無事だと聞いた人間のひと通りの無事を確認したタイオスは、少年のもとに戻った。
「おい、提案があるんだが」
話をしようとした彼は、フェルナーが筆を片手に真剣な顔をしているのを見る。
「何をしてる?」
「ああ、タイオスか」
フェルナーは顔を上げ、筆を置いて息を吐いた。
「文字も、思うように書けない」
「そうか」
――としか言いようがない。
留め具をはめられない手が、文字を流暢に書けるはずもないだろう。考えてみるだけで判るが、試してみたかったのだろうかとタイオスは訝った。
「左手でも巧くいかない」
「そりゃそうだろうよ」
苦笑混じりにタイオスは返した。フェルナーは片眉を上げる。
「リダールは左利きだ」
「ああ、そうなのか」
戦士が応じれば、少年は顔をしかめた。
「お前は本当にリダールを知っているんだろうな?」
「また疑うのか。それも、そんな根本的なことを」
タイオスは天を仰いだ。
「たった数日のつき合いだ。それも、ずっとくっついてた訳でもない。あいつの利き腕を意識するようなことがなかっただけだよ」
剣を振らせれば判ったかもしれないが、少年は木剣を持ち上げることすらできなかったのだ。
もっともフェルナーも本当に疑ったというよりは、ちょっと言ってみたという雰囲気だった。あまり追及しなかったからだ。
「何を書いていた?」
紙や筆は侍女からもらったのだろう、と推測しながら彼は尋ねた。
「悪いが、ロスム閣下への手紙なんてもんは受け取れんぞ」
タイオスがフェルナーを誘拐して監禁しているとでも取られかねない。ある意味ではその通りだが、一般的な意味では決して違う。
「そうじゃない。魔術師が」
「ん?」
「魔術師がこれらを持ってきて、何でもいいから書いてみろと。リダールのように左手でも試すよう、彼が言った」
「うん?」
戦士は目をしばたたいた。
(それで何か判ることでもあるんかね)
(記録を残しておこうとでも言うのか)
(だが理由は何にせよ)
タイオスには引っかかったことがあった。
「……どうしてイズランが、リダールの利き腕のことなんざ知ってる?」
「知りません」
フェルナーではない声が言った。
「イズランは知りません。ですが、私は知っています」
「――サング」
三十前後の、表情を見せない長髪の魔術師が、不意に部屋の片隅に現れていた。
「お前、何で」
「見ていれば判ります。何気ない動き、ものを取る動作、髪をいじる癖や、肩に入る力などでも。タイオス殿は観察力が足らない」
「悪かったな」
彼は顔をしかめた。
「だが俺は、何でリダールが左利きだと知ってるのかと尋ねた訳じゃない。何でここにいるのか……は、イズランの知り合いなんだから不思議でもないが、協会云々はどうした」
「私はアル・フェイル魔術師協会の導師です。本来ならば、協会の指針を疎かにはできない位置におります」
「導師、ねえ」
そう言えばイズランが「サング導師」などと言っていたな、と戦士は思い出した。
「ですが、この王宮でだけは、一種の特別規則が敷かれているとでも言いましょうか、協会も黙認いたします」
「どういうことだ?」
王宮に行けば魔術師が何をやってもいいなどとは――そういう訳でもないのだろうが――タイオスの知る「魔術師協会と魔術師」の基本からかけ離れている気がした。国王より協会長の言葉を重んじるのが魔術師連中のはずだ。
「イズランも協会に籍を置いていますが、彼は王陛下付きです。私は宮廷魔術師ではありませんが、彼の代理もいたします。彼は何やかやと、出かけることの好きな宮廷魔術師ですので」
「ん? それじゃ、何度かイズランの口にした」
タイオスは思い返した。
「ラドー、とかってのが」
「私です」
無表情の魔術師は認めた。タイオスは苦い顔をした。
「俺に、偽名を名乗ったのか?」
「いいえ」
サングは首を振る。
「私はきちんと完名を名乗りました。アルラドール・サングと。イズランと王陛下が、勝手に私に愛称をつけています」
「……はあ」
イズランのみならずサングの方も、国王陛下に言いたい放題のようである。
「まあ、判った。サングでもラドーでもいい」
タイオスは手を振った。
「王宮でなら俺に手を貸せるという訳だな。だが、お前の利は?」
無条件で助けてくれるとは思わない。あとで理不尽なことを要求されないよう、タイオスは先に尋ねた。
「何をくださいますか?」
向こうから質問がきた。
「むむ」
タイオスはうなった。協会の給与体系など知らないが、導師というのは普通の魔術師よりもらっているのだろうと戦士は考えた。もっとも、金を欲しているとは思えない。それならタイオスよりオルディウスにせびるべきだ。
(それなら?)
(こいつが興味を示したのは)
(〈白鷲〉の……)
「護符は、やらんぞ」
念のためとばかりにタイオスは言った。
「けっこうです」
サングはうなずいた。
「私の忠告を覚えていらっしゃるようで」
そこで初めてサングは、タイオスの前で、笑みらしきものを浮かべた。と言っても「もしかしたら笑ったのかもしれない」と思う程度の、実にわずかな唇の動きだったが。
「ご心配なく。私はあなたに何も求めません」
「無償奉仕も信じられんのだが」
「私も神官ではありませんので、報酬はもらいます。ただし、王陛下か或いはイズランから」
魔術師は確約した。
「護符のことですが」
それからサングは話題を戻した。
「あれからどなたかに、護符を要求されることがありましたか」
「いいや」
彼は首を振った。
「んなこたあ、なかったよ」