05 みなご存知で
この大嘘つきめ、とタイオスはイズランを罵った。
「何が、宮廷魔術師の弟弟子だ!」
「そんなに、大嘘でもないんですよ」
アル・フェイルの宮廷魔術師は、悪びれずに肩をすくめた。
「あのときは、ラドーが『宮廷魔術師』というものを代行していました。私が彼の弟弟子なのは、本当のことですから」
さらさらとイズランは言った。
「そういうのは屁理屈と言うんだ」
げんなりとタイオスは指摘した。
「だいたい、お前は」
「その辺りにしておけ、〈白鷲〉」
豪快な笑い声が、戦士の苦情を遮った。
「これが身分を明かしてシリンドルの騒ぎに入り込めば、そなたらは必要以上に我が国を警戒しただろう。故神殿長殿も、俺の協力を完全に取り付けたと勘違いしかねなかった。俺としても『宮廷魔術師』を派遣する訳にはいかなかったのだが、これがどうしても自分が行きたいと抜かしたのでな」
「『これ』扱いはおやめください、陛下」
むっつりとイズランは言った。
「私は、モノではありません」
イズランの様子が普段と違う。そう気づいたタイオスは、罵詈雑言を納めて面白がるように魔術師を見た。
(いっつも人の腹を立てさせるくらいにやにや笑ってるくせに、ご主人様は苦手だってか)
(――しかし、こいつのご主人様がまさかこんな大物とは)
アル・フェイル王オルディウス三世。
タイオスはその人生のほとんどをカル・ディアルで送っているが、カル・ディアル王と面会したことなど、無論ない。首都に住んでいる訳でもないから、祭りの際に王族が飾り馬車に乗って街を回ったり、露台に立って手を振ったりするのも見たことはない。絵姿を見たことがある程度だ。
それがいきなり、アル・フェイル王との対面。それも、食事への招待。
イズランの魔術で立派な建物のなかに連れてこられ、お仕着せを着た使用人らに風呂を使わされ、カル・ディアでロスム伯爵に会ったときのように小ぎれいにされていた間は、まだここがどこであるか知らなかった。
使用人たちは固く口を閉ざしていたし、「誰だか知らんがお偉いさんなんだな」と解釈すると、タイオスもあまり追及しなかったからだ。
同じように身支度を整えた少年――もともと「リダール」は、カヌハで厚遇を受けていたから、大して汚れてはいなかったが――とともに、たかだか食事をするだけにしては広すぎる部屋に案内され、オルディウスと一緒に現れたイズランが王を紹介し、改めて自己紹介し直すのを聞いて口をあんぐりと開けた、という流れである。
ここはアル・フェイド。カル・ディアルに並ぶ大国アル・フェイルの首都で、その広大なる土地を支配する王の居城。国の中心地だ。
その事実に身震いするほどタイオスの肝っ玉は小さくないが、いくらか緊張はする。
ちらりと少年を見れば、彼と同程度の緊張をしているようだった。それくらいで済んでいるのならなかなか大したものだとタイオスは思ったが、もしかしたら「フェルナー」は、カル・ディアル王と面識があるのかもしれない。そうであれば「大国の王」という存在を目にするのは初めてではない訳だ。
「では陛下は、シリンドルでの出来事をみなご存知でいらっしゃると」
言い慣れない敬語に舌を噛みそうになりながら、タイオスは尋ねた。オルディウスはうなずいた。
「余すところなく、聞いておる」
給仕役の使用人が足の長い玻璃の杯に酒を注いでいく。普段、タイオスはあまり葡萄酒を飲まないが、おそらく彼の知るものと同じ「葡萄酒」と言うのは気が引けるほど上等な品なのだろうなと何となく思った。
「どのようにお思いになりました」
タイオスは酒から目を離すと、続けて尋ねた。
「ふん?」
オルディウスは片眉を上げた。
「俺の動向を探るつもりか。何か言質を取るつもりか?」
「いえ、俺、私は」
こほん、と中年戦士は咳払いをした。
「シリンドルの名代という訳でもありません。シリンドル国民ですらない」
「だが探ろうとした」
老王は笑った。
「けっこう。そちは名代ではないが、間者だ」
「いや……」
「騎士として仕える国のために、他国の動向を探る。これが間者でなければ何だと?」
「正直に申し上げて」
タイオスは肩をすくめた。
「シリンドルってのは、辺境の田舎町みたいに、のんびりと平和にやってる国なんですよ。俺は首都にも近いカル・ディアルの人間なんで、大国や都会のことは知ってます。何て言ったらいいか」
戦士は頭をかいた。
「都会の人間が田舎者を騙すのは簡単だ。騙される方が悪い、なんて向きもある。疑い合うより信じ合えなんてのは神官の発言でしょうし、俺はそんなことを言われたら無理だと答える。ただ、穏やかに生きてる連中まで、都会の速度に巻き込むことはないと思う。それだけです」
「ほう」
オルディウスは目を細めた。
「幼子を見守る母の視点だな」
「母親になったことは、ないんですがね」
唇を歪めて彼が返せば、王は笑った。
「けっこう。だが、長くは続かぬぞ」
「続きますよ。シリンドルは長いこと、そうやってきたんだ」
「かの神殿長のことは? 長い歴史のなかの、汚点にすぎぬか?」
「さあ。百年後に例の出来事がどう評価されてるかなんて、判りやしません」
「特異点だったと、思うのか?」
「何ですって?」
意味が判らず、タイオスはまばたきをした。
「ヨアフォード・シリンドレンは稀代の悪人で、何百年にひとりの存在か? お前はそう思うのかと訊いている」
「――種子はありますよ。いつ、どこにだってね」
タイオスはそうとだけ答えた。けっこう、とオルディウスはまた言った。
「そちは〈白鷲〉と言うのだったな」
「そうした称号をいただいております」
俺はそんなもんじゃない、とは言わずに、タイオスは謙虚に言った。
「どの程度の権限を持っている?」
「私には、権限と言えるようなものは何も」
「ないのか? 噂の〈シリンディンの騎士〉を任命するようなことは?」
「その権限があるのは、王陛下と騎士団長と、それから」
〈白鷲〉は肩をすくめた。
「神様です」
「成程な」
オルディウスはどこまで本当に「成程」と思ったにせよ、口に出しては納得したようなことを言った。
「では、俺がシリンディンの騎士を欲しければ、噂の若王に折衝するしかないか」
「は? いや、失礼。陛下、シリンディンの騎士というのは」
タイオスだって大して知っている訳ではないが、彼らはシリンドルを愛して神と国と民に尽くすから〈シリンディンの騎士〉なのであって、そういう名称の珍獣などではない。手に入れれば「飼い主」の命令に従うというものではないのだ。
アル・フェイル王は何か誤解をしているのかとタイオスは説明しようとしたが、オルディウスは手を振った。
「ああ、言い方が悪かったようだ。俺が欲しいのはシリンドルに忠誠を誓うように俺に仕える優秀な騎士ではなく」
そこで王は、にやりとした。
「銀の髪に緑の瞳をした、美しい若者だ」
「……ええと」
タイオスは頭をかいた。