03 見捨てられない馬鹿
何と申しますか、とイズランは肩をすくめた。
「私の主が、ルー=フィン殿をいたく気に入りまして」
豪華な一室のなかでは、三人が長方形の低い卓を挟み、タイオスの向かいにイズラン、隣に少年が腰かける形になっていた。
「どういう意味だ」
タイオスは尋ねた。
「そのままの意味です」
イズランは答えた。
「手出しはまかりならんと、主はそう言っていたのですが、ルー=フィン殿を見て気が変わったらしい」
「やっぱり、判らんが」
戦士はううむとうなった。
「つまり、お前がルー=フィンとジョードを助けたのか?」
「そういうことになります」
「いったい、何でまた」
「助けない方がよろしかったんですか?」
「んなこたあ、言ってない。奴らが無事でいるのなら万々歳だ。だがどうしてお前が。何のために」
「私はシリンドルでの仕事を終えました。ただ、あなたのことは気になっていましてね」
「俺だと?」
「あなたと言いますか、〈白鷲〉と言いますか、現状では同じことですけれど」
「俺のでも〈白鷲〉のでも、何が気になる」
「魔術師には、そりゃあ、気になることが山積みです」
イズランは肩をすくめた。
「サングから何か聞いて……いや」
タイオスはそこで、はっとした。
「いや、その話はあと回しだ。サング。そうだ、お前はサングの代理なんだな。知り合いなのか?」
「ええ、まあ」
イズランはうなずいた。
「私と彼が出会ったのは、そもそも」
「どうでもいい」
ぴしゃりとタイオスは言った。
「話は通じてるんだな。これのことも」
戦士は少年を指さした。
「どこまで知ってる」
「リダール殿の身体に、フェルナー君の魂が入っているようだ、ということまで」
「待て」
と言ったのはフェルナーだった。
「どうしてリダールが『殿』で、僕が『君』なんだ」
つけられた敬称に、彼は苦情を言った。
「それは、彼は十八で、あなたは十二だからです、フェルナー君。いや、誕辰の直前でしたから、正確に言うなら、十一ですね」
「リダールと僕は同年だ。同じ日に生まれた」
「いまでは六年の差異があるんですよ」
当然のように魔術師は言った。フェルナーはむすっとした。
「タイオスと同じ話をする。結局、お前たちは組んでいるんだな、知り合いのようだし。信頼した僕が馬鹿だった」
「おいおい」
戦士は苦い顔をした。
「俺がいつ、こいつと相談をする暇があったというんだ? 確かに知った顔じゃあるが、これが現れて俺が驚いてたのはお前も見たろうが」
「そんなのはきっと演技だ」
「お前な。自分に都合のいい考えばかりが正解じゃないんだぞ」
「その言葉は、そっくりお前に返す」
じろりと少年は戦士を睨んだ。
「お前が望むのは、僕が自分を六年前の幽霊だと認めて去り、お前が『十八歳の』リダールを取り戻すことだろう。だがそんな馬鹿げた話を信じるものか」
「まあ、馬鹿げた話だと思うわ。俺もな」
思わず戦士は呟いた。
「それで、イズラン」
タイオスはフェルナーを放っておくことにした。
「どうして知っているのか、その辺りは問わないことにする。どうせ、『魔術だ』というような答えなんだろうからな」
戦士の決めつけに、魔術師は軽く頭を下げた。
「これだけを問いたい。手はあるのかと。時間は、三日しかないんだ」
「少し拝見しましたが」
魔術師は少年を見た。
「『ユヴィケルス』という物語を知っていますか」
「……知っている」
むっつりと少年は答えた。タイオスも聞いたことはあった。それは、有名な幽霊奇譚だ。
死んだ老人がこの世に未練を持ってラファランの導きを退け、息子の身体に入り込む。彼は息子から私的な時間を奪い、息子はやつれていき、その息子、つまり老人の孫が真実を突き止めて幽霊から親を救う話である。
「僕が、息子に取り憑いた老人の役どころだと言いたいのか」
「いいえ」
イズランは首を振った。
「あなたは、タイオス殿が考えておいでのような『幽霊』とは違いますね」
「ほら見ろ」
フェルナーは威張った。
「じゃあ、何だ」
少年を無視して、タイオスは魔術師に尋ねた。
「『何』……と言えばいいのか。俗に言うところの『幽霊に取り憑かれる』というのは、死者の魂が生者の身体を乗っ取ることです」
「だから、その状態だろ」
「似ていますが、違います。そこにリダール殿はいないんです」
「ん?」
「幽霊が取り憑いた場合、生者の魂はそこにあります。『ユヴィケルス』でも、息子はのちに、取り憑かれていた間のことを思い出す。彼は、自分の身体のなかにいたからです」
ですが、と魔術師は続けた。
「そこに、リダール殿の魂は、ありません」
「何が違うのかよく判らん」
「ひとつの身体にひとつの魂。正常な状態なんですよ」
「……んな、阿呆な」
タイオスは顔をしかめた。
「どこをどうしたら、これが正常になる!」
「いったい、どこをどうしたんでしょうねえ。ライサイの術は、五大魔印の原則に基づいていない。戦士殿の世界にたとえてみれば、そうですね、斧で俊敏な攻撃を繰り返すだとか、小刀の一撃で首を切り落とすだとか、非常識としか思えない出来事を成し遂げてしまっているんです」
「判るような、判らんような」
戦士はうなった。
「とにかく、理屈はいい。講義をしたかったら、あとで聞く。手段だ、手段」
「それなんですが」
イズランは真剣な顔をした。
「よろしいですか、タイオス殿」
「おう、何でも言え」
「判りません」
「おいっ」
タイオスは怒鳴った。イズランは耳をふさぐ。
「ふざけている訳じゃありませんよ。せっかく主から許可をいただいたんですし、私なりに最大限の努力をいたします。フェルナー君、おじさんと話をしませんか」
にっこりと魔術師は少年に話しかけた。タイオスはどうしようかと思ったが、任せてみることにした。
「話……どんな話だ」
警戒するように少年は尋ねた。
「事故のことについて」
イズランが言えば、フェルナーは顔を青くした。
「――話したくない」
「すみません。嫌な思い出ですね。でも、よく覚えているようですね」
「つい……昨日のことのようだ。だけど判らない。あれから、長い時間が経ったような気も……」
言って少年は、はっとした。
「そんなことのあるはずが、ない。僕は、事故に遭ったけれど、助けられたんだ」
「誰に?」
「それは……知らない。気がついたら、タイオスが」
「フェルナー君」
魔術師は、あくまでも笑みをたたえていた。
「本当のことを言ってください。本当に、あなたは覚えていないんですか。事故で死ぬと思った瞬間から、タイオス殿と出会うまでの間に、何があったのか」
「何も、無い!」
フェルナーは叫んだ。
「何を訳の判らないことを言っているんだ、魔術師!」
「わたくしは、イズラン・シャエンと申します」
「名前なんか訊いてない。お前は、お前も、僕を殺そうとしているんだな。誰も僕を助けてくれないのか、何て酷い!」
「――リダールは」
つい、タイオスは口を挟んだ。
「リダールは、助けようとしたんだ。その結果が、こんなことになってるようだがな」
彼の言うことには、いささか、矛盾がはらまれる。リダールの希望が、フェルナーに二度目の死を迫っていることになるのだ。だがリダールも、こういう形で友人が戻ると判っていた訳ではあるまい。
フェルナーが戻るという話には「フェルナーの身体」も含まれると思って当然だ。自分が「生け贄」になることを理解していたのであれば、「リダールの身体」が意味を持つと考えることはないだろう。
気の弱い少年は、自分の命で死んだ友人が戻るのであれば、それでいいと思っただけ。
(馬鹿だ)
タイオスはそう評する。
(だが、見捨てられない馬鹿だ)
もう一度、あのふんわりとつかみどころのない、弱く優しい少年の瞳をこの身体に取り戻してやりたい。
(それから)
(やっぱり一発くらいは、ぶん殴ってやらんとな)