10 剣を抜きたいと
思いがけないことにと言うのか、当然のことにと言うべきなのか、戦士と少年の行く手を阻む者は誰ひとりとしていなかった。
タイオスは警戒しながらきた道を戻ったが、屋敷のなかは死んだように静まりかえったままで、鼠一匹、彼の前を通らなかった。
正面の扉は再び開け放たれており、外に出たタイオスは呆然とした。
砕けた石段、えぐれた地面、折れた木々。それから、膨大な量の血痕。
「何が……あった」
彼は周囲を見回した。
「ルー=フィン! ジョード!」
返事はない。
「まさか、屋敷に入って、行き違いに?」
屋敷を振り返ったが、彼らが入ってきたのであれば、何かしらの物音がしたはずだ。そうとは思えなかった。
「死体が、あるでもなし。血痕も、続いてない」
戦士はうなった。
「何が、あったんだ」
起きたことをずばりと当てるのは、彼には不可能だった。考え得るのは、どちらかが酷い傷を負って、もう片方がそれを担ぐなり何なりして逃げた、というようなこと。
それだけでは説明がつけられないこともある。だが、それくらいしか考えられなかった。
(何にせよ、ふたりともここにはもういない)
(無事で……いるといいが)
タイオスは少年を振り返った。青い顔をしているのは聞かされた話のためか、おびただしい血痕のためか。
「ほら、行くぞ」
彼は手を差し出した。少年はその手を見つめ、首を振った。
「僕は姫君ではない。男に手を引かれるなど、まっぴらだ」
「は、そうかい」
リダールの口から、リダールらしくない言葉が出てくる。納得いかないが、認めざるを得ない、奇態な現実。
「しかし、気味が悪いな」
静かなままの館。静かなままの村。
「いつ、エククシアが湧いて出るのかと思ったが」
〈青竜の騎士〉は、彼の前に姿を見せない。
(それに、ヨアティアもな……)
ルー=フィンらと流血の戦闘をやらかしたのはヨアティアだろうか。タイオスは正しく推測したが、彼にはそれが正しいかどうかなど判らない。
何が起きているのかつかめぬまま、戦士は念のために警戒を怠らないようにしながら、少年を連れて山道を下るしかなかった。
「ん……?」
「どうした」
足を止めたタイオスに、少年が尋ねた。
「それがな、ここにくる前に、馬車と馬を隠したんだが」
「あれか?」
「ああ」
タイオスはうなずいた。
「何か不審な点があるのか」
少年は首をかしげる。
「ない」
戦士は答えた。
「ないから、おかしい」
ルー=フィンとジョードが逃げたのならば、馬は減っていなくてはおかしい。ジョードは馬に乗れないから、ルー=フィンに同乗するだろう。ルー=フィンが負傷をしたのならば、ジョードは馬車を使うだろう。タイオスの帰りの足を気遣って馬を残すにしたって一頭。丸ごと残っているというのは、腑に落ちなかった。
「あいつら、どうしたんだ。まじで」
タイオスは急に不安になった。
「俺は、またしても判断を誤ったか? あいつら、捕まりでもしたんじゃ」
うう、と彼はうなった。救出には行けない。少年が一緒なのだ。
「いやあ、お疲れさん」
呑気な声がした。タイオスははっとして剣に手をかける。
「俺だよ、おっさん。物騒な真似すんな」
「判ってる」
タイオスは呟いた。
「判ったから、剣を抜きたいと思ってるんだ。……ティージ」
馬車の裏から、灰色の帽子を目深にかぶった男が現れる。タイオスは警戒の視線で、それを見た。
「今度は、何だ」
「今度も、伝書鳩」
ティージは両手を羽ばたかせるようにした。
「安心しな。ルー=フィンとジョードは無事に保護し……」
「ふざけるな!」
前触れなく与えられた吉報に、戦士は喜ぶよりも怒鳴った。
「お前でも、お前の雇い主でも、人を馬鹿にするのはいい加減にしろ。何なんだ、俺の行く先々で、あれやこれやと」
「助かってるだろ?」
ティージは肩をすくめた。
「厄介を招いたのなら、俺のせいじゃなくても、謝るさ。だがそうじゃないはずだ。三度が三度とも、ね」
にやりとして男は帽子をかぶり直した。
「四度目も信じろよ」
「タイオス、それは誰だ」
じろじろと少年は、不審者を見る目つきでティージを見ていた。
「馴れ馴れしくて嫌な感じの男だな」
「そりゃないぜ、リダール坊ちゃん」
ティージは苦笑した。
「それとも、フェルナー坊ちゃんかな?」
「てめえ」
素早くタイオスは、ティージの胸ぐらを掴んだ。
「何で、そのことを。何者なんだ、てめえの主人はよ! いい加減、洗いざらい吐きやがれ!」
「『ご主人様』の許可が出れば、話すさ」
ティージはにやにやと、タイオスの手を押しやるようにした。
「乱暴な真似はやめな。俺も素人じゃないと、そう言ったろ?」
「んなこたあ、最初から判ってる」
戦士は言った。
「見た瞬間、同業かと思ったもんだ」
「へえ?」
男は片眉を上げた。
「さすがだね。やるもんだ」
「だがな」
世辞を無視して、タイオスは続けた。
「同業同士で喧嘩するのも、時には仕事よ」