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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第3章
123/247

07 危険な物言い

 残されたのは、ひとりの女だった。

 風に、血の臭いがする。

 ミヴェルは蒼白になりながら、震える自身を叱咤した。

(後処理)

(エククシア様は、後処理をと)

 騎士が彼女に何を求めたか、ミヴェルには判っていた。気を失った若い剣士と盗賊にとどめを刺せと、そういうことだ。

「ジョード」

 彼女は盗賊のもとに駆け寄った。その名を呼べば、自分の足のみならず、声まで震えていることに気づいた。

「どうしてこんな、愚かな真似を」

 このままにすれば、死ぬだろう。既に盗賊は多量の血を流している。放っておけば、大して時間もかかるまい。

「ジョード」

 震える声は、意識を朦朧とさせた男に、かすかに届いたようだった。

「ミ、ヴェル……なのか」

「ジョード」

 彼女は言葉を覚えはじめたばかりの赤子のように、ただひとつの名前を繰り返した。

「ジョード、ジョード、ジョード――」

「助け……たかっ……おれ、お前、を」

「死ぬな!」

 ミヴェルは、気づけば叫んでいた。

「死ぬな、ジョード! こんな……こんなところで、意味もなく!」

「へへ……案外、マキラーラも情け深いもんだ。惚れた女の腕のなかで、逝かせてくれる、なんざ」

 盗賊はそんなふうに言って笑った。だが彼の声は彼の思うようには言葉になっておらず、ミヴェルは苦しげな吐息だけを聞いた。

「ああ……!」

 女の頬が涙に濡れた。

「助けて、助けてくれ、誰か!」

 誰も、助けてなどくれるはずがない。

「どうか、誰か……神でも悪魔でも、何でもいい」

 それは、彼女が初めて口にした、「ソディのため」以外の祈りだった。

「ジョードが死なずに済めば、私は何でもする!」

 ぐったりとなった男を抱きしめて、女は叫んだ。

何でも(・・・)、というのはいささか危険な物言いですよ」

 突然の声に、ミヴェルは身体をびくりとさせた。

「言霊は、いつでも人の言葉に耳を傾けていますからね。私がやろうと思えば、いまの言葉であなたを一生、縛れます。まあ、やりませんがね」

「お、お前は……」

 ミヴェルは目を見開いた。

「何、落ち着いて観察すれば、もう血は出ていないことがお判りになるかと。まあ、あれです。危ないところであることは変わらないんですが」

 黒ローブ姿の男は、肩をすくめた。

「ま、魔術師」

 彼女は生唾を飲み込んだ。

「た、助けてくれるのか、ジョードを」

「血は止めました。あとは彼の生命力次第。腕も持っていきましょうか。巧くすれば、くっつきます」

 魔術師が指で招くようにすれば、斬り離されたジョードの片腕は宙に浮かび、慣れた鳥のように飛んできて、魔術師の片手に収まった。

「これも縁だ。できる限りのことはしましょう。あなたと、それから」

 彼はちらりと、離れた場所を見た。

「ルー=フィン殿のことも」

「何を……言っているんだ?」

「早くここから逃れましょう、と。結界を張りましたし、いくらかの偽装もしていますが、魔術の痕跡というのは完全には隠せない。私は、関わっていると知られるとあまりいいことがないんですよ。その辺りはあなたには関係ないことですけど、とにかく早くあなたも」

「私? 私は……」

「どうしました。ジョード殿を助けたいのでしょう。それは、騎士殿や宗主殿への裏切りだ」

 裏切り。その強い一語に、ミヴェルはびくっとした。

「そのような、つもりは」

「なくても、彼らはそう判断します。当然ですね。あなたは私と一緒にくるしかない。さあ」

 魔術師は手を差し伸べた。ミヴェルはその手を見つめ、首を振った。

「私は、行けない。どうか、ジョードを頼む」

「殺されますよ」

「――逃げれば、間違いなく裏切りだ。私は、ソディを裏切るつもりなど、ないのだ」

「じゃあこう言いましょう」

 男は肩をすくめた。

「ジョード殿が生き延びるには、あなたの力が必要です。彼はあなたを想って、ここまできたのですからね。そういう力は、強いんですよ。あなたが彼をラファランから取り戻さないと」

「だ、だが」

「ジョード殿を見捨てるか、救うか。ふたつにひとつです」

 早く、と魔術師は促した。ミヴェルは、身を切られる思いだった。

「――助けたい」

 知らず、その台詞が彼女の口から出ていた。

「決まりです」

 魔術師は指を弾いた。

「一度に三人はさすがにきついですが、ふたりは意識もないことですし、どうにかなるでしょう。私の手を取って」

「ま、待ってくれ」

 ミヴェルは制止し、魔術師は片眉を上げた。

「まだ、何かあるんですか」

「タイオスが……」

 躊躇いがちに、彼女は言った。

「ひとりの戦士が、館のなかにいる。彼らの、仲間だ」

 彼女は迷った。だが、続けた。

「た、助けるのであれば、どうか、彼も」

「タイオス殿は平気です」

 さらりと魔術師は答えた。

「〈峠〉の神の力について、私はよく知っている。いえ、そんなによくは知りませんが、タイオス殿よりも理解は深いと思いますね」

 その意味は、ミヴェルには通じなかった。戸惑う彼女の手を魔術師は半ば強引に取った。

「いいですか、呼吸を整えて。吸って、吐いて、吸って……」

 知らず、ミヴェルは言われるままにしていた。それでいいです、と魔術師が呟いた瞬間、彼女とふたりの男は、魔術師の術に覆われた。


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