06 これで終わりに
「そうは見えなかったなあ。憎きタイオスも殺れなきゃ、エククシアの命令に従っておとなしくなったり、ルー=フィンだって、殺せなかったんだしな!」
「貴様」
ヨアティアは歯ぎしりをした。
「盗賊風情が、俺を愚弄するか!」
「お前の相手は私だ、ヨアティア!」
肩から血を流し、それでも剣を放さないでいたルー=フィンは、素早く立ち上がってまた地面を蹴った。仮面の男は視線をうろつかせた。
「ええい」
彼は仮面に手をやると、それをかなぐり捨てた。
「視界が遮られる。邪魔だ」
瞬時、ルー=フィンはぎくりとした。反射的に、彼は足をとめた。
覚えのあるヨアティアの顔とは似ても似つかぬ。あごから片頬、こめかみを越えて額の辺りまでに届くのは、正視に耐えないほどの酷い傷痕。不気味にぼこぼこと盛り上がった赤黒い肌。
先に目にしていたら、ルー=フィンでさえ、これがヨアティアであると断定できなかったかもしれない。
「この顔を見たからには、生かしておかん」
「自分で勝手に見せたんじゃねえか」
ジョードが指摘した。一度、偶然にそれを目にしている彼は、驚きも少なかった。以前の顔を知らぬ、ということもある。彼にとって、仮面の男は仮面の男でしかなかった。何の感慨もない。
ぎろり、とヨアティアはジョードを睨んだ。右手が空気を薙ぎ払う。と思うと、ビュウン、と音がした。光は見えない。
見えたところで、盗賊の能力では避けようがなかった。見えなければ、なおさらだ。
ジョードは、何かが当たったと思った。気味の悪い音が、したと。
そう思ったときには、彼の右肩から先が、彼から離れてくるくると宙を舞っていた。
「え……」
血が噴き出した。それを目にしてからようやく、彼を激痛が襲った。
「わ――ああああっ」
聞く者を凍りつかせるような恐慌の悲鳴を上げて、ジョードは失われた右腕の跡を押さえながらその場にくずおれた。
「外したか」
ち、とヨアティアは舌打ちした。実際に彼が目標を誤ったのか、それとも護符の効果であったろうか。
「だが、あれはあれで充分。次は、お前」
怖ろしい顔をした男が、銀髪の若い剣士に視線を向けた。否、向けようとした。しかし、彼がルー=フィンがいると思っていたところに、いつまでも剣士はとどまっていなかった。
「ヨアティア!」
彼はヨアティアを挟んでジョードと反対方向となる位置に素早く回り込み、剣をかまえていた。
「ちいいっ」
再度、手が振られた。風刃が、ルー=フィンに向かう。ルー=フィンはとどまらず、よけもせず、その代わり、大きく跳んだ。怖ろしい魔法の刃は、彼の足の下をよぎり、大木をまっぷたつにした。
「度重なる悪行、これで終わりにしてくれる!」
「させるか!」
白い光が仮面の男の拳に宿った。跳び上がったルー=フィンに、避ける術はない。
光がヨアティアの手を離れた。それがルー=フィンの腹を撃つのと、細剣がヨアティアの肩口を捕らえたのは、ほぼ同時だった。
「うぎゃああああ!」
若者の全体重を受けて深く突き刺さった剣に、ヨアティアはこの世のものとも思われない悲鳴を上げる。
一方でルー=フィンも、光球を正面から食らって吹き飛び、先ほどよりも強く大地に叩きつけられた。彼にとって幸いなことに、非常に短い時間で作られたヨアティアの術はこれまでのものよりも弱く、彼の身体が微塵となるようなことはなかった。また、ささやかな護符もいくらかは役に立ち、術の威力を少しだが弱めていた。
だがどうあれ、それはたとえばタイオスが全力で殴るよりも強い一撃だった。頭をかばうこともできず、落ちたルー=フィンは意識が朦朧とするのを感じた。
魔術と刃を交わした三人の男たちは、誰も彼もぎりぎりの状態だった。ルー=フィンは消えゆく意識と戦い、ジョードは完全にうずくまって身動きが取れず、ヨアティアは突き刺さった剣に耐えていた。
「おのれ……よくも。よくも」
ヨアティアは剣を引き抜こうとしたが、難しかった。剣の柄には手が届かず、切れることを無視して刃を掴んでみても、力が入れられない。
「くそ、俺は、こんなところでは、死なん」
強運、それとも悪運、もしかしたら神の加護であったのか、ヨアティアは繰り返し死を免れてきた男だった。彼はよろよろとよろめきながら剣を抜こうとし、それは滑稽な舞踏のようだった。
「俺は……」
「ここでお前を失うのは、惜しい」
囁くような声が言った。
「安心するがいい、ヨアティア。お前は上達し、よくやっている。ライサイも認めた。彼がお前を救う」
「おお……」
赤黒く腫れた顔に希望の光が浮かぶのは、戯画のようであった。
「どうか、ライサイ、様……」
「ミヴェル」
〈青竜の騎士〉が呼べば、影から現れたソディの女は、青い顔を隠そうとするかのように深く頭を垂れた。
「後処理を」
「は、はい」
お任せを――と彼女が呟くと、エククシアと仮面は光となって消えた。
(待て)
ルー=フィンの制止は声にならなかった。
(まだ勝負は……終わって)
いない、と心で呟き終える前に、張りつめていた彼の意識の糸はぷつりと途絶えた。