01 北上
リゼンを離れて数日すると、彼らは以前から一緒に過ごしてきたかのように、手慣れた様子で旅をした。
あのあとタイオスは、ルー=フィンを騙して置いていこうかとも思ったが、そうすれば銀髪の若者はひとりで追いかけてくるだろうことは想像に難くなかった。
それくらいならば医者の言う通り、彼が同行して面倒を見た方がましだろう。
本当にルー=フィンが生きていたことにジョードは驚き、ジョードも同行するということにルー=フィンは驚いた。
追いつ追われつしたふたりは、最初はどうにもぎこちなかったが、互いに恨みがある訳でもない。すぐに慣れて言葉を交わすようになった。
町を出る前、タイオスはイリエードに約束の酒を買い、友人に礼を言った。またこいよ、という彼の言葉は、生きて戻ってこいとの意味だった。
伯爵から渡された資金は、潤沢だった。タイオスが小悪党であれば、迷惑料とでも考えてこのままとんずらしても割に合うくらいだ。
だが状況と彼の心はそれを許さなかった。逃亡への誘惑は常に心のどこかにあるのだが、彼はそれを繰り返し押さえつけた。もとより、ヨアティアを追うというルー=フィンを置き去りに彼ばかりが逃げる訳にもいかない。
ともあれ、金の心配は要らなかった。ましてや、ジョードの財布もあった。盗賊は複雑な顔をして、〈柳と犬〉亭の一室に残されていた彼の荷のなかに、これまでの報酬が入っていたことを告げたのだ。
タイオスはもう一度、本当に追うのかと盗賊に尋ねた。男はうなずき、何なら財布を預けるとまで言ってきた。世辞にも金持ちとは言えない人間が、それほど親しい訳でもない相手に全財産――だろう――を預けるというのは、なかなかの決意の表れだ。「女のために」というのは口先だけではなさそうだった。
北上の足には、残された幌馬車を使うことにした。と言うのも、ジョードは馬に乗れず、ルー=フィンもまだ馬を駆れる状態ではなかったからである。
馬車では疾駆は難しいし山賊にも狙われやすいが、馬で駆け続けるよりは身体が楽だという利点もある。
ルー=フィンが借りたというカル・ディアの馬は、ちょうど南へ向かうという馬商人に預けた。〈銀白〉号には馬車を引いてもらうことにして、余った一頭は売った。
あの朝はそんなふうに忙しかったが、その後の旅路は単調だった。
ジョードとルー=フィンはよく話をしているようで、タイオスは何だか安心した。以前のルー=フィンには人を寄せ付けない雰囲気があったものである。ジョードが長いこと黙っていられない気質だというのも幸いしたかもしれないが、タイオスが御者役をしている間、背後で冷たい沈黙が下りているというようなことはなかった。
「カヌハ。満月の夜、か」
条件はふたつだ。
「あと……八日か」
タイオスは地図を思い返した。急げば間に合いそうだ。
次の満月の晩までに救い出せなければ、リダール少年は殺される。嫌な時間制限だが、エククシアの言うことが本当であれば、それまでは生きている訳である。そこに望みを託すしかなかった。
リダール少年が書いたという手紙もジョードから受け取った。
馬鹿げた内容だ。盗賊が考えたように、戦士も考えた。自分の意志で行くのだから、もう探さないでほしいなどと。それでキルヴンが、タイオスが、納得するとでも思ったのか。
タイオスの報酬にまで気を遣っているのが、むしろ腹立たしかった。
ごめんなさいと綴られた文字を見ると、嫌なものが連想されて、腹が立った。
(自殺者の遺書でも、あるまいに)
死にたいと言うのなら、放っておいてやってもいい。まだ若いのだからという気持ちも湧くが、本人に生きる気力がないのならどうしようもないと、戦士の感性ではそう思う。だが、そうではないのだろう。友人を取り戻したいだけだ。
いや、仮にリダールが自殺に出向いたのだとしても、依頼がある以上は少年を生きたまま連れ戻すつもりでいる。これは相手が誰であっても同じだ。
(リダール)
(無事でいろよ)
戦士が願うのは、そればかりだった。
「満月云々って、その辺の話は、何となく俺も聞いた」
ジョードが声を出した。
「だがはっきり理解できたとは、とてもじゃないが」
言えやしないと盗賊はひらひらと手を振った。
「生け贄など、何と忌まわしいことだ」
ルー=フィンはしかめ面で魔除けの仕草をした。
「死者の――生き返るはずはないのに」
幼い頃に両親を失い、父とも思った恩人をタイオスに殺され、愛した娘もまたヨアティアの凶刃に奪われた若者の言葉は、あまりに重かった。責任の一端、それとも二端くらいは担うタイオスとしては、何も言えないところだ。
「でもあれも変なガキだぜ。自分が殺されるってのによ、のほほんとしてた」
「リダールが何を考えてるのか、俺にも判らん」
タイオスはうなった。
「だが、殺させる訳にもいかんだろう」
「若い命をあたら散らすな」
御者席で、ルー=フィンが呟いた。
「何?」
「それが信条か?」
「俺の? 馬鹿野郎、俺は神官じゃないんだよ」
銀髪の剣士を自死から引き戻し、気弱な少年を生け贄から救おうとする戦士は、そう見えるのだろうか。タイオスは肩をすくめた。
「ただ、知った顔に死なれちゃ、憎い奴でもない限り嬉しくはないわな。お前んときはハルのためでもあったし、いまは」
いまは何だろうか、とタイオスは考えた。もちろん依頼のため。だがキルヴン伯爵の親心のため、というのも皆無ではない。忠実な使用人ハシンも哀しませたくはないと思う。
「……やっぱり、若い奴が死ぬってのは、爺が死ぬよりも痛いわな。特に、戦士でも何でもない、お人好しの坊ちゃんであればなおさらだ」
「親が死んで、子が死ぬものだ、とね」
ジョードが言った。
「俺ぁ父親のことは知らないが、母ちゃんは優しかったし、好きだったよ。盗みに手ぇ染めたのも、俺の飯のために母ちゃんが苦労するのを見てるのがつらかったからさ」
盗賊はへへっと笑った。
「でもなあ、母ちゃん病気になっちまって。二度目の盗みは、母ちゃんの薬だった。医者にかかる金も、買う金もなかったからさ。母ちゃん、複雑な顔してたっけ。でも俺ぁ心配されてるなんて思わなくてよ、もっかい、馬鹿みたいに同じところから同じものを盗もうとして、見つかって袋だたき。ほうほうの体で逃げたら、母ちゃんは死んでた」
彼は肩をすくめた。
「でも、それでよかったのかもな。可愛い息子が、それから盗賊の道に進んだなんて、知らないままでよ」
「お前も苦労したんだな」
「誰だってするさ」
特別なことじゃない、と盗賊は気軽に言った。
「タイオスは?」
「ん?」
「あんたの両親は? 健在なのか?」
ルー=フィンの両親について既に耳にしていたジョードは、戦士に尋ねてきた。
「死んだよ。とっくにな。やっぱり医者にかかる金がなくてねえ。貧乏人はつらいな」
彼は軽く笑った。
「そ、か」
「生きてたら、お袋も反対したかねえ。戦士なんて血生臭い仕事はやめなさい、なんてな」
もしそんなことを言われてそれを聞いていたら、彼は故郷から出ることなく、畑を耕して生きていただろうか。気のいい村娘とでも結婚して、子供を作って、早ければ、そろそろ孫も。
(……想像できん)