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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第2章
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11 私にはない資質

「こうした場所は、カヌハにはないな」

「はい……書で読んだり、旅人から聞いたりはしておりましたが、初めて訪れたのはアル・フェイルにてでございました」

 カヌハにも商店や酒場くらいあるが、地味なものだ。ましてや〈しるしある者〉であれば、必要なものはたいてい支給される。ミヴェルはごく普通の買い物すら、ほとんどしたことがなかった。

 このように、女子供が着飾って――それほど派手な服装をしている訳ではないのだが、ミヴェルの目には相当きらびやかに見えた――昼間の、労働に向く時間帯に飲み食いしながら笑い、喋って時間を過ごす場所など、想像することも難しかった。

「どう思う」

「は……?」

「こうした場所で笑っている女たちのことを」

「どう、と言われましても……」

 ミヴェルは困った顔をした。

「――幸せそうで、あるなと」

「それだけか?」

「も、申し訳ありません」

 判らないが、少なくともエククシアの望む答えではなかったようだ。ミヴェルは頭を下げた。

「それだ」

「は?」

「お前は、私の前で固すぎる。私だけではない、ムタやアトラフらの前でも同じだな」

「な、何か失礼がありましたでしょうか」

「敬意を抱くのはかまわない。ソディの者である以上、ライサイはもとより、私や神女、次期長候補に対して丁重になるのは当然だ」

「はい、みなさまに尊敬の念を抱いております」

 ほっとしてミヴェルが言ったのは、エククシアの挙げた名前が本当に尊敬できる人物だけだったからだ。

「他者への敬意を持つことと、自らの価値を貶めることは別だ」

「は……?」

 ミヴェルは馬鹿みたいに口を開けていた。

「お前は女として、自らの価値をより高めることができる」

「はい……?」

「たとえば、あれだ」

 エククシアの視線が余所を向いた。ミヴェルはその先を追う。二十歳前後の女がひとり、やや年上の男と向かい合って座っていた。

「しばらく、あの女を見ていろ」

 騎士を前にしながらどこかほかを見ていなければならないというのは彼女にとって残念なことだった。だがそう言われたからには、従うしかない。

「――どう思った」

 いたたまれない数(ティム)の沈黙のあと、先ほどと同じような質問がやってきた。ミヴェルは困惑しきりだった。

「何と申しますか……ずいぶんと、動きながら喋るのだな、と。それから、よく笑う。よほど面白い話でもしているのでしょうか」

「興奮気味だ。初めての逢い引き(ラウン)ででもあるものか、男の気を惹こうと必死」

「……はあ」

「けっこう。では向こうだ」

「は、はい」

 次なる標的はふたりの女で、よく似た色合いの服や、似た印象の顔立ちをしていた。と言って姉妹と言えるほど似てはおらず、ミヴェルは仲のよい友人同士であると見た。エククシアは、意味もなく競い合って相手の上に立たんとする虚栄心があると言った。

 そうして幾組かの客を観察させられたが、ミヴェルの放つ矢は、エククシアの用意する的をことごとく外したようだった。彼女は身の縮まる思いだった。

「申し訳、ありません」

「謝ることではない」

 騎士は手を振った。

「どれもこれも、お前に足りないものだと判るか」

「は……ええ、私にはない資質ばかりのようです」

「ないのではない。育てていないだけ」

 エククシアの視線が、ミヴェルに戻った。左右色の違う瞳に見つめられ、彼女はどぎまぎする。

「仮面がお前以外の実行者を用意させたことについては、どう考えている?」

 それからやってきたのは、これまでと全く異なるように思える質問だった。

「女である故の、腕力のなさについては、どうしようもないことです。仮面殿の危惧はもっともであるかと」

「所詮、女ではないかと、あやつは私にも言った」

 エククシアはわずかに口の端を上げた。

(所詮――)

(役立たずの)

 ミヴェルは消え入りそうに小さくなった。

「だが女であるからこそ、できることもある」

「え……?」

 彼女は顔を上げた。

「ミヴェル。お前がこれからも私のために働きたいのであれば、お前に学んでもらうことがある」

「何でもいたします」

 ミヴェルは即答した。

「どのようなことでしょう」

「アル・フェイル行で考えたことだが、時間がなかった。カヌハではムタがうるさいからな」

「神女様が、エククシア様に何か……?」

 不安を覚えて彼女は問うた。

「知らぬことを知れ」

 彼女の問いかけを無視して、エククシアは言った。

「『館』の外で、カヌハの外で、世の女たちが男を惹きつける手段を学べ。娼館の女たちを見ろ。あれらは自分を買わせることだけを考えているが、学ぶのはそこではない。如何にして自身を魅せ、男を惹きつけるか」

 ミヴェルは目をしばたたいて、話を聞いていた。騎士が何を言っているのか、いや、言っていることの意味は判るのだが、彼女に何を求めているのか、生憎なことに見当がつかなかったのだ。

「――いずれまた、話をしよう」

 手応えのなさを感じてか、はたまたほかの理由でもってか、エククシアは話をやめた。

「では別件だ」

「は、はい」

「あちらを」

 またしても男は、どこかを見ろと言った。指示された通りにミヴェルはそっとその先を見たが、これまでと違って、そこにいたのは女性ではなかった。

「そこから見えるだろう。右前方に、あまりにも場違いな戦士がいること」

「はい」

 言われた方角に目をやれば、確かに周辺と雰囲気の違いすぎる人物がひとりいた。身ぎれいにした女や若者ばかりの店内で、汚れた胸当て、腰の長剣、後ろ姿で顔はよく判らないが、どんなに若く見積もっても二十代ということはなさそうだ。

 エククシアからは見えない位置だ。いったいいつの間にその存在に気づいたのだろう、とミヴェルは驚いた。

「あの男のことを見ておけ」

 騎士はそう告げた。

「お前を邪魔しかねない戦士だ。アル・フェイルであったように」

「アル・フェイルで」

 思い出すとどきりとした。彼女をただの若い女と考え、あまつさえ同情さえ見せた、年嵩の戦士。

(四十を越したほどの戦士)

 どこか似通う感じがするのは、年齢と職種のためであろうか。

「あの戦士が、何故……?」

「向かいにいるのが、リダール・キルヴン。次の標的だ」

「ではもしや、彼のもうひとりの護衛ですか」

そうだ(アレイス)。だが」

 エククシアは口の端を上げた。笑みのように見えた。

「それを気にかける必要はない」

 当のエククシアがリダールの護衛についていることになっている。その辺りの理由はミヴェルが知らぬことだったが、何らかの計画があるものとだけ考え、気にすることはしなかった。

「ただ、この件にはあの戦士がいるのだということを記憶しておけ。お前が剣を戦わすことはなくとも、関わることになる」

「ですが、エククシア様の敵ではありますまい」

 世辞や追従ではない。もちろん本心からの言葉だ。

「私の相手は、あの戦士ではない」

 騎士の答えは、ミヴェルには判らないことが多すぎた。

「用件は終わりだ。娼館へ戻れ」


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