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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第2章
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10 やってみたい

 ジョードがどの程度信頼に値するか確かめる、などと言ったのは仮面の男だった。

 いくつか仕事をさせ、その様子で雇うかどうか判断すると言うのだ。

 ミヴェルはそれでかまわなかった。たまたま見かけた幾人かのひとりだというだけで、厳選した訳でもない。彼女の判断が危ぶまれているなどと反感を持つことはなかった。

 ジョード自身はいくらか不満を言ったが、仮面の男には気圧されたと見えて、苦情の相手はミヴェルだった。彼女は、雇用の前に能力を確認するのは別に普通のことだろうと諭した。

「だいたい何なんだ、あの仮面は」

 納得いかないように、ぶつぶつとジョードは言った。

「あの奥にゃ、ふた目と見られん醜い顔でもあるってか」

「私は知らない」

 ミヴェルは本当のことを言った。

「ただ、顔を見せられぬ事情があると聞いている」

「そりゃそうだ」

 細身の盗賊は鼻を鳴らした。

「事情があるから、隠すんだろうよ。あんなもんを着けるのが趣味だなんて奴は、まあ、世界は広いからひとりかふたりくらいはいるかもしれんが、普通はいない」

「それは冗談なのか?」

 ミヴェルは片眉を上げた。ジョードは肩をすくめた。

「冗談と言えば冗談だが、本気と言えば本気だ」

「……お前の言うことはよく判らない」

「そりゃ俺の台詞」

「何?」

 彼女は心外だと感じた。

「私の言うことの、何が判らない」

「それが判らないんじゃ話にならんよ」

 ジョードは話を打ち切ろうと手を振って、懐から何かを取り出すと口にくわえた。

「……何だ、それは」

「何って、瓏草(カァジ)

 紙巻きの一本を口先で揺らしながら、ジョードは答えた。

「あんたも()る?」

「聞いたことはあったが、見たのは初めてだ」

 ミヴェルが言えば、ジョードはぶっと吹き出した。瓏草が飛んで、床に落ちる。

「どんな暮らしを送ればそうなるんだ」

 もったいない、とそれを拾い上げながらジョードは言った。

「どうもこうも……私の周りでは、それを……やると言うのか? やる者はいなかったから」

「飲むと言ったり吸うと言ったりするがな。ふむ」

 ジョードは戸惑ったようだった。

「……()る?」

 もう一度、ジョードは問うた。

「やるとどうなる?」

 ミヴェルは問い返した。

「いや、どうもこうも」

 盗賊は苦笑いを浮かべた。

「咳き込む」

「は?」

「最初はな。煙を吸う訳だから」

「意味が判らない」

「〈千の伝聞より一度の目撃〉だな」

 ジョードは燐寸を取り出して、煙草に火を付けた。ミヴェルは目をしばたたく。男は笑った。

「こんなことで驚くなんて、面白いなあ、あんた」

「火を付けて煙を出すのか。香を焚くのに似ているようだな」

 正直な感想を述べれば、ますますジョードは笑った。

「興味があるなら試しに……と、やめとくか」

 もう一本を差し出しかけた彼は、しかしすぐに引っ込めた。

「女は赤んぼ、産むからな。聞きかじりだが、煙はあんまり、よくないらしい」

「よくない、とは」

「ん? よく知らん」

 無責任に盗賊は言い放った。

「俺は赤んぼなんか産まないからな」

「――私もだ」

「何?」

「いや」

 何でもないとミヴェルは呟いた。

「くれ」

「あ?」

「カァジだ」

「あー、よくないって言ってんのに、試すのか?」

「子供を産むのによくないと言われることをやってみたい」

「……意味が判らんが」

 今度はジョードがそう言った。

「ま、試したいならやるよ。ほら」

 細い紙巻きを受け取ったミヴェルは、おそるおそるといった体で、ゆっくりとジョードを真似た。

 初めての煙はとても苦く、案の定、ミヴェルは苦しそうに咳込んだ。

「大丈夫か? 無理はしなくても……お、おい」

 ジョードは焦った顔をした。

「大丈夫だ」

 ミヴェルは手を振った。

「これは、煙の、せいだ」

 涙が浮かんだのは煙草のためだと、そう言った。


 ジョードは試験を何なくこなした。

 もっとも、そう大げさなものでもない。伝言を正確に伝えるだとか、約束の時刻に約束の場所にいるだとか、そうした基本的なことだ。

 あとは、貴族の子女の動向を観察するという仕事も与えた。隠密行動の技能を見るのだ、と言っておいた。

 それらをさらう、という計画については、まだ話していなかった。使えない男と判れば無論、計画を知られている訳にいかないからだ。

 そしていざ貴族の子女をさらって金をゆする――などという話を聞いたとき、さすがにジョードは怯んだ。

「お、おいおい。まじかよ」

「断る、か?」

 そうであれば残念だとミヴェルは思った。仮面かエククシアか、どちらにせよ、ジョードを殺すだろう。

「あー、いや、まだ死にたかねえな」

 男は息を吐いた。

「ここで抜けますと言って、にこにこ見送ってくれるたあ、思わんよ」

「では」

「やります、やりましょ、何でもね」

 盗賊はひらひらと手を振った。

「報酬は魅力だし……あんたも」

「私が、何だ」

「いいや」

 にやにやと盗賊は笑った。

「まあ、こうなったら何でもやるとも。その代わり、頼むからな」

「報酬か?」

 ミヴェルは確認するように言った。

「そのことなら、無論だ。危険に挑む勇気は買う。失敗しなければということになるが」

「失敗して金もらおうとは思わん。ただ、あれだ」

「どれだ」

「成功失敗如何に関わらず。ことが済んだら、金で雇った盗賊なんぞは始末……なんてのは、やめてくれよ、まじで」

 もしもミヴェルが――と言うよりもエククシアがそうと定めていれば、ジョードの発言は彼女を困らせただろう。だが幸いにして、そうした指示はなかった。彼女はただ、実行に関わればジョードも町憲兵隊に密告などできないし、いちいち殺害する理由もないだろうと考えた。

「そんなつもりであれば、もっと法外な報酬で気を引く」

 彼女はそうとだけ言った。払うつもりがなければ、金貨何百枚と言ったっていい。あまりに現実味がなくても信頼されないだろうが。

「一回につき、経費別で五百ラルだって、充分破格だと思うがね。まあ、犯罪だしな」

 気軽な調子でジョードは言った。

「なあ、頼むから」

「お前が有り得ないほどのへまをしなければ、お前の殺害などは考えない。これでいいか」

「有り得ないほどのへまをしたら、処刑?」

「それくらいの緊張感はあった方がいいだろう」

「緊張感、ねえ」

 ほしくないなあと盗賊は呟いた。

 それからしばらく、計画は順調に続いた。普段、置き引きやかっぱらいを繰り返しているジョードは、何気ない様子で他人に近寄り、隙をうかがうことに慣れていた。人前で、ミヴェルがはらはらするくらい標的に近寄っては、「あのお嬢さんは明日もおでかけだとさ」などと話を小耳に挟んできた。

 あとを尾ける手管も悪くなく、むしろミヴェルが教わった。ジョードはカァジを教えたのと同じように、「覚えて得する訳じゃないが」などと言いながら犯罪のコツについて話した。

「――楽しそうにしているな、ミヴェル」

「エククシア様」

 不意に訪れた〈青竜の騎士〉にミヴェルは飛び上がらんばかりとなり、椅子から立ち上がると深く頭を下げた。

「順調だな」

「は、はい、努めております」

 それは数件の誘拐と金の授受を無事に終えたあとのことだった。貴族たちが警戒してきたので、少し様子を見ようと彼女らがおとなしくしていた間だ。

「お前はよくやっている」

「エククシア様……」

 全身がかあっと熱くなった。騎士が認めるようなことを口にしたのは初めてだった。繰り返された夜の間にも、〈月岩の子〉からはただの一度も、余所では春女ですら耳にする優しく甘い言葉を聞かなかった。

 女としても、ソディとしても、〈しるしある者〉としても、何も。

「光栄に……光栄にございます!」

「顔を上げよ」

「は……」

「こい」

 不意にエククシアは言った。

「はっ」

 ミヴェルはもう一度、了承の意味で頭を下げた。

 どこへとも何をしにとも訊かなかった。必要のないことだ。

 たとえエククシアが突然剣を抜いて、この場で死ねと言ったとしても、彼女は理由も聞かずに従うだろう。その覚悟でいた。

 もちろんと言おうか、騎士が彼女に死を迫ることはなかった。

 その代わり、ミヴェルはそうされるよりも戸惑うことになった。

「あの……?」

 それはずいぶんと明るい店だった。蝋燭などは灯していなかったが、採光と配色に気を使っていると見えて、カヌハの塗料を塗ったかのようにまばゆかった。

「ここは……」

「ただの、食事処だ」

 小ぎれいなお仕着せをきた若い男女の給仕たち。客層も若い女性が多く、みんな楽しそうに笑っている。

(これは……何だろう)

 息の詰まる感じがあった。

(何だか、とてつもない遠くへやってきたような気がする)

 彼女は、友人と語ったり、笑い合うような機会のない少女時代を過ごしてきた。

 〈しるしある者〉として隔離された生活を送り、憧れのとは言え、定められたひとりの男に愛情なく抱かれ続ける思春期を送った。

(あの娘たちは、何が楽しくて、あんなに笑っているのだろう?)

(いったい……どんな暮らしを)

「ミヴェル」

「は、はいっ」

 女ははっとなった。

「そこへ」

 示されたのはひとつの席だった。

「あ、あの」

 自分が先に腰を下ろすなど考えられず、ミヴェルは立ち尽くした。エククシアは彼女の様子に気付くのか気付かないのか、彼女を待つことなく座り、ほっとして女も倣った。


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