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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第2章
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05 脱げよ

 そうして少女は、幼き日から憧れだった男に、身体を任せた。

 破瓜の瞬間は想像していたよりも痛みを覚えたが、恐怖はとうになかった。愛しい男の腕に抱かれる喜び。彼女は十五を前にして、それを知った。

 騎士の方では、彼女を愛してはいない。「しるしある女」以上には考えていない。それはちっともつらくなかった。当然のことだからだ。

 はじめは、繰り返し抱かれるのかと思った。少なくとも、月が変わるたびにと。

 だがそうではなかった。ミヴェルにだけムタが話した。次代の〈月岩の子〉が種づけられるときは決まっていて、機会は一年に数回だけなのだと。

 いささか、拍子抜けもした。

 しかしその事実は却って、ミヴェルの心をエククシアに傾けさせた。欲望に任せて女を抱くのではない、崇高な騎士と。

 そうして、年に数回だけ、少女は男に抱かれた。やがて少女は娘になり、娘は女になっていった。

 だが、彼女の腹に子は宿らなかった。人々もしばらくは寛容にそれを見ていたが、次第にミヴェルへの視線は厳しいものになっていった。

 通常であれば、女が孕まないのは何も女のせいだけではないとされる。男の方に種がないかもしれない。

 だがそうではなかった。ミヴェルの前にその役割をしていた女が孕んだことはあるからだ。

 しかし子は生まれなかった。その女は、耐えられなかった。〈青竜の騎士〉の子の力に。

 女は、腹で子を育て終えるよりずっと前に狂死した。

 それは、ミヴェルも聞かされていた。だからと言って、彼女が怖れることはなかった。彼女はエククシアを崇拝し、子を産むことで死ぬようなことになってもかまわないと考えていた。

「――お前には本当に、しるしがあるのか?」

 それは、彼女が二十歳のときだった。

 「騎士の女」である以外、相変わらず何の取り柄もないままのミヴェル。エククシアの子を産むことでしか役に立てないのに、それすら成せていない。

 そんなミヴェルにに、ついに苛立ちの声が挙がった。

「五歳の子供の方が余程、お前より役に立っている」

「も、申し訳……ありません」

 年上の男たちに囲まれた彼女は、顔を青くして頭を下げた。

「ソディのためになり、ライサイ様のためになるよう、日々努力をしています」

 一族と宗主のために。それは彼ら一族の決まり文句のようなものだった。

 だからこそミヴェルは心からそうと口にしたのだが、男たちなそれは誠意ある言葉と聞こえなかった。

「こいつ」

「しるしがある以上は役立たずでも追い出されないとたかをくくっているんじゃないか」

「そんなことは」

「黙れ、雌猫」

 ひとりの男が声を張り上げた。銀色の鱗が、左の首筋で鈍く光っている。

「ア、アトラフ殿」」

 ミヴェルはびくりとする。

 二十歳を少し回ったばかりのアトラフは、彼らの間でも優秀であり、ソディの長の継承者候補としての呼び声も高かった。

 そのアトラフが糾弾に参加しているという事実は彼女を深く打ちのめした。

 やはり自分には、〈しるしある者〉の資格などないのだ。こんな――ちっぽけなしるし。

(私のこれは、本当はライサイ様の血脈の現れではなく、ただのあざ(・・)なんじゃないだろうか)

 それは彼女が、自分の才能のなさを最初に感じたときからまとわりつく疑念だった。

(だから、私の腹にはエククシア様のお子が宿らないのでは)

 いまではその疑念も加わっている。

 と言っても、彼女のしるしがもしも何かの間違いであれば、宗主やエククシアは気づくはずだ。彼らがミヴェルを〈しるしある者〉として扱っている以上、彼女はそうした存在であるはずだった。そのことは彼女自身、判っていた。ただ不安なだけだ。

 気の強い女であれば、それを反論のとば口にしただろう。ライサイ様やエククシア様のご判断を疑うのか、などと言って。

 しかし生憎、彼女に刻みつけられていたのは、自分より上の相手に対する絶対的な恭順だった。ただのソディの民には普通に接する彼女だが、〈しるしある者〉たちのなかではいちばんの下っ端であるという固定観念に縛られていた。

「エククシア様に媚びを売り、それだけで生かされている役立たず。それがお前だ、ミヴェル」

「私は、媚びなど!」

「違うと言うのか。片腹痛い」

 アトラフは唇を歪めた。

「思うんだけどよ、アトラフ」

 違う男が声を出した。

「やっぱりこいつには、しるしなんかないんじゃないか。だから役立たずで、妊娠すらできないのさ」

 鱗の生えた右腕を突き出して、大男は鼻を鳴らした。

「――ある!」

 ミヴェルはこれには強く声を出した。

「私には、しるしが、ある」

「どこに」

「ここだ」

 彼女は自身の右肩を叩いた。

「小さなものだが、本当に、ある」

 ただのあざかもしれない。その疑いは、彼女の内にあった。だが、それは事実ではない。どんなに小さくとも彼女にあるものは選ばれた者のしるし。そのこともまた判っていた。

 不安は抱く。同時に、そこを指摘されることほど、痛いこともないのだ。

「見せてみろよ」

 男は鼻で笑った。

「――脱ぎな」

「何を」

「そりゃいい考えだ、ゴセア」

 ほかの男が声を上げた。

「この目で見れば、誰も疑わなくなるさ」

「そうだそうだ」

「脱げよ、雌猫」

 男たちの視線は、いやらしいものになった。〈しるしある者〉と言っても、人間だ。にやにやと笑いながら、彼女の身体を舐めるように見はじめた。

「それで……満足するのか」

「するとも」

 ゴセアが言った。

「そうだろう、アトラフ?」

「――そうだな」

 アトラフだけは笑わず、ただうなずいた。それにミヴェルは、少しだけ安堵した。本当に、肩だけ見せれば、彼らは納得するだろうとそう思ったのだ。

 彼女は胸元の留め具をふたつばかり外し、右肩をあらわにした。

「ほら、見るといい。これだ」

「ああ?」

 ゴセアがぐいっと彼女を引き寄せた。

「見えねえなあ」

「何」

「まさか、こんなちっぽけなものがしるしじゃあるまい?」

「くっ……」

 右腕全体が鱗で覆われているゴセアに言われるのは、仕方のないことであった。だが、悔しい。

「ある、と言い切ったよな。まだ違うところにあるんじゃないか?」

「何だと」

「俺は脱げと言ったんだぜ、ミヴェル。見せてみろよ、本当のしるしを」

「こ、これだ。私のしるしは……確かに小さいが……」

「ほかにあるんだろう? そうでなけりゃ、おかしいぜ、なあみんな」

「おうよ」

「脱げよ、早く」


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