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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第2章
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04 重要なお役目

 やがて彼女は「やり方」を教わって知識を得たが、まだ早すぎるというので、すぐに騎士としとねを共にすることはなかった。

 これは何も、倫理的に問題があるというのではない。まだ幼い身体が子を宿しても腹の中できちんと育たないかもしれないという危惧のためだった。

 ミヴェルはそれから二年、女として、やがて母になる者としての教育を受け、これまでになく重要人物として接せられることになる。

 そこでそれを鼻にかけるような性格であれば、気苦労も少なかっただろう。

 生憎と少女は、「しるしある」「若い娘」だというだけで厚遇を受けることが心苦しくて仕方がなかった。実際のところ、まだ何の役にも立っていなかったのだ。

 しかし、つらくはなかった。

 男と女の話は、何も知らなかった少女にはあまりに衝撃的で怖ろしくさえ思えたが、人は誰でもそうやって愛し合い、子供を作るのだと諭されて、恐怖は次第に消えていった。

 では自分もそうやって生まれてきたのだということが少女の脳裏をかすめたが、両親がどうしているのかなどと考えてみることはなかった。

 彼女にとっては神女ムタが母であり、父はソディの長オートだった。宗主は神のごとくあるからして、父と考えるのは不敬だった。〈しるしある者〉たちはみな、そのように考えていた。

 それに、実の両親について思うよりも、少女はほかに想うことがあった。

 〈青竜の騎士〉エククシア。

 単純にもと言おうか当然にもと言おうか、ミヴェルは少しずつ、しかし確実に、騎士への恋心を育てていったのである。

 彼に抱かれて子を産むということは、結婚をすることとは違う。〈青竜の騎士〉は結婚などしない。だがミヴェルの想いは、親に定められた婚約者に反発することなく淡い思いを育んでいくことに似ていたと言える。

 憧れの騎士に抱かれることを想像すると、それだけで顔が赤くなり、何も手につかなくなった。そこだけを取れば、それはソディ一族も何もない、世界中のどこにでもいる思春期の少女と同じだった。

 一方でエククシアの方は、特にミヴェルに対してほかと違う態度を取るということもなかった。彼女が成長をして彼の子を宿す準備をしていることは知っていたが、彼女が最初の娘という訳でもない。少し前まで、違う女がその役割を果たしていた。

 しかし、その女は死んだ。

 生憎としるしある女は少なく、適切な年代の娘がいなかった。そこで次はミヴェルに、という話になっていたのである。

 もっとも、〈青竜の騎士〉に憧れる娘は多い。子を成すことはできずとも、せめてひと晩でもと積極的に寄ってくる娘もいたが、彼は決して、定められた〈しるしある者〉以外を抱かなかった。

 騎士の名に相応しい禁欲だと、人々は噂した。

 しかし、それだけではなかった。彼の欲するものは、もっとほかにあった。

「――エククシア様」

 ミヴェルが成人たる十五歳を迎える数日前のことだった。

 染め物の監督を終えて「館」に帰った少女は、ソディ一族のための「神秘」を手に入れて帰ってきたと噂されるエククシアと行き会った。

「お帰りないませ。ご活躍、拝聴いたしました」

 丁重な礼をしながら、頬が熱くなるのを覚えた。

 彼女が成人を迎えて最初の月のもののあとから、少女は騎士に「仕える」ことになっていた。

 もうすぐなのだ――と思うと、いつもに増して鼓動が激しくなった。

(恥ずかしい)

(エククシア様のことが、まっすぐ見られない)

 恭順を示すようにうつむいているが、本当の理由は、とても騎士の顔を直視できないためであった。

「ミヴェル」

 声がかかった。囁くように深く、不思議と心の奥まで届くかのような、エククシアの声が。

 少女の心臓はどきどきと音を立て、外に聞こえてしまうのではないかと思った。

 だが、今度こそ絶対にエククシアに聞こえたと確信しそうになるほど心臓が跳ね上がったのは、彼の手が彼女のあごにかかって、上を向かされた瞬間だった。

「私を避けているか?」

「い、いえ、そのようなことは、決して」

「では、何だ。お前の波は私が近づくたびに乱れるが、今日はとみに酷い」

「そ、それは」

 ミヴェルは口ごもった。

「あの……申し訳ありません、妙に意識をしてしまって」

「ライサイの定めた、私に対する役割のことか」

「はい……」

 正直に彼女はうなずいた。

「重要なお役目であると判っております。ただ……その」

 彼女は顔を上向かされたまま、視線だけをどうにか下方に逸らした。

「初めてな、もので」

「成程」

 エククシアは手を放した。ほっとするもつかの間、騎士の手は彼女の手首を掴んだ。

「エ、エククシア様?」

「処女である故の不安か。ならばそれを解消してやろう」

「え……」

「何も不安に思うことなど無い」

「え、い、いまですか!?」

 騎士がそう言っているのが判った。

「用事があるのか」

「いえ、用事は、何も……」

「では何が問題だ」

「来月のことと、定められております」

「決めたのはムタだろう。ライサイではないな」

 〈青竜の騎士〉は宗主に次ぐ決定権を持つ。ライサイの意志にさえ反しなければ、エククシアはカヌハで何をしてもいい身分だった。

「は、はい、仰る通りです。ですが」

「何だ」

「準備が」

「何の準備が要る」

「こ、心の」

 消え入りそうな声でミヴェルは言った。エククシアは少し笑った。少女はどきりとする。

(いま……)

(お笑いになった)

 エククシアは決して、にこにこなどしない。いつも超然とした表情で、誰もが大笑いするような可笑しい出来事の前でも、かすかに口の端を上げることさえしない。

 そのエククシアが、笑った。

 ほんの少しではあったけれど、その笑みは少女の心に少女らしいときめきを湧き上がらせた。

「二年あって、準備が足りなかったと?」

「あ……」

 反論の余地もない。もとより、〈青竜の騎士〉に反論するなど!

「一日でも先延ばしにしたいほど嫌だと言うのであれば、考慮してもよいが」

「と、とんでもありません!」

 ミヴェルは叫んだ。

「私、ずっと待って……」

 本当の心が、口をついて出た。

「あ……」

 これ以上ないほど顔を赤くして、ミヴェルは空いている手で口を押さえた。騎士は片眉を上げた。

「では、問題はないな」

「はい……」

 指の先まで鼓動をしているかのような激しい動悸に襲われながら、ミヴェルはこくりとうなずいた。


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