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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第2章
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03 不足しているもの

 そうして時は流れた。

 月は満ちて欠け、欠けては満ちた。

 最初にその話を聞かされたのは、ミヴェルが十三歳のときだった。

「ミヴェル」

 細腕に荷物を抱えて歩いていると――〈しるしある者〉の仕事ではないが、彼女には雑用しかできなかった――女性の声がした。

「神女様」

 ミヴェルは膝を折って敬意を示した。

 カヌハの村には八大神殿などなく、神界七大神の教会もなかった。だが〈館〉には神女と呼ばれる老婦人がいた。彼女は〈しるしある者〉の女長老であり、しるしのない者たちはもちろん、ある者たちからも尊敬を受けていた。

「どうですか、学びごとの方は」

「相変わらず、です」

 ミヴェルは頬が赤くなるのを感じながら答えた。

「どの先生も根気よく教えてくださいますので、全く理解できないことはありませんが……先生から問題を出されると、自分が何も解っていないのだと知れるばかり」

「そのように気を落とすことはありませんよ」

 本物の神女のように、老婦人ムタは優しく言った。

「解らないと知るのもまた、学ぶことです。あなたは昨年より、先月より、昨日より、確実に立派になっています」

「ほ、本当ですか」

 ミヴェルは視線を上げ、期待に満ちた顔を見せた。

「ええ、本当ですとも」

 神女は穏やかに笑ってうなずいた。

「あなたは日々、成長をしています、ミヴェル。しるしある娘」

「ああ……!」

 長らく耳にしなかった、それは少女を認める言葉だった。

「有難うございます、神女様!」

 彼女は感謝と敬愛を表す仕草をしようとしたが、両手がふさがっていては思うようにいかなかった。神女は優しく笑った。

「それらを置いて」

「え?」

「ちょうどよかった。あなたに話があるのです」

「わ、私にですか」

 ミヴェルは驚いた。人々が神女に話をしに行き、悩みを聞いてもらうことは何も珍しくないが、逆さまとは。

「ええ。祈りの間にいらっしゃい」

「は、はい」

 彼女はうなずいた。

「これを運んだらすぐに――」

「ミヴェル」

 老婦人は優しい笑みを浮かべながら、有無を言わせぬ口調で続けた。

「それを置いて。いますぐにです」

 彼らの暮らす〈白輝の館〉は、ただ「館」とだけ呼ばれた。「館」と言えそうな唯一の建物であったから、それだけで通じるのだとも言えた。

 もっとも、余所からくる者は、神殿のようだと言った。

 カヌハの特産である光る塗料〈ライトリ〉が要所要所に使われた白い外壁は、日の光にも月の光にも美しく輝き、荘厳な雰囲気を漂わせた。

 それはソディの誇りでありながら、同時に、余所への誇示でもあった。

 簡潔に言うならば、特産物の宣伝――である。

 ただの旅人も目の早い商人も、あれはいったい何だろうと思う。旅人は話を仕入れてほかに話を広め、商人は少し売ってくれないかと持ちかけてくる。

 塗料そのものを売ることは滅多にしない。売るとしても少量で、法外なほど高値をつける。それはソディの秘技だからだ。

 その代わり彼らは、織物や陶磁器を光らせて高く売った。そうやってカヌハは、小さいながらも潤った暮らしを得ていた。

 宗主ライサイを筆頭に、ミヴェルら〈しるしある者〉たちは、その威光の建物「館」に暮らしていた。神女ムタが少女を連れたのは〈祈りの間〉と呼ばれる部屋で、やはり七大神の礼拝堂に似た。

「――ミヴェル。あなたももう、十三ですね」

「はい、神女様」

 少女はこくりとうなずいた。

「全てはライサイ様と我らが聖なる〈月岩〉のおかげです」

「あなたには、しるしがある。これが何を意味するか、判っていますか」

「え……」

 ミヴェルはどきりとした。

「あの……ソディのために、力を尽くせる存在であることだと思います。持ちし者は、持たざる者の分を補って、ともに栄えある未来を作るため」

 模範的な回答であった。それはミヴェル自身の心を重くする答えだった。彼女は「ソディを盛り立てる力ある存在」のひとりでなければならないのに、ただの小娘と何も変わりない。考えたくないことであったが、目をつぶっても消えない事実だった。

その通りですね(アレイス)

 ムタはうなずいた。

「ですが、それだけではないのです」

 老婦人はそっと手を伸ばすと、少女の両手を包み込んだ。

「〈月岩の子〉――青竜のエククシア様をどう思いますか」

「エ、エククシア様ですか」

 ぱっとミヴェルの頬は熱くなった。

「いくつもの神秘を母なる月岩にささげ、〈青竜の騎士〉の名に相応しい、ソディ一のご立派な殿方と思います」

 それもまた模範的な答えだったが、ミヴェルの本心でもあった。

 眩いばかりの金の髪。黄色と青、左右の色が違う不思議な瞳。

 ライサイから騎士の称号を与えられた、若き騎士。それはソディたちの――神の騎士でもあった。

 称号は名ばかりではない。彼は〈しるしある者〉のなかで最も優秀と言われる剣士よりも剣に秀で、最も理解が難しいと言われる書を読破していた。〈月岩の子〉、〈青竜の騎士〉と言われ、ライサイの息子とされた。

 〈青竜の騎士〉はソディの娘たちの憧れだ。いや、それは何も夢見がちな少女たちだけではない。老若男女の区別なく、カヌハの民はライサイとエククシアに尊敬と恭順を示した。

「〈月岩の子〉に必要なものが判りますか」

 不意にムタは、彼女に尋ねた。

「必要な……?」

 ミヴェルは考えた。

「ええ。いま、彼に不足しているものです」

「どういうことでしょう?」

 判りません、と少女は簡単に降参した。エククシアに何かが不足しているなどとは、思えなかったからだ。

「彼の子供を(はら)む女、です」

 はっきりと神女は言い、ミヴェルは目をぱちくりとさせた。

「子供……?」

 ミヴェルの怪訝な顔に、ムタは息を吐いた。

「念のために尋ねましょう」

「は、はい」

「あなたは、赤子がどこからやってくるか知っていますか」

 その問いに、少女は目をぱちくりとさせた。

「ライサイ様が婚姻をお認めになったら、適切な時期に、〈月岩〉の力で女の腹に宿されるのでしょう?」

「……ウィナに教育を任せたのは間違っていたようね」

 いいでしょう、とムタは両手を組み合わせた。

やり方(・・・)については、これからじっくりと教えます。ただこれだけは理解するように」

 続けられた神女の言葉は、それからしばらく、ミヴェルの全てとなる。

「あなたはエククシア様と結ばれ、彼の子を産むのです」


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