15 待ち切れぬか
「そう、なんだ」
少し気圧されたように、リダールは返した。
「〈月岩〉は我らソディ一族の、聖なる象徴なんだ。その奥には何ぴとたりとも立ち入ることができない。ライサイ様を除いて」
「何があるの?」
「ライサイ様だけがご存知だ」
「ふうん……」
リダールにはぴんとこなかった。
「エククシア殿は〈青竜の騎士〉でしょう。それは〈月岩〉と関係があるの?」
「もちろん、ある」
ミヴェルはうなずいた。
「彼が〈月岩の子〉と呼ばれるのは、〈月岩〉が彼を生んだからだ」
「……岩が?」
少年は口を開けた。
「ライサイ様が〈月岩〉に力を与え、エククシア様がお生まれになった」
ミヴェルはジョードにしたのと同じ話をした。ジョードと同じように、リダールは理解しかねた。
「そのとき〈月岩〉は、満月の夜よりもずっと強い光を発して彼を祝福した。カヌハの誰もが、その青い光を目撃した。彼は〈青竜の騎士〉となるべく生まれたのだ」
「神話みたいだ」
少年には、判らなかった。ただそんな感想を抱き、どこかうっとりと言った。
「事実だ」
茶化されたとでも思うかのように、きっぱりとミヴェルは返した。
「あの方は、ソディに栄光をもたらす」
「栄光……」
それはどんなものなのだろう。やはりリダールにはよく判らなかった。
「何か、飲むか」
ふと、ミヴェルは立ち上がった。
「茶がよいか。酒を望むなら、持ってこさせるが」
「ミヴェルが飲みたいものがあれば、それがいいな」
「私が?」
「うん」
「そうか」
女は考えるようにした。
「では、茶にしよう。酒もよいが、お前は寝てしまうからな」
言われてリダールは、照れたように笑った。
そうして女は席を外し、少ししてすぐに扉が開いた。
「あれ、早かっ……」
早かったね、と気軽に声をかけようとした少年は、そこで固まった。
「――エククシア殿」
リダールは目をぱちぱちとさせた。姿を見せたのは、金の髪をした、左右違う色の瞳を持つ〈青竜の騎士〉だった。騎士がカヌハで彼の前に姿を見せたのは、これが初めてだった。
「こ、こんにちは。お久しぶり、です」
あまりにもごく普通すぎて、この状況にはどうにも相応しくない挨拶をしたリダールは、はっとしたようにぴょんと立ち上がった。
「あの、ご一緒にお茶をいかがですか!」
これまた、あまりにも的を外したと言うのか、場の空気というものを無視した発言だ。タイオスがいれば、緊張感を維持できなくて困惑したかもしれない。
だがタイオスはおらず、エククシアは黙って少年を見ていた。
「あの……」
「待ち切れぬか」
不意に騎士は尋ねた。リダールは目をしばたたく。
「え?」
「フェルナーの戻る日が待ち切れぬかと、訊いた」
「ええと……」
リダールは考えた。
「儀式は満月の日に決まっていると、聞きました。〈月岩〉の前で、やるんだって」
「そうしたことを話すのは、ミヴェルか」
「はい」
ミヴェルはあまりお喋りではないが、リダールに釣られるようにいろいろなことを話していた。「レダク」への説明はジョードで慣れた、ということもあっただろう。
だがそれだけでもない。
ミヴェルははっきりと把握していなかったが、ライサイの許した雇い人とライサイの求める神秘の素材は、彼女に何の偏見、先入観なく接する数少ない人物だった。
逆に言えば――リダールやジョードにとっても、ミヴェルはそうした相手であったと言える。ソディ一族という独特な生まれ育ちである故に、貴族の息子も盗賊も、ある意味、分け隔てなく。
彼女は自ら知らぬ内に、彼らと話すことを心楽しく思っていた。
「あ、あの」
はっとしてリダールは騎士を見上げた。
「言ってはいけないこと、だったりしませんよね?」
自分と話したことで、また、自分がそれを伝えたことで、ミヴェルが咎められるようなことになってはいけない。慌てて少年は尋ねた。
「そのようなことはない」
エククシアは答え、彼はほっとした。
「よかった」
「おかしな子供だ」
〈青竜の騎士〉もやはり、ジョードやミヴェル、タイオスとも同じ感想を抱いたと見えた。
「自分のことは考えぬのか」
「考えます」
少年はうなずいた。
「考えてばかりです。ぼくは、生きていても何の役にも立たない。フェルナーが生きていればって、ずっと考えていました。どうして彼が死んで、ぼくが生きているんだろうかと」
繰り返し思っていたことを口にした。
「そうか」
騎士は囁くと、手を差し出した。
「その悩み、早く終わらせてやることもできる」
「え?」
「お前が本心からフェルナーの帰還を望み、自らの死を厭わぬのであれば」
黄色と青の瞳が、リダールの両眼を捉えた。
「あ……」
(目眩、が)
吸い込まれるような、不思議な感覚。何かに似ているとリダールは思った。
(そうだ、あれだ)
(お酒に、酔ったときみたいな)
ふうわりと身体が浮かぶ気がする。だが実際には、リダールの足は床をちゃんと踏みしめていた。
「リダール・キルヴンよ」
エククシアは口の端をかすかに上げた。
「お前は、満月の夜を待たずともよい」